アイコン 「会長は立派な人」と記す 警察出頭前のロッテNO2の自殺 遺書

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韓国ロッテグループのナンバー2で辛東彬(シン・ドンビン、日本名:重光昭夫)グループ会長の最側近である李仁源政策本部長(副会長)が、「辛東彬会長は立派な人だ」などと書き残し自殺した。

李氏は首をつって死亡したとみられる。26日朝、ソウル近郊の京畿道・楊平で遺体が見つかり、近くに止まっていた李氏の車からは遺書が発見された。
  当局によると、遺書はA4用紙4枚で、家族とロッテグループの役員ら宛てだった。家族には、持病の看病の労をねぎらい、「先にいってすまない」と書き残した。
ロッテグループの役員らには「このように大変な時期に先にいってすまない。辛東彬会長は立派な人だ」と、辛会長への忠誠心をにじませた。
 検察の捜査に対し不満をあらわす内容はなかった。

 李氏は、ロッテグループのコントロールタワーの役割を担う政策本部のトップ。創業家の事情に通じており、グループ傘下企業の経営も総括していた。
 グループの不正資金疑惑に絡み、李氏は横領・背任などの疑いでこの日午前9時半からソウル中央地検で取り調べを受けることになっていた。

<(自殺した)李仁源政策本部長(副会長)>

グループのコントロールタワーの役割を担う政策本部のトップで、辛東彬氏と共に経営全般を率い、主力系列社であるロッテショッピングなどの取締役を務めていた。
1947年8月に、慶尚北道・慶山で生まれ、韓国外国語大・日本語学科を卒業。
1973年に、ロッテホテルに入社した後、ロッテショッピング取締役や営業本部長、副社長などを歴任。ロッテグループの創業者、辛格浩(シン・ギョクホ、日本名:重光武雄)氏を最側近として支えてきた。
2007年に、政策副本部長に就任し、当時、政策本部長だった辛東彬氏の下でもその能力が認められ、
2011年に、政策本部長に昇格した。
 辛格浩氏に近いとされていた李氏だが、昨年の辛東彬氏と実兄の辛東主(シン・ドンジュ、日本名:重光宏之)氏との経営権争いでは、東彬氏側についたとされる。
 昨年8月に、経営権争いが激しさを増した際には、東彬氏の経営権を守るため系列企業の社長らをまとめ東彬氏を支持する内容の声明を出したことで知られる。
 経営権争いが終息した後は、東彬氏の片腕として忠実に職務をこなしてきた。
以上、聨合ニュース

韓国の場合、多くの事件が大幹部の自殺で収束するケースが多い。反日の盧武鉉大統領は退任直後、妻に超額の不正の嫌疑がかけられ自殺して幕引きとなった例もある。
ロッテ兄弟の骨肉争いの事業承継問題から端を発した今回の事件、何人自殺者を出せば収束するのだろうか。すでに創業者の長女の辛英子ロッテ奨学財団理事長も別件逮捕され、ロッテグループおよび一族の不正資金・不正蓄財の追及を受けている。

追、先般の選挙で新たに韓国国会議員になった154人の平均資産はなんと3億円と報道されている。一般人がこれほどまでに蓄えられるはずもなく、企業との癒着、ゆすりタカリによる蓄財としか考えられない。沈没したセウォル号の客船認可不正、軍でも原発でも不正だらけであることが明らかになっているほどだ。政治家稼業は儲かる商売のようだ。
日本も先般まで自民大御所の自宅金庫に金塊が山ほど積まれていたこともあった。

[ 2016年8月26日 ]
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