2012-01-28 Sat
やばいです・・・ブログが更新できないです・・・泣昨年末にコメントにあったように・・・マリリンカさんの仰るとおり、正月は休めばよかった(笑)
なんだか、働いたら逆に忙しくなって(笑)
もう、本当に楽しくってしょうがない(笑)
もうちょっとで、今のプロジェクトがもう少しで落ち着きそうで・・・
出来上がれば、こちらのほうでも、記事に出来たらと考えています♪
とまぁ、それ以外にもネタはどんどんたまっているのですが・・・
更新が出来ない!!!!!
せっかく、コメントをもらっているのに・・・
たぶん、あと、三週間ほど耐え忍べば!
また、ブログに戻ってきてネタをかけると思います♪
すみません、ちょっとお休みします(泣)
リンクのほうも、かけておきます!
復活次第また、コメントも返します(すみません~泣!!!)
ネタも探しておきます!
それでは、しばしのお別れです・・・(泣)
復活次第、足跡もらった方のところには、訪問して、また遊びに行きますので♪
2012-01-01 Sun
あけましておめでとうございます♪本年も、よろしくお願いします♪
昨年の7月からはじめたブログも、何とか続けることが出来ました!
様々な方からコメントをもらい、こんな解釈の仕方があるのか!と発見の連続です。
大変勉強になっています!
と同時に、勉強しないと・・・満足させられないし、マンネリ化してしまう~と危機を感じています(笑)
今年も、よろしくお願いします♪
年明けから、お酒で・・・頭が少々痛いですが(笑)
一発目の街デザ行ってみます♪
街デザ!
もともと、街で見つけたデザインというシリーズで、
街中(いろいろな所で)で発見した変わったものや、アート作品など、
視点を変えてくれるものを探して記録を兼ねてブログにアップしています。
新年一発目ということで!
別の、向こうの世界への窓を紹介します♪
これは、大地の芸術祭で出会った廃校アートの中で見た風景ですが、
この作品の窓を見たときに、これから向こうの世界に入って行くんだな!と、
頭で理解すると共に、体に言葉を超えた空間への感覚が生まれているのが体感できました。
このような感覚は、果たして、アート作品のみでしか体験できないのでしょうか?
こちらの写真をご覧ください♪
近代的な街には消えてしまった、ケの空間。
一見すると、汚い、暗い、狭い空間ですが、
街に奥行きを与えてくれる大切な要素です!
これこそ、現実の世界における向こうの世界への窓!
そして、これこそ街でみつけたデザインです♪
今年も、できる限りいろんなものを写真に収めてブログにしていきたいと思います♪
これから、もう一杯だけ!もう一軒友達と新年のお祝いをしてきます(笑)
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2011-12-29 Thu
何とか、年末を乗り越えたみたいで!ようやく、ブログに戻ってこれました(笑)
まぁ・・・正月もこっそり、お仕事しますが(笑)
大好きなんです♪ものづくりが♪
現在、皆さんからいただいたコメントに眼を通し、
一つ一つ考えながら丁寧にコメントを書かせていただいています!
コメントをいただいた方々の奥の深さに、大変勉強になっています!
ということで、久しぶりの!街デザ!再開です!!!!
今日は、雨を紹介します。
雨!雨といったら何を想像しますか?
傘や、長靴、などなどいろいろ有りますよね!
それでは、もし、晴れの日に雨を体験できるとしたら?
というか、雨を見れるとしたら?
まず、こちらを!
歌川広重作の、東海道五十三次、45番目の宿場である、庄野宿の浮世絵です。
wikipediaからもってきました。
構図や、いろいろと分析されていますが、
この作品を見たときに、自分が一番驚いたのが、
雨を直線で表現しているという事に何よりも、驚いたのを覚えています!
それでは、次にこちらを!
うわぁ!竹の雨です!
写真で見ると強烈ですが・・・現地で見たときは、結構繊細に見えていたと思います・・・
このゲートに直面したときに、ほぉ~!って感動したのと同時にもし・・・これが落ちてきたら・・・(汗)
と感じていました(笑)
見上げると、こんな感じです!
竹は、完全にくっついておらず、風の影響を受けて、微妙に動いていました。
そのため、強さを感じるよりも全体的に、生きているような印象を受けました!
