なぜ、いつこの話を思い出したのか、忘れた。なんだったかな。とにかく、知り合いで「盛り上がることに盛り上がる人」がいる。例えばとある映画が話題になっていて、盛り上がっていたとする。その人はその盛り上がりの輪に参加して、一緒に楽しむ。楽しむ、が、その話題の映画は見ていない。何故なのか?
わからない。とにかく「盛り上がっていることに盛り上がりたい」だけで、肝心の盛り上がっている題材には興味がないように見える。その人にとってはどういう盛り上がり方をしているかが肝心で、自分の好きな盛り上がり方をしている題材が好ましいため、「盛り上がってさえいれば映画はなんでもいい」というわけではない。好ましい盛り上がり方をしてくれる映画でないといけないのだ。でも映画そのものは見ない。その映画で盛り上がっていることに興味があり、便乗しているだけで、決してその映画に興味があるわけではないからだ。「その映画すごいらしいね、見てみたい!」とは言うが、見ないのである。何故だろう。
でもこういう人はけっこうよくいる。祭りの雰囲気を楽しみたいだけで、何の祭りかは興味がない。どんな祭りかは関心がない。ただ自分が好ましい盛り上がり方をしていれば便乗したい。それだけ。デモ行進などにもよくいる。音楽フェスとかも、雰囲気で盛り上がりたいだけ。文脈に関心はあっても、中身にまでは至らない。ファンではない、ニワカと呼ばれる人たちはたいていこの類ではないだろうか。
そういう人に対してよく、「もっとちゃんと参加したほうが楽しいよ!」と勧める人がいる。映画だったら、「ちゃんと映画見たほうが、より盛り上がれるよ!」ってとこだろう。そりゃそうだ。場の雰囲気に盛り上がっているだけでなく、その盛り上がりの当事者になれるんだから。同じアホなら踊らにゃソンソンというやつである。そう言われても、雰囲気重視の人は頑なに参加しない。飽くまで雰囲気を楽しみたいだけだから、映画には興味がない。映画の良さを知って盛り上がりたいわけではない。盛り上がることに盛り上がるだけで十分なのだろう。目的が違う。
この話にはもっと先があり、音楽アーティストなどがよく言う「音楽はやる方が楽しいよ」に行き着く。プレイ当事者が一番盛り上がっているのだ。映画も作ったり演じている人が一番盛り上がっている。それを見たり消費したりして盛り上がっているだけではつまらないでしょ、こっち側に来いよ!音楽やる良さを知ってほしい!などと言うプレーヤーもいる。でもそれを言われても、聞いているだけの僕らからすれば「ええ…ちょっとそこまではいいかな…」と引いてしまう。
きっとこれと同じことが、盛り上がることに盛り上がる人にも起こっているのだろう。映画や音楽、マンガやアニメ、小説やドラマを見て、ゲームをプレイして熱く語り合う人たちを見て、その熱量に、祭りの雰囲気に盛り上がる。広く浅く楽しみたいだけで、祭りに参加した気になれるだけで十分なのだ。「実際に見てみなよ!」と言われても「ええ…ちょっとそこまではいいかな…」と引いてしまうのだろう。