NHKドラマ「宙わたる教室」が様々なテーマを放り込みながら、若者の成長譚を見事に描いていくものですごく面白かったのだが、大学研究の世界って難しいものがあるのだなあ。研究テーマ、予算、権威主義などの中で、自分の研究を貫くのはなかなか大変だ。ましてや、学外の人であれば(朝ドラ「らんまん」でも小卒の牧野博士は東大の権威主義に閉口していた)。
「宙わたる教室」の主人公は大学研究室をドロップアウトして、定時制高校の教員をしているのだが、そのきっかけが大学の科学研究が平等でなかったこと。高専の同僚研究員が実験で大きな成果を出したのに指導教授の研究論文には名前が記載されず、理由を問いただすと高専の研究員では格落ちになると(高専って優秀なのになあ)。
というわけで、絶望しつつもそんなことがあるはずがないと定時制高校で主人公も、またそれぞれの学生も問題を抱えながら、科学部を作り、紆余曲折を経ながら学会発表に挑むのだが…。
1991年の「それいけ!アンパンマン」のカレンダー。表紙のキャラがシールになっています。
ここで思い出すのが、やなせたかしさん。次回朝ドラ「あんぱん」のヒロインのご主人ですね。
やなせたかしさん編集の「詩とメルヘン」では入選の詩ばかりでなく、選に洩れた詩も毎号五~六編は小さく掲載していたといいますからね。やなせたかし曰く「小さな活字でも、載るとうれしいでしょ」。そうだけど、商業誌でそれを押し通すとはすごい。
また、やなせさんは一編一編に自身でさし絵もつけている。自分の言葉が、研究が活字になる。名前が載る。見てくれている人がいる。ささやかであっても大きな励みにもなるのだ。
きらめく才能よりも一生懸命さを大切にしたやなせさんは、「天才であるより、いい人であるほうがずっといい」。
肩書ばかりの学歴偏重で、きらめく才能も一生懸命さも認めないような大学研究が跋扈するようでは、今後ノーベル賞も遠くなるのだろうなあ。
僕も投稿マニアだったけど、くだらないものでも掲載されると嬉しかったもの。
日本は昆虫など在野のアマチュア研究者も多く、専門の研究者も驚くほどの成果もあるらしいけど、正当な評価を受けてほしいなあ。「ダーウィンが来た」「ワイルドライフ」など目を輝かせてみる子供たちも大勢いるだろうし、小惑星探査機ハヤブサの帰還やH3、イプシロン、イカロスの発射の成功、失敗を見て心躍ったり、悔しがったりする子も多くいて、きらめく才能も一生懸命さも問わず、あるいは落ちこぼれにだって未来の希望が開いている。そんな「宙わたる教室」でありました。
「宙わたる教室」の主人公は大学研究室をドロップアウトして、定時制高校の教員をしているのだが、そのきっかけが大学の科学研究が平等でなかったこと。高専の同僚研究員が実験で大きな成果を出したのに指導教授の研究論文には名前が記載されず、理由を問いただすと高専の研究員では格落ちになると(高専って優秀なのになあ)。
というわけで、絶望しつつもそんなことがあるはずがないと定時制高校で主人公も、またそれぞれの学生も問題を抱えながら、科学部を作り、紆余曲折を経ながら学会発表に挑むのだが…。
1991年の「それいけ!アンパンマン」のカレンダー。表紙のキャラがシールになっています。
ここで思い出すのが、やなせたかしさん。次回朝ドラ「あんぱん」のヒロインのご主人ですね。
やなせたかしさん編集の「詩とメルヘン」では入選の詩ばかりでなく、選に洩れた詩も毎号五~六編は小さく掲載していたといいますからね。やなせたかし曰く「小さな活字でも、載るとうれしいでしょ」。そうだけど、商業誌でそれを押し通すとはすごい。
また、やなせさんは一編一編に自身でさし絵もつけている。自分の言葉が、研究が活字になる。名前が載る。見てくれている人がいる。ささやかであっても大きな励みにもなるのだ。
きらめく才能よりも一生懸命さを大切にしたやなせさんは、「天才であるより、いい人であるほうがずっといい」。
肩書ばかりの学歴偏重で、きらめく才能も一生懸命さも認めないような大学研究が跋扈するようでは、今後ノーベル賞も遠くなるのだろうなあ。