広重の作品を見るときに気づく、物が重なるようなパラパラ感と、それにより生まれる奥行き。
この竹のゲートを見たときにも、同様なパラパラとした奥行きを感じて、
全く、日本的でないのに、日本を感じることができる!と気づかせてくれました♪
街デザとブログ復帰一発目は、ここらで、終わりです♪
それでは、これから、久しぶりに、皆さんのブログを見ながら回ろうと思います♪
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2011-12-19 Mon
仕事柄、自然や、リアルという物を時々考えます。そんな事を追い求めていく中で、布施英利という一人の面白い学者の著作に出会いました。
禁じられた死体の世界―東京大学・解剖学教室でぼくが出会ったもの (1995/10) 布施 英利 商品詳細を見る |
この個性的な本のタイトルから、生理的に受け付けない方も多数いると思いますが、少し我慢をし、本書を開くとその奥に隠れているものは、「死体」を通して見えてくる、我々が社会から隠されてしまった「リアル」という感覚の喪失が生む歪みへの警鐘というものが浮上してきます。
そもそも、普段の生活をしていると、死体を見るという事は滅多にありませんよね・・・
確かに、葬儀ではご遺体を見ますが、それは本書の言葉を借りれば、
『・・・見えているのは「思い」のほうであって、死体そのものではない。
あかの他人の死体を見たとしたら、それが「死体」そのものなんだ。・・・』~本書より
確かに、身近な方が亡くなった際に涙が流れるのは、その人との「思い出」を見返し、
悲しみに触れる事で産まれる感情であって、別にご遺体を見て泣くわけではありません。
それでは、死体とは?本書でも繊細に扱っているのが、この「死体」の定義について、
『人はさまざまな死に方をする。病気、事故、事件、自殺など、また悲惨な死や大往生などいろいろある。しかしどのような死に方をしても、最後は「死体」になる。
僕が言いたいのは、その死体が実在する、というリアルな感覚についてだ。バラバラ殺人事件の死体には、恨みや憎しみ、暴力などの感情がまとわりついている。それは生きた人間の世界の話であって「死体」とは無関係だ。』~本書より
この違いは極めて、鋭い指摘であるように思います。
これは、著者が死体を超えた「死」に真摯に向き合っている証拠のように気がしてなりません。
日ごろ「死」に対して考えている人なんて、ごく少数のように感じます。
しかし、我々は、本質では「死」という終わりに対して、きちんと考える重要性について本能的に
知っている、というか、感じているはずです。
だからこそ、「おくりびと」のような映画が注目されるんだと感じています。
しかし、現在は葬儀の様な儀式も形骸化し、形だけのものとなっている。
資本主義によるシステムの中に、人が人として存在する「死」という大切なことも、
組み込まれてしまっているというのが、実際の事で、人がシステムの一部に成り下がっているという非常に危険な状態なのかも知れません。
『埋葬する。
この「埋葬」という儀式が、人間が「人間」になったことの始まりの一つだと言われている。
今から数万年前に暮らしていたネアンデルタール人の遺骨のまわりに花粉がたくさん残っている。つまり死者を花で飾って葬った。人の死を理解し、悲しみ、それを葬る。これは脳が発達して、知性を持ち、死という概念を理解することのできる人間だからの行為だ。』~本書より。
次に「死」に対して考える際に、いつから死ぬのかという疑問は常について回る問題だと思います。
自分も祖父母がなくなった際に、死亡時刻というものは伝えられるときに非常に曖昧な印象を得ました。
「これで、お別れなのか?」と
このブログで、よく「切り取られた風景」や「空」を取り上げていますが、それらは全て人工物によって切り取られたものを紹介しています。つまり人の手や思想が、そして私の思想も入っています。
しかし、現実の世界つまりリアルな世界ではそう滅多には存在しないものです。
この生と死の境界も同様です。
これは、宗教的な観点とかではありません。
脳死問題にも関わると思われます。
本書でも、生でも死でもない「中間状態」が医学の進歩で長くなっていることを取り上げています。
また、死というものを画一的に扱うことも問題視しています。
『ともかく脳という一つの臓器のなかでも、死は部分的に進行する。一瞬にすべてが終わるのではなく、徐々に死んでいく。
そのように死は「プロセス」のなかにある。死の瞬間などというものはない。だから死亡時刻というのも、人間が勝手に決めた基準であって、自然の世界には生と死の明確な境界などない。
死体と生きている人間の違いは、よくわからないのだ。』~本書より。
人間の脳が発達したことで、「死」という現象すらも、システムの中に追いやるという傲慢さを感じます。「死体」を「死」を非常に抽象的な次元に押しやったことで、リアルさを失っているんです。
あえて存在しない境界線を作るという傲慢さ。
『海辺というのは不思議な場所だ。波が打ち寄せると、そこは海の底になる。そして波が引くと、陸になる。同じ場所なのに、海になったり、陸になったりする。そこには明確な境界線というものはない。海岸線は地図では「線」として示される。しかしそんな線など、本当はないのだ。
「近代」というのは、そのような境界領域に、敢えて「境界線」を引くのをよしとした文明だ。西洋近代に染まったぼくたちは、そのような「線」があると信じている。しかし海辺にも、ヒトの生死にも、明確な境界などがない。』~本書より
以上、本書は死体というリアルなものを通して見える人の死を考えさせてくれる本当にすばらしい作品です!
一度手にとって、一読していただきたいたいです!
文明の限界が来ているのかも知れません。
本来3.11で我々は考えなくてはならないことも、
資本主義のシステムの大きさには敵わず、結局同じ日々を過ごしてしまっています。
自分は、文明が生んだ文化の衰退という状態と、
それにより我々人間が資本主義のシステムという一つの部分になってしまっているという状態になっていると感じています。
正直ブログを書いている自分も、「システムの一部になった人間」であるような気がして、
最近非常にさびしく感じることが多々あります。。。。
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2011-12-16 Fri
師走の忙しさに、追われて、夜は作業の日々(笑)忙しさを理由にブログを放置しすぎていました(泣)
それでは!久しぶりに、街デザ行ってみようと思います!!!
ソーダな気持ちになれる場所に行ったことがあります!
これは、どこなんだって?
こちらを見ると解ります!
このテーブルと、椅子を見れば・・・
オフィスでした!
シュワシュワっと気持ちもリフレッシュ!
日ごろいるオフィスや教室と比べてみて・・・
気持ち丸くなるような気がします(笑)
シュワシュワカーテンに光が廻り込み、空間が柔らかくなります♪
ということで、今回は、カーテンが作るSODAな気持ちを紹介しました♪
本当は、この空間の面白さは、別にありますが、
このシュワシュワカーテンに注目してみました♪
最後に、シュワシュワもう一枚♪
材質が違うので、シャキ!なシュワです(笑)
まったく印象が違いますね!
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