昭和、平成、令和と続く坂下の朝
変わらぬ構内踏切を渡る乗客の列
2024年10月 只見線 会津坂下
以前、2015年10月撮影の
平成版「坂下の朝」をお送りしたことがあるが、9年後の2024年10月に、再び「坂下の朝」を撮る機会が巡って来た。数年前にも訪れてはいるが、立ち位置の跨線橋が改修工事中であったため撮影を諦めている。結果10年近くの時間が流れていたが、十年一昔と言うように、大きな変化があったが、肝心の登校生徒の行列は健在だった。変化の幾つかを列挙してみよう。
構内踏切の位置が変わり、バリアフリー化された以前の構内踏切の位置は、駅舎本屋の改札口前にあり、ホームには3段の階段で昇り降りしていたが、柳津側のホーム端に移動され、車椅子用のスロープが設けられた。そのため、停車する列車と構内踏切が離れてしまい、以前のようなコンパクトな構図には収まらなくなってしまい、かなり間延びした感じになってしまった。
駅の運転取扱業務が終了し、駅員勤務が時間制となった2019年までは駅長もおり、全列車の到着、出発を見届けていたが、現在では会津若松駅管理となり、駅長はおらず、「坂下の朝」の列車交換時は駅員の勤務時間外で、駅員は不在で窓口も開いていない。
跨線橋からのアングルに電線が横切った以前も下りホームの待合辺りに線路を横断する電線があったにはあったがあまり支障はなかったが、跨線橋横に新たに架線されてしまい、跨線橋の構造からも何とも外す術がない。
車両がキハ40からキハE120/キハ110に更新された国鉄型のキハが消えていくのは時流で何時かは訪れるもので、寂しい次第だが致し方ない。平成版と令和版をよく観察すると、編成が短くなっていることに気付く。会津若松行きは2両から1両へ、会津川口行きは3両から2両と、何れもが減車されている。会津坂下駅の1日乗車人員もここ10年で3割以上減少しているが、これはすなわち通学生徒の減少と推察される。この減車もそれを反映しての措置なのだろう。
生徒の服装が薄手になった平成版も令和版も10月も末で時期は殆ど変わっていない。しかしながら、平成版が黒づくめに対して、令和版は白いシャツ姿の生徒が結構いる。偶々の日和なのかも知れないが、ここ10年で温暖化が進んだと勘ぐりたくもなる。
やっと列が途切れた 平成版では会津若松行きが手前にずれていたが、令和版では逆だ
最後の生徒が構内踏切を渡る ホーム上の以前の位置には蓋が被せられている
平成版「坂下の朝」の際には、大木茂さんから元祖「坂下の朝」の昭和版を提供していただけ、これで昭和、平成、令和と、時代の変遷を眺めることが出来、なかなか感慨深いものがある。この先、何時までこの鉄道とこの駅が在り続けるかは未知数だ。もし次の時代まで生き残れたとしても、こあらまがレポートすることは出来ないだろう。令和天皇はこあらまよりも何歳か年下だ。順当に行けばこあらまが先に消えることになる。それとも、2代して早期退位とでもなるのだろうか。
平成版では女子生徒の自転車だったが、令和版では男子生徒になった
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- 2025/01/20(月) 00:00:00|
- 只見線・会津口
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1番列車が早いか風が吹き出すのが早いか
例によってドキドキで見詰める五橋の川面
2024年10月 只見線 本名
写真をやっていると、季節季節で様々な水鏡と対話することのなる。早春の田植え前の田圃だったり、時にはホームや駅前の水溜まりだったりもする。只見線では、只見川の水面となることが多い。水面がどんな状態がいいかはTPOで変わって来るが、特に水鏡を期待したときには一喜一憂することになる。概して只見川の峡谷は風の通り道で、好天時に風が止まるのは朝晩位のもので、日中は繰り返し水面には風紋とも言えるさざ波が流れていく。早朝の1番列車が狙い目で、否応なく期待は高まるが、例によってマーフィーの法則よろしく、列車の通過に合わせて風が吹くもので、只見川でも何度泣かされたかわからない。
写真は、言わずと知れた第五橋梁だが、2011年の水害では向かって右側の会津川口寄りのプレートガーター桁1連が流失し、オリジナルの左側のプレートガーターと仕様が異なっている。中央のトラス桁部が被災しなかったのが不幸中の幸いで、原型の優美な姿を留めている。もし、トラス桁部が流失していたら、この橋の撮影意欲は大きく失われていたはずだ。列車は小出からの1番列車で、ここまで来ると日がかなり昇っており、風が吹き始める頃合いだ。この時は写真の神様が味方してくれたのか、丁度いい川面となった。完全な鏡ではなく、僅かな揺らぎが逆に水鏡であることを直感させる。この後直ぐに風が流れ出すことになる。
本名の集落
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- 2025/01/17(金) 00:00:00|
- 只見線・会津口
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寝覚の床を横目にデゴイチの煙が昇る
かつての名所に再び通う日が来るかも
1971年10月 中央西線 上松