僕も投稿マニアだったけど、くだらないものでも掲載されると嬉しかったもの。
日本は昆虫など在野のアマチュア研究者も多く、専門の研究者も驚くほどの成果もあるらしいけど、正当な評価を受けてほしいなあ。「ダーウィンが来た」「ワイルドライフ」など目を輝かせてみる子供たちも大勢いるだろうし、小惑星探査機ハヤブサの帰還やH3、イプシロン、イカロスの発射の成功、失敗を見て心躍ったり、悔しがったりする子も多くいて、きらめく才能も一生懸命さも問わず、あるいは落ちこぼれにだって未来の希望が開いている。そんな「宙わたる教室」でありました。
昭和戦前期まで女性の二大職業のひとつだったのだね、女中さんって。
たしかにあの頃の映画を観ても、あるいは戦後間もなくの頃でも、良家風の家には必ず女中というかお手伝いさんがいて、映画的なのか、たいていは若い女性だった。
女中というとその後、家政婦、お手伝いさんとか言い換えもされ、やや差別的ニュアンスも感じられたりするけど、かつては女性のたしなみ、躾などを身につける堂々たる職業、またその機会でもあったらしい。
戦後であってもまだその気風は残り、「ALWAYS 三丁目の夕日」の六ちゃんも従業員でありながら家族でもあるような、ご両親から大切に預かるというような信頼で成り立つ感じでしたね。「時間ですよ」の浅田美代子なんかもそんな感じかなあ。
まあ、近年のお手伝いさんとなると「それは業務命令ですか?」と問われるように明確な職業、雇用契約となった。
現代でそんな家族同様のお手伝いさんを探せば、ドラマ『浅見光彦シリーズ』の浅見家ですかね。
このシリーズは各局で競作されているので僕のいちばん好きな水谷豊版から辰巳琢郎、沢村一樹、速水もこみち、平岡祐太、中村俊介など様々な俳優が演じている。あちこちの事件に首を突っ込むルポライライターなのだが、お兄さんが警察庁の刑事局長で、ちょっと水戸黄門的でもある。刑事局長はやっぱり高橋悦史がかっこよかった。
各エピソードごとにヒロインは登場していい雰囲気にはなるのだが…、まあ結婚したらドラマは終わりだからね。
というわけだからでもないけど、光彦坊ちゃんと結婚しておかしくないほどに「浅見光彦家」のお手伝いさんも可愛く誇り高い。
女中がいた昭和/小泉和子
昭和戦前期まで女性の二大職業のひとつだった、女中。仕事の実際、貞操問題、女中訓、女中部屋など、女中というキーワードをとおして「昭和」という時代を再考するはじめての一冊。
浅田美代子主演「しあわせの一番星」。怖い山形勲おじいさんもにっこり微笑む可愛いお手伝いさん。
さて、昭和戦前期までの女性の二大職業のひとつ女中というのは分かったけど、もう一つはなんだろうなあ。そういうたしなみを身に付けるという意味では女工さんなのかもしれない。
こちらは岐阜市発行の市民グラフから。左から1965年の県外から岐阜市への集団就職風景。九州、四国、東北方面が多く、この頃は岐阜市だけで2000人から2500人の紡績工場などへの集団就職があり、中卒者には定時制高校が用意された。この頃は貧しさや不安を抱えながらも輝く未来への希望もあった。
僕が映画館に勤めていたころはもう大々的な集団就職はなかったと思うけど、それでも岐阜市近辺には紡績工場が多くあった。まだ若い女性も多くいて、組合事務所に映画の前売り券などを委託していた。まあ、ほとんど売れず、そのまま回収ということが多かったけれど。工場内には定時制の学校もあったり、寮に住み込みながら、高校、短大に通うことも出来たらしいから、会社側も金の卵の就職対策と言うだけではなく、女子教育というそれなりの経営理念もたぶんあり、また事実、頑張った子はステップアップしていく道筋にもなったのだろう。
ちょうど、先日のNHK「こころ旅」では岐阜の紡績工場を訪ねるという手紙があって、その手紙の人は高校卒業後、紡績工場で住み込みで働きながら、近くの短大で歯科衛生士の資格を取り、その後、40年間、定年を迎えるまで歯科衛生士の仕事を続けることが出来たという。
僕はお手伝いさんのいる家にはちょっと憧れた。周りにはどこにもなかったけど。
