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辺見庸はいま「これまでのように主催者側の要請によるものではなく、わたしがはじめて(年がいもなく)衝動的に志願し」た東京・四谷で8月31日にある「辺見庸講演会」に向けて死に物狂いで(あるいは息も絶え絶えに。医学的見地から見ればおそらくこの表現の方が正鵠を得ているでしょう)モノを書いているように私には見えます。彼はいまこれもこれまでになかったことですが日々の日録をインターネットに公開して書き続けています。辺見庸にいまなにかが生じているという予感が私にはあります。この10日間ほど私は彼に同行するようにして彼の日録を私のブログ(のフリーエリア欄)にも毎日転載(更新)し続けています。以下は、辺見庸の今日の日録です。今日の日録の最後に「それでは、みなさん、さようなら」と書いてあるのが気になります。8月31日に向けて書いてきた日録は一応今日で終わり、という意味でしょうか? そういう意味だろうと思います(追記(8月29日)。やはり辺見の日録は昨日限りで閉じられています。私の転載(更新)の作業も昨日をもって閉じることにします)。
そういうこととはかかわりなく、今日の日録には辺見の思想がよく現われています(もちろん、今日に限ったことではないのですが)。
私が転載の中で引用者として強調した部分を先に掲げておきます。
「黒塗りからほんのわずかに洩れでている「字」のかけらの悲しみ、
じつにじつにじつに巨大な悲しみ・・・について、過不足なく表現でき
ずにいるじぶんを、とても憎み軽蔑しております。」
じつにじつにじつに巨大な悲しみ・・・について、過不足なく表現でき
ずにいるじぶんを、とても憎み軽蔑しております。」
「31日の講演ではご覧にいれられませんので、どうかいま見てくだ
さい。これは拘置所在監者処遇部門書信係黒塗り担当刑務官X
氏の手になる私的アートではなく、わたしとわたしらの社会の文化
と芸術の所産であり、リアルな水準です。」
さい。これは拘置所在監者処遇部門書信係黒塗り担当刑務官X
氏の手になる私的アートではなく、わたしとわたしらの社会の文化
と芸術の所産であり、リアルな水準です。」
「31日に語ることは、語ることの無意味と2時間戦うことです。 いま
書くことは、おのれの無能を知り、書くことの空しさと戦うことです。
怒りは怒りのかぎりない空虚と惨めさとに堪えることです。いま生
きるのは、あの崖から飛んで死ぬまでの、なかなか歩数の合わな
い助走とさとるためです。」
書くことは、おのれの無能を知り、書くことの空しさと戦うことです。
怒りは怒りのかぎりない空虚と惨めさとに堪えることです。いま生
きるのは、あの崖から飛んで死ぬまでの、なかなか歩数の合わな
い助走とさとるためです。」
「わたしはわたしが明白な「正義」の側に立ち、正義面またはそれ
に似た顔つきをするときに、心底軽蔑し、殺意をおぼえます。わた
しは、まだ見たことはありませんが、救いのない「悪」にこそ惹かれ
ているのです。」
に似た顔つきをするときに、心底軽蔑し、殺意をおぼえます。わた
しは、まだ見たことはありませんが、救いのない「悪」にこそ惹かれ
ているのです。」
辺見庸講演会(東京・四谷) 死刑と新しいファシズム
ーー戦後最大の危機に抗して(2013年8月31日)
「私事片々(不稽日録)2013.8.25~」(辺見庸ブログ 2013年8月28日)
塗りつぶし。職務としてこれをやった拘置所在監者処遇部門書信係黒塗り担当刑務官を、わたしは憎んではおりません。「あいつらバカだから・・・」と罵るひともいるけれど、わたしはそうはおもいません。わたしの強度の偏見で言えば、刑務官や自衛官や警察官よりも、新聞記者だとかジャーナリストだとか作家だとか詩人だとかを自称する連中のほうが、よっぽど卑賤なのです。断言します。それより、わたしがとても憎んでバカだとおもっているのは、ほかでもない、じぶんです。黒塗りにされた手紙とわたしの生身の関係、そのことの世界史的意味あい、人類史上の位置、哲学的深み、浅み、愚昧の程度、塗りつぶしの執拗さ、デジタル処理ではなく愚直な手仕事の結果できあがった色と紋様の不思議、
黒塗りからほんのわずかに洩れでている「字」のかけらの悲しみ、じつにじつにじつに巨大な悲しみ・・・について、過不足なく表現できずにいるじぶんを、とても憎み軽蔑しております。
どうぞご覧ください。
31日の講演ではご覧にいれられませんので、どうかいま見てください。これは拘置所在監者処遇部門書信係黒塗り担当刑務官X氏の手になる私的アートではなく、わたしとわたしらの社会の文化と芸術の所産であり、リアルな水準です。
