うちの子流~発達障害と生きる

発達障害を持つ子供たちとの日々をつづります。

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差別を教えること

娘と寝る前にベッドでお話タイム。

娘「今日ね、学校放送にダウンちゃんが出たんだよ!」

私「そうなの。その子の名前はなんていうの?」

娘「名前は覚えられない」

私「そのダウン症の子が気になるならお名前覚えたほうがいいんじゃないかな」

娘「どうして?」

私「あなた、幼稚園の時に『めがねちゃん』って呼ばれてどう思った?」

(娘は弱視で眼鏡をかけています)

娘「私には名前があるのにって腹が立った」

私「あなたがダウンちゃんって呼ぶのも同じじゃない?」

娘「うん・・・」

私「もし、あなたが誰かに『アスペちゃん』とか『ADHDちゃん』って

  呼ばれたらどう思うだろう?」

娘「すごくいや!!」

私「じゃ、ダウン症の女の子も名前で呼んだほうがいいよね」

娘「自分がされてイヤなことはしない方がいいね!」

 

私「自分がされてイヤなことだけじゃないよ。自分がイヤじゃないことでも

  相手はイヤだと思うこともあるよ。

  いつも相手がイヤだと言ったら『なんで?なんで?』って聞いて

  やめないよね。」

(娘は拒否をされると軽くパニックになり納得できないと意地になります)

娘「うん。これからは理由を聞く前にやめる」

私「人はみんなそれぞれ違うから、イヤだと感じることも違うの。

  だからまず落ち着いて手をひっこめてから話をしようね。」

娘「うん、がんばる」

 

まぁなんて素直でいい子な会話♡

でも実際は衝動性によって起きる行動なので

こういう話は何度もしましたが未だになかなかやめられません。

それでも根気よく話をしています。

 

前半のダウン症の女の子の話ですが、

娘が通っている児童精神科はとても大きな施設で

重度の障害者の方から乳児院、老人施設、福祉専門学校、

隣には支援学校もあります。

なので待合で色んな障害を持った方々と出会います。

なんでも興味を持つ娘は、様々な障害を持つ人にも興味津々。

一度、日中一時支援の見学で重度の方々が多い施設に行ったときも

「おもしろい人がいっぱいいた!!」と大興奮でした。

娘に差別意識はないと思います。

純粋に興味があるのです。

障害の本人告知もしているので関係する本を何冊も読んでいます。

なので学校にいる特別支援学級のお子さんにもとても興味を持っています。

その中でも見た目でわかりやすいダウン症の女の子が

気になって仕方なかったようで何度も話に出てきます。

見た目には全く障害がわからないうちの子。

しかし、生きていく上で周りの理解や協力も必要になってくる以上は

いつかは差別というものに直面する時がくる。

全ての人がよき理解者な世の中ではありません。

よくわからないものに恐怖を感じるのは自然なことでしょうし

差別意識は無意識だろうと意識的だろうと

多かれ少なかれ人の心に住んでいるものだと思います。

実は私の従兄弟はダウン症。

歳も近く当たり前のように皆で仲良くしていたので

差別の意識など知らずに育ちました。

新設校に変わった時に隣の学校と一緒になりそこの特殊学級にいた従兄弟と

苗字が同じだったため(数が少ない苗字でした)

「○○の親戚か?」「従兄弟だよ、それがどうしたの?」

そこから何度も何度も従兄弟の事でからかわれました。

私が初めて知った障害者差別でした。

(このこともあり息子を支援学級に入れるのをかなり悩んだのですが^^;)

 

そろそろ、子供達に世の中には差別というものがあると言うことを

差別には障害者差別だけでなくジェンダー、民族、様々なものがあること、

自分たちが障害によって無理解や

差別を受ける可能性があるということを

教える時期がきたのかなと娘と話しながら感じました。

いずれは自分でうまく伝えて行かなくては誤解されることが多い障害であること

伝えてもわかってくれない人が世の中にはいることも。

理不尽なことを受け止めにくい特性の子供達に

どう伝えるか。

じっくり考えたいと思います。

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