でも紡績工場の組合事務所に行くのはちょっと楽しみでもあった。
「わぁー、今度はなんの映画ですか?」 元気な声があった。
たしかにあの頃の映画を観ても、あるいは戦後間もなくの頃でも、良家風の家には必ず女中というかお手伝いさんがいて、映画的なのか、たいていは若い女性だった。
女中というとその後、家政婦、お手伝いさんとか言い換えもされ、やや差別的ニュアンスも感じられたりするけど、かつては女性のたしなみ、躾などを身につける堂々たる職業、またその機会でもあったらしい。
戦後であってもまだその気風は残り、「ALWAYS 三丁目の夕日」の六ちゃんも従業員でありながら家族でもあるような、ご両親から大切に預かるというような信頼で成り立つ感じでしたね。「時間ですよ」の浅田美代子なんかもそんな感じかなあ。
まあ、近年のお手伝いさんとなると「それは業務命令ですか?」と問われるように明確な職業、雇用契約となった。
現代でそんな家族同様のお手伝いさんを探せば、ドラマ『浅見光彦シリーズ』の浅見家ですかね。
このシリーズは各局で競作されているので僕のいちばん好きな水谷豊版から辰巳琢郎、沢村一樹、速水もこみち、平岡祐太、中村俊介など様々な俳優が演じている。あちこちの事件に首を突っ込むルポライライターなのだが、お兄さんが警察庁の刑事局長で、ちょっと水戸黄門的でもある。刑事局長はやっぱり高橋悦史がかっこよかった。
各エピソードごとにヒロインは登場していい雰囲気にはなるのだが…、まあ結婚したらドラマは終わりだからね。
というわけだからでもないけど、光彦坊ちゃんと結婚しておかしくないほどに「浅見光彦家」のお手伝いさんも可愛く誇り高い。
女中がいた昭和/小泉和子
昭和戦前期まで女性の二大職業のひとつだった、女中。仕事の実際、貞操問題、女中訓、女中部屋など、女中というキーワードをとおして「昭和」という時代を再考するはじめての一冊。
浅田美代子主演「しあわせの一番星」。怖い山形勲おじいさんもにっこり微笑む可愛いお手伝いさん。
さて、昭和戦前期までの女性の二大職業のひとつ女中というのは分かったけど、もう一つはなんだろうなあ。そういうたしなみを身に付けるという意味では女工さんなのかもしれない。
こちらは岐阜市発行の市民グラフから。左から1965年の県外から岐阜市への集団就職風景。九州、四国、東北方面が多く、この頃は岐阜市だけで2000人から2500人の紡績工場などへの集団就職があり、中卒者には定時制高校が用意された。この頃は貧しさや不安を抱えながらも輝く未来への希望もあった。
僕が映画館に勤めていたころはもう大々的な集団就職はなかったと思うけど、それでも岐阜市近辺には紡績工場が多くあった。まだ若い女性も多くいて、組合事務所に映画の前売り券などを委託していた。まあ、ほとんど売れず、そのまま回収ということが多かったけれど。工場内には定時制の学校もあったり、寮に住み込みながら、高校、短大に通うことも出来たらしいから、会社側も金の卵の就職対策と言うだけではなく、女子教育というそれなりの経営理念もたぶんあり、また事実、頑張った子はステップアップしていく道筋にもなったのだろう。
ちょうど、先日のNHK「こころ旅」では岐阜の紡績工場を訪ねるという手紙があって、その手紙の人は高校卒業後、紡績工場で住み込みで働きながら、近くの短大で歯科衛生士の資格を取り、その後、40年間、定年を迎えるまで歯科衛生士の仕事を続けることが出来たという。
僕はお手伝いさんのいる家にはちょっと憧れた。周りにはどこにもなかったけど。
でも紡績工場の組合事務所に行くのはちょっと楽しみでもあった。
「わぁー、今度はなんの映画ですか?」 元気な声があった。
NHKの「文学界の巨人 90歳のメッセージ」を見た。文学界の巨人というのはSFを始め、多様なジャンルで先駆的、実験的な作品を多く発表してきた作家 筒井康隆のこと。もう90歳なのだ。同じく愛読したSFを共に切り開いてきた星新一も小松左京ももういない。星新一が時事的な事柄をことさら排して、古びることのない小説ともしたのに対して、筒井康隆はそういうものもそのまま臆することなく書いた。小松左京が筒井康隆は一時読まれなくなるかもしれないと心配したのはそういうこともあるのだろう。でも実際には文学の低迷のなかでも根強く読まれ、実験的な小説「残像に口紅を」に至っては最近、SNSで人気がバズッってしまったという。