塗りつぶされたのは、「8月16日発」と裏書きされた死刑囚、大道寺将司さんのわたしあての手紙のうち計8行
です。
大道寺さんの句集『棺一基』(太田出版)に第6回一行詩大賞が贈られることがきまり、主催者側が、授賞式で発表するためか、『棺一基』のなかから何句か自薦句をだすようにと連絡してきたのです。塗りつぶされたのは、手紙の前後の脈絡からしても、その自薦句であったとおもわれます。それらは『棺一基』の何頁の何行目と、数字で表記されていたかもしれません。その数字がなにかの危険な暗号や乱数表とでも疑われたので、塗りつぶしということになったのでしょうか。塗りつぶされた行には、ボールペンの跡でしょう、無数の螺旋が透けて見えます。最初にマジックインクで字を消し、その上に念をいれてボールペンで細かな螺旋をいくえにも描きいれ、さらに念をいれて、マジックインクを重ね塗りしたようです。
引用者注:辺見の「不稽日録」の8月24日の記には以下のような記述がありました。
死刑囚とされるかれらまたは彼女らは、モノではなく、生きた有機的思考体なのか、生きた無機物とみなされるべき存在なのかどうか。純粋実証的に言うならば、ニッポンでは、死刑囚とりわけ「確定死刑囚」と分類される者たちは、ヒトでありながら、もはやヒトではなく、ヒトであろうと願ってはならない、いわゆる「人外(じんがい)な」何者かなのである。かれらはゾーエ(剥きだしの生・生物的な生)以下の、死刑執行のそのときまで、薄明にただ黙ってうずくまっている薄い影でなければならない。確定死刑囚とされるものは、論拠のきわめて疑わしい現行法体系内で、そうしたいときに声をだす能力やうたう能力、叫ぶ能力、じぶんを表象する能力をうばわれる。さらに市民権をとりけされ、またそのひとじしんの生をそのひと独特の方法でふるいたたせる手だてを踏みにじられる。(略)2013年8月16日に死刑囚Dからわたしあてにだされた手紙のうち、俳句にかんする部分都合8行を黒塗りにし判読不能にした責任者、指示者はだれだ。意図、目的はなにか。わたしへの威圧か。〈シケイシュウハ、ハイクヲ、ヨムナ〉〈シケイシュウニ、シヲカカセルナ〉か。(略)〈カクテイシケイシュウハ、ハイクナドヨムナ。タダ、シヲマテ〉か。
どのぐらいの作業時間がかかったのか、その間、彼女またはかれがなにをおもったか、いや、ひたすら無心であったか、つまびらかではありません。いずれにせよ、わたしは、書信係黒塗り担当刑務官を恨んではおりません。それは絞首刑につき被執行者の首に絞縄をはめる死刑執行担当官を憎むのとおなじように、ある種のすじちがいというものですから。わたしは、よくよくかんがえてみると、だれにも憎しみなどをいだいてはいないことに気づきます。殺したいほどの敵など、わたしじしんをのぞけば、どこにもいません。それがいちばんの問題です。じつのところ、
31日に語ることは、語ることの無意味と2時間戦うことです。 いま書くことは、おのれの無能を知り、書くことの空しさと戦うことです。怒りは怒りのかぎりない空虚と惨めさとに堪えることです。いま生きるのは、あの崖から飛んで死ぬまでの、なかなか歩数の合わない助走とさとるためです。
でも、死んだか殺されたかした若き日の友人、佐藤昭憲が耽読していたシュテファン・ツヴァイクが、どこかで書いていなかったでしょうか。お前さま、お前さま、お遊戯のその指では、ほんものの時はかぞえられないぞよ。お前さま、お前さま、地上のその明るさで、土中の闇に埋もれている時間をはかることはできないぞよ・・・そんなようなことを。それは土中の闇からの声でした。牢舎の奥の暗がりからの言葉でした。わたしはそれを想像し、身の回りの白茶けた白昼の声を絶えず訝らなくてはなりません。それはそれで気の重いことです。やりきれないことです。でも、
わたしはわたしが明白な「正義」の側に立ち、正義面またはそれに似た顔つきをするときに、心底軽蔑し、殺意をおぼえます。わたしは、まだ見たことはありませんが、救いのない「悪」にこそ惹かれているのです。
なぜかはわかりません。けふもエベレストにのぼりました。かれからまた、手紙がとどきました。当局が差し押さえていたわたしの小さな犬の写真が、2週間ぶりでしょうか、やっと「交付」されたそうです。ノンちゃんはとてもやさしい目をしている。心がなごんだ。そう書いてありました。それでは、みなさん、さようなら。(2013/08/28)
*改行は読みやすさのためと引用者の恣意によるものです。
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