大田神社 カキツバタ2019
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昨日はカキツバタを見に大田神社に行ってきました。神社の「大田の沢」には約2万5千株のカキツバタが群生していて、1939年に国の天然記念物に指定されています。
沢を取り囲むように植えられている山ツツジも満開でした。道路を隔てた向かいに福徳神を祀る「福徳社」がありますが、上賀茂神社の境外摂社のようです。
「大田神社」は、かつては「恩多社(おんたしゃ)」とも呼ばれ、独立した式内社でした。平安時代には、国から財政的補助がある官幣社であることがわかっています。最初に本殿にお参りします。
古くは渡来系の先住民の福神が祀られ、上賀茂神社よりも古く鎮座した農耕神あるいは地主神とみられています。拝殿は江戸時代の1628年の造営で、昨年からの修復工事が終わっていました。
本殿には祭神として、天鈿女命(あめのうずめのみこと)を祀り、芸能・芸事上達の信仰があります。天鈿女命は天照大神が隠れた天岩戸の前で踊った女神です。本殿も拝殿と同時期に建立されました。
拝殿の前に、老後安泰の神・猿田彦命を祀る「白鬚(しらひげ)神社」、病気平癒の神・大国主神と少彦名神(すくなひとなのかみ)を祀る「鎮守社」、船玉神(ふなだまのかみ)を祀る「百大夫社」があります。
この地には、壬生、丹生、小野などの氏族の祖神が祀られ、それらは末社の白鬚社、百大夫社、福徳社として今も存続しています。その後、沼沢の池の開墾に関わったた賀茂氏一族の影響が及び、上賀茂神社の摂社になったとみられています。(社務所・授与所)
鳥居の向こうにある大田の沢に入ります。カキツバタの育成には多額の費用がかかるそうで、神社では見学に協力金(300円)をお願いしています。
実は、4年前に鹿によってカキツバタが荒らされていることがわかり、網を張ったのですが被害が続きました。翌年には高い柵を設置したのですが、それでも動物の足跡が見つかり例年の2割程度しか花が咲きませんでした。
神社では京都府立植物園に調査を依頼しましたが、「病気ではないが、シカの食害ともいえない」という回答で、原因は分からなかったといいます。沢の左(北)の方に回ります。
その際、神社では土壌も含めて引き続き専門家に調査を依頼し、対策を講じていくとおっしゃっていました。その効果があったのか、1昨年からはある程度密に花が咲いてきました。
平安時代の歌人・藤原俊成(しゅんぜい)は「神山やおほたの沢の杜若ふかきたのみは色にみゆらむ」と詠みました。「上賀茂神社への心からの願いは、近くにある大田の沢のカキツバタの紫色にあらわれているようだ」という意味だそうです。
上の歌は、平安時代末の1189~90年に、俊成が伊勢・賀茂・春日・日吉・住吉の五社に奉納した「五社百首」の一首です。沢の北西のあたりから、向うは道路を挟んで民家が並んでいます。
かつてこの一帯は深泥池とあわせて一つの沼地で、雲ケ畑の池と地下でつながっていたそうです。御所ともつながっているという伝承もあります。沢の北東のほとりには楓があります。青紅葉を通して、密に咲いている東側が見えます。
向うは最初にカキツバタの写真を撮った参道側(西)、ベンチが置かれています。
大田の沢は水が枯れたことがないといわれてきましたが、近年の宅地開発により水脈が変わり、現在は井戸水を補っているそうです。
2年前からは池を完全にネットで囲み、小動物も入れないようになっています。それでもすぐには以前のような状態に戻らないのは、環境が変化したからだとも考えられています。(下の写真は道路側から。)
あるいは、4年前に大部分の若芽を摘み取られてしまった記憶(何らかの痕跡)がカキツバタに残っていて、自己防衛のためかも知れません。
それでも、以前ほどではありませんが、年々花が回復していることが分かって安心しました。
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コメント
かきつばた、美しい花なのになぜ荒らすのでしょうか。
早く元に戻ってほしいですよね。
静けさと妖艶さを持つかきつばた。
夏らしくていい花です。
投稿: munixyu | 2019年5月 9日 (木) 20:12
★munixyuさん こんにちは♪
鹿にとっては、カキツバタの新芽は格好の餌なんでしょうね。野生の鹿も自然の一部と考えると、急に食害が出てきたことは、何らかの環境が変化したのでしょう。結局は人間の行動が原因なのかも知れません。
投稿: りせ | 2019年5月10日 (金) 11:31