「時をかける少女」はほんとうに時代を繰り返しかけるように映画化されるしね。まあ、映画化されたものは「大いなる助走」「ジャズ大名」「俗物図鑑」「俺の血は他人の血」「スター」などあるものの「時をかける少女」「パプリカ」のほかはマイナーだったり、ちょっと名作と言いかねるものだったけど、ここにきて決定打が来た。吉田大八監督、長塚京三主演の『敵』である(筒井康隆原作 2025年1月17日公開)。未見なのだが東京国際映画祭で最高賞の東京グランプリ、監督賞、男優賞の3冠に輝いたというからね。
SFもすっかり定着したし、文学の境界関わりなく実験的な作品に挑戦し続けた作家で、なにより読者に圧倒的に支持された。海外で多く翻訳されているわけではないけど、ノーベル文学賞取っちゃってもいいんじゃないかなあ。大いなる助走だったらいいのに。
画像は僕の好きな「旅のラゴス」。ファンクラブからはこんな年賀状も届いた。
おっと、「文学界の巨人 90歳のメッセージ」だった。語るゲストも多彩で、町田康、山下洋輔、細田守、荻野アンナ、さらには斉藤由貴、池澤春菜(知らなかったけど、いまは日本SF作家クラブ会長)などの面々。斉藤由貴はたしか「着想の技術」の文庫本の解説も書いていたから長い読者なのだろう。
代表作と問われて「モナドの領域」と答えていたけど、やはり集大成という意味もあるのかな。「時かけ」も出てくるし。僕は「旅のラゴス」かな。
「時をかける少女」はほんとうに時代を繰り返しかけるように映画化されるしね。まあ、映画化されたものは「大いなる助走」「ジャズ大名」「俗物図鑑」「俺の血は他人の血」「スター」などあるものの「時をかける少女」「パプリカ」のほかはマイナーだったり、ちょっと名作と言いかねるものだったけど、ここにきて決定打が来た。吉田大八監督、長塚京三主演の『敵』である(筒井康隆原作 2025年1月17日公開)。未見なのだが東京国際映画祭で最高賞の東京グランプリ、監督賞、男優賞の3冠に輝いたというからね。
SFもすっかり定着したし、文学の境界関わりなく実験的な作品に挑戦し続けた作家で、なにより読者に圧倒的に支持された。海外で多く翻訳されているわけではないけど、ノーベル文学賞取っちゃってもいいんじゃないかなあ。大いなる助走だったらいいのに。
画像は僕の好きな「旅のラゴス」。ファンクラブからはこんな年賀状も届いた。
おっと、「文学界の巨人 90歳のメッセージ」だった。語るゲストも多彩で、町田康、山下洋輔、細田守、荻野アンナ、さらには斉藤由貴、池澤春菜(知らなかったけど、いまは日本SF作家クラブ会長)などの面々。斉藤由貴はたしか「着想の技術」の文庫本の解説も書いていたから長い読者なのだろう。
代表作と問われて「モナドの領域」と答えていたけど、やはり集大成という意味もあるのかな。「時かけ」も出てくるし。僕は「旅のラゴス」かな。
福岡県・大島沖を航行中の海上自衛隊の掃海艇「うくしま」が火災で沈没した事故で、斎藤 聡あきら ・海上幕僚長は12日、行方不明となった乗組員の男性隊員(33)について、潜水士による艦内の捜索では発見されなかったことを明らかにした。海自は艦艇や航空機を投入し、周辺の海域と沿岸部で捜索を続ける。
海自によると、うくしまは大島の北方約2・3キロ沖で10日午前に火災を起こし、11日午前、海中に沈んだ。機械室のエンジンから火が出て、燃料に引火して延焼したとみられる。行方不明の隊員は当時、機械室で当直勤務をしていた。(読売オンライン2024/11/12)