今も、ロケで西に向かう際などに木曽谷はよく通っている。当然、中央西線も目に入るので、現役蒸気時代の撮影地などが気になるところだ。電化されていなかったら、もっと積極的になれるのだが、どうにも本腰になれずに来た。しかしながら、非電化ローカル線もサイケなラッピング車に埋め尽くされそうな勢いなので、架線や架線柱云々を言えなくなってきた。近いうちに、ラッピングのない中央西線に再び通う日がやって来るかも知れない。
さて、写真は倉本から上松に向かう上り貨物だ。この区間には、名勝「寝覚の床」を絡められるポイントがあり、この時はそこが目当てだったような気がするが、ネガには寝覚の床の奇岩の河原は現れない。線路は写真の奥で寝覚の床の高架橋になっているが、目的地を目前にして、こんな所で撮る羽目になった経緯がどうにも思い出せない。一方で、この区間では20‰の急勾配が断続的に続くので、随所で上り列車の喘ぐ姿が眺められた。
やって来た245号機は中津川の罐で、現在は長野県の坂城町文化センターに保存されている。露天での展示で、整備も疎かなため、損傷が進んでいる。前照灯、後照灯、給水暖メ器カバーなどが欠損した哀れな姿になっている。一時のSLブームに乗って、多くの罐が自治体などに無償貸与されたが、今やお荷物になっているケースが少なくないのは残念なことだ。ちなみに、2枚目の引付画がかなりブレているが、若気の至りということで。
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- 2025/01/14(火) 00:00:00|
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海辺に駅舎の明りがポツンと灯る
この駅の一日も終わろうとしていた
2024年10月 五能線 驫木
随分と有名になってしまった驫木駅とその駅舎だが、どうも解らないことがある。この待合だけの駅舎は初めからそうだったのか。待合だけにしては大き過ぎるのではないか。1951年に建てられ、2008年に改修されたことくらいしか調べが付かない。こあらまが知る限り1970年代初頭には無人駅だったが、改修前の駅舎の内部がどうなっていたかは記憶が覚束ない。開業の1934年からの17年間は、別の駅舎があったのか、それとも簡素な待合くらいしかなかったのか。ずっと無人駅のようにも思えるが確証がない。そのうち驫木集落のお年寄りにでも尋ねてみたいところだ。
秘境駅のようにも言われるが、相変わらず周囲に民家はないが、駅前に立派な国道バイパスが出来てしまったので、秘境駅の趣ではなくなった。国道101号線が砂利道だった頃は、確かに秘境感があったが、それはこの駅に限ったことではなかった。驫木集落は少々離れた深浦側の丘の上にあり、通学生徒の送り迎えの車が丘の上からやって来るのが毎日の光景だ。驫木の一番の名物は夕陽に浮かぶ木造駅舎だが、今回はそれに続く駅舎の灯をお送りする。静かに夜が更けていく驫木もまたい一興だ。
日本海に茜色の夕日が沈み、海原は漆黒の闇に沈み、微かな潮騒だけが響いてくる。駅舎の灯だけがポツンと闇夜に浮かぶ。そうなると、やはりここは人気のない秘境駅だ。列車が去ってしまえば、訪れる者など稀だ。暫し夜の驫木を楽しんでいると月が昇って来た。間もなく、弘前行きの終列車がやって来る。その後、深浦行きの終列車となり、驫木駅の一日が終わる。そんな時間帯になると、驫木での乗降は極少ない。列車の赤いテールライトが潮騒の中に消えていったが、ステンレス車体は木造駅舎の下見板張りの壁とは、どうにも不釣り合いだった。
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- 2025/01/11(土) 00:00:00|
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朝霧が山から暫し降りてくる
遅い始発列車が北上へと向かう
2024年10月 北上線 相野々
今年も松の内が明け正月も終わりだ。年神様は1月1日に降りてこられ、7日に帰られるという。年神は松を依白として降りてくると云われ、門松などを飾ることになる。滞在中の供え物として鏡餅などの餅を供える。つまりは、正月とは、先祖である年神様をお迎えして、一年の安寧と無病息災を祈願する、年頭の日本古来の行事ということになる。
そんなことはどうでもよく、大人にとっては何連休になるかが気掛りな時期で、子供にしてみればお年玉が貰えるのが楽しみ、というのが現代の正月だ。年神様はともかく、新しい年の初めを祝って、楽しくやろうというのも、それはそれで世につれてという当然の流れだろう。かくいうこあらまも、年神様のことなど念頭になかったことを反省している口だ。
この正月飾りは8日の朝に片付けられて、氏子になっている神社などに集められ、15日の小正月に「どんど焼き」や「お焚き上げ」で焼かれる地域も多い。こちらは、写真屋にとってはいい被写体になるので、狙っている向きも多いだろう。炎が燃え盛る絶好のタイミングで列車が通らないものかと算段するのも楽しいものだ。久し振りに今年は近場のを狙ってみるか。
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- 2025/01/08(水) 00:00:00|
- 北上線
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