チベット高原には、世界最大規模の野生のヤク(学名:Bos mutus)の個体群が生息している。長い角を持つこの黒いウシ科の動物は、これまで100年以上、密猟や生息地の消失、家畜や人との競合に追いやられてきた。 国際自然保護連合(IUCN)の正式な推計によると、現在野生のヤクは世界中で1万頭ほどしかおらず、絶滅危惧種に指定されている。
ところが今、さらに追い打ちをかける事態が発生している。気候変動だ。チベット高原では、世界のほかの地域のおよそ2倍ものスピードで気温が上昇しており、同時に降水パターンが変化し、ヤクが水分補給するのに欠かせない雪の量が減少している。研究者らは、2006年と2012年の冬に標高1万5千フィート(4800メートル)の高地で、ヤクのオスとメスがどのように気候変動の影響に対処しているかを調査、先週『Scientific Reports』誌に報告した。
「気候変動を研究する人々は、動物たちがいつ、どこへ移動するかに注目しますが、その移動の潜在的なメカニズムを研究する人はほとんどいません。われわれはオスとメス両方に着目し、どちらが影響を受けやすいかという疑問を持ちました」と、論文の筆頭著者で野生生物保護協会(WCS)の上級研究員であるジョエル・バーガーは語る。
その答えはずばり、「メス」である。研究者はヤクの個体数と氷河との接近度を調査、メスはオスに比べて20倍近い頻度で雪塊の近くで見つかることがわかった。それはおそらく、メスが冬の間に乳を分泌し、乳を出すためには雪塊から多くの水分を補う必要があるからだろうと、モンタナ大学の教授でナショナル ジオグラフィック協会の支援研究者でもあるバーガーは説明する。
つまり母親は、より急峻で危険な山々の斜面を登るなど、気候変動に順応するためにより遠くへ足を延ばさなくてはならないのだろう。
急勾配での暮らし
研究チームはまた、メスのヤクが急な斜面で見つかる比率がすでに高まっていることも報告した。この報告には1850年から1925年の間に59回行われたチベット高原への国際遠征のデータを活用した。密猟が急増する1930年代より前に、ヤクがどのような行動をとっていたかがわかる。
オスとメスは通常繁殖期にだけ群れをなすが、過去にはチベット高原一帯の谷間や平地、山腹で群れを点々と見ることができた。だが、現代ではメスは標高の高い所で見つかるようになった。かつて密猟が横行し、平地で草を食べることが危険だったことが後遺症のように響いているのでは、とバーガーは推察する。
「他の動物でも同じことが確認されています」とバーガーは話す。「ゾウは特に顕著で、密猟から数十年経っても、狩りの歴史的な記憶を持っています」
なぜメスだけが高い所にすむようになったのか、その理由はまだわかっていない。もしかするとかつてはオスも急斜面で過ごすことが多かったが、従来の行動にいち早く戻った可能性がある。