当初、見た映像では鎮火も出来そうとも思ったのだが、まさか沈没するとは思わなかった。これも思いもよらなかったのだが実はこの掃海艇「うくしま」は木造船だったというのだ。てっきり駆逐艦などと同じ装甲の厚い鋼製船体だと思っていた。木造というなら沈没もありうるか。映画「ゴジラ-1.0」でも掃海艇が登場し、終戦直後の機雷除去任務にあたっていて、機雷は磁気に反応するため、びっくりするほどのオンボロ木造掃海艇で、乗船する主人公が思わず「これですか」と嘆息するほどだったけど、現代も引き継がれているのか。ゴジラとも戦ったり、今も機雷除去に当たったり、掃海艇は命懸けだなあ。最前線の戦艦だけが危険というわけではないのだ。
映画「ゴジラ-1.0」パンフレットから。いや、この掃海艇で立ち向かうのだから。
湾岸戦争後の折りもペルシャ湾に海上自衛隊の掃海部隊が派兵されたけど、木造船でペルシャ湾までとは大航海だなあ。さほど大きくもないだろうし。派遣決定した政治家は掃海艇が木造船ということを知っていたのだろうか。機雷除去が命がけの作業であることを知っているのだろうか。軍事力を行使しない平和貢献として掃海艇の派遣が安易に決定されているのでは現場はたまらないだろうなあ。それだけでも映画「ゴジラ-1.0」は見る価値がある。
しかし、機雷も地雷も無差別で後先を考えない最低な武器だなあ。
海自によると、うくしまは大島の北方約2・3キロ沖で10日午前に火災を起こし、11日午前、海中に沈んだ。機械室のエンジンから火が出て、燃料に引火して延焼したとみられる。行方不明の隊員は当時、機械室で当直勤務をしていた。(読売オンライン2024/11/12)
当初、見た映像では鎮火も出来そうとも思ったのだが、まさか沈没するとは思わなかった。これも思いもよらなかったのだが実はこの掃海艇「うくしま」は木造船だったというのだ。てっきり駆逐艦などと同じ装甲の厚い鋼製船体だと思っていた。木造というなら沈没もありうるか。映画「ゴジラ-1.0」でも掃海艇が登場し、終戦直後の機雷除去任務にあたっていて、機雷は磁気に反応するため、びっくりするほどのオンボロ木造掃海艇で、乗船する主人公が思わず「これですか」と嘆息するほどだったけど、現代も引き継がれているのか。ゴジラとも戦ったり、今も機雷除去に当たったり、掃海艇は命懸けだなあ。最前線の戦艦だけが危険というわけではないのだ。
映画「ゴジラ-1.0」パンフレットから。いや、この掃海艇で立ち向かうのだから。
湾岸戦争後の折りもペルシャ湾に海上自衛隊の掃海部隊が派兵されたけど、木造船でペルシャ湾までとは大航海だなあ。さほど大きくもないだろうし。派遣決定した政治家は掃海艇が木造船ということを知っていたのだろうか。機雷除去が命がけの作業であることを知っているのだろうか。軍事力を行使しない平和貢献として掃海艇の派遣が安易に決定されているのでは現場はたまらないだろうなあ。それだけでも映画「ゴジラ-1.0」は見る価値がある。
しかし、機雷も地雷も無差別で後先を考えない最低な武器だなあ。
決して忘れてはならないのがオウム真理教が起こした地下鉄サリン事件をはじめとする数々の重大な犯罪。その犯罪を医師、作家の目を通してつぶさに描いたのが「沙林 偽りの王国」(帚木蓬生)。改めて事件の経緯から読むと警察の怠慢、マスコミの軽薄、カルトの狂気などの恐ろしさに震えますね。誇大妄想としか思えない狂気に有能で真面目な人々がこんなにも易々とはまり、さらには暴力や薬で正気を失わせる。一歩間違えば国家転覆さえもありえた妄想、暴力の暴走。あまりにあり得るはずがないということも実は人は簡単に信じてしまう脆さを抱えているのだと思うとほんとうに怖ろしい。
核兵器が怖ろしいのはもちろんだけど、「貧者の核兵器」とも呼ばれる化学兵器や生物兵器もぞっとする。これらは実に簡単に手に入れたり、作れたりもして、実行も人知れず行えてしまうのだからこれまた怖ろしい。これは国家レベル、テロ組織レベルで密かに行われている可能性もじゅうぶんにあるのだ。
本書は事件のすべてを追い、化学兵器や生物兵器の歴史まで遡って、その恐ろしさを教えてくれるのだが、いちばんの怖ろしさは身近な出来心のような、子供いたずらのようなこと、たとえば井戸に動物の死骸を放り込むようなことからも生まれるのだ。誰にも起こり得て、日常に潜む怖さがあるのだ。
まったく違うけど、様々な問題で失職した斉藤知事が兵庫県出直し知事選でまさかと思われた再選となり、その圧勝とも言われる再選がSNSを駆使したものであり、今度は公職選挙法違反が疑われている。ファクトが吟味されないまま何かしらに熱狂するように失職に向けても再選に向けても良くも悪くも簡単にマスコミも大衆も動いてしまう、動かされてしまう怖さが人にはあるのだと思う。人は祭りのような熱狂が好きだからなあ。
上下巻の渾身の大作。
怖い話はひとまず置いて、びっくりしたのがこの本の解説が元警察庁長官国松孝次氏であること。事件の当事者でもありますからね。まあ、そのことは本人もびっくりしていて、そこのところはじゅうぶん配慮して解説を引き受けているのだけど、著者の帚木蓬生とは東京大学の後輩で同じ剣道部であったよしみもあるらしい。解説によればこの剣道部、OBとの交流を深めるため、「赤胴」なる機関誌があり、帚木さん、この機関誌に唐の詩人・張継の漢詩「楓橋夜泊」の「月落烏啼」の通釈について巷間言われる「月落ち烏啼いて」ではなく、現地には実際に「烏啼山という山があり、ここは「月、烏啼に落ちて」と読むのが正しいと寄せたという。
いや、東大剣道部、警察庁長官はこんな漢詩も詠み、新解釈にも議論を戦わすのか。
テレビドラマ「VIVANT」の乃木憂助がやたら聞いたこともない難解な漢詩を詠んで暗号のように使っていたけど、こういう土壌があったのかと…と、ふと思ったのでした。思えば「坂の上の雲」の秋山真之なども正岡子規と親しかったり、漢詩も読めたりした。
目先の熱狂に浮かれるばかりでなく、ふと日常の戻れるように、たとえばこんな漢詩も味わうような余裕が生まれる世界がといいなあと。
核兵器が怖ろしいのはもちろんだけど、「貧者の核兵器」とも呼ばれる化学兵器や生物兵器もぞっとする。これらは実に簡単に手に入れたり、作れたりもして、実行も人知れず行えてしまうのだからこれまた怖ろしい。これは国家レベル、テロ組織レベルで密かに行われている可能性もじゅうぶんにあるのだ。
本書は事件のすべてを追い、化学兵器や生物兵器の歴史まで遡って、その恐ろしさを教えてくれるのだが、いちばんの怖ろしさは身近な出来心のような、子供いたずらのようなこと、たとえば井戸に動物の死骸を放り込むようなことからも生まれるのだ。誰にも起こり得て、日常に潜む怖さがあるのだ。
まったく違うけど、様々な問題で失職した斉藤知事が兵庫県出直し知事選でまさかと思われた再選となり、その圧勝とも言われる再選がSNSを駆使したものであり、今度は公職選挙法違反が疑われている。ファクトが吟味されないまま何かしらに熱狂するように失職に向けても再選に向けても良くも悪くも簡単にマスコミも大衆も動いてしまう、動かされてしまう怖さが人にはあるのだと思う。人は祭りのような熱狂が好きだからなあ。
上下巻の渾身の大作。
怖い話はひとまず置いて、びっくりしたのがこの本の解説が元警察庁長官国松孝次氏であること。事件の当事者でもありますからね。まあ、そのことは本人もびっくりしていて、そこのところはじゅうぶん配慮して解説を引き受けているのだけど、著者の帚木蓬生とは東京大学の後輩で同じ剣道部であったよしみもあるらしい。解説によればこの剣道部、OBとの交流を深めるため、「赤胴」なる機関誌があり、帚木さん、この機関誌に唐の詩人・張継の漢詩「楓橋夜泊」の「月落烏啼」の通釈について巷間言われる「月落ち烏啼いて」ではなく、現地には実際に「烏啼山という山があり、ここは「月、烏啼に落ちて」と読むのが正しいと寄せたという。
いや、東大剣道部、警察庁長官はこんな漢詩も詠み、新解釈にも議論を戦わすのか。
テレビドラマ「VIVANT」の乃木憂助がやたら聞いたこともない難解な漢詩を詠んで暗号のように使っていたけど、こういう土壌があったのかと…と、ふと思ったのでした。思えば「坂の上の雲」の秋山真之なども正岡子規と親しかったり、漢詩も読めたりした。
目先の熱狂に浮かれるばかりでなく、ふと日常の戻れるように、たとえばこんな漢詩も味わうような余裕が生まれる世界がといいなあと。