飯山線 蓮 2019年
朝から雪を落とし続けた雲が不意に切れて陽光さえ覗く。
それは僅かな幕間であって一時間も経たぬうち、また白い闇に閉ざされるのだった。
千曲の畔の、変わらぬ冬の日である。
Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reserved
にほんブログ村
宗谷本線 音威子府 1984年
こんどは41年前の音威子府、午前3時半。
冴え渡った漆黒の夜空に白いスチームを引いて、下り夜行急行「利尻」が発車してゆく。
最後尾の荷物車に煌々と灯る明かりの下、荷扱の車掌は停車各駅での積み下ろしに不眠の一夜を過ごしているのだろうか。
氷点下30℃の下、一眼レフのミラーが返る音が硬い空気を震わせる。
半世紀近くを経て記憶の深いところに刻まれているのは、素手で握った三脚に指が貼り付く感触だったり、
ジッと間を含んだメカニカルスローシャッターの音だったりする。
視覚の記録である写真は、むしろ視覚よりも饒舌なそれら五感の記憶の糸をそっと手繰り寄せる触媒ではないか。
というようなことを連載エッセイの原稿にしたためております。
Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reserved
にほんブログ村
宗谷本線 音威子府 2017年
最終下り特急が音威子府に着く。
路面が凍結する道北の冬、地元の人でさえ車の運転を怖がるという。
此処に生きる人がいるのなら、鉄道の役割はまだあるはず。
Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reserved
にほんブログ村
霞ケ浦 2024年12月
この季節、この天気と来れば、霞ケ浦の畔に立たなきゃ。
空っ風に波立つ湖面も日没と共に凪いでくる。
筑波山はここから遠望すると名山の趣。やっぱり離れて見るに限るね。
なかなか幕を引かない残照の宴。
鉄道は消えても山河あり。
鹿島鉄道 桃浦 2007年
日帰りながら結局12時間、200km弱のあんまりプチでもないリハビリドライブ。
右手で持ち上げるZ7Ⅱ+24-200mmズーム、こりゃ重いと初めて思ったのは情けないが、
ほぼ1年振りにマトモに写真を撮って、安全運転で帰ったことを喜ぶべきか。
Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reserved
にほんブログ村
石岡駅 鹿島鉄道石岡機関区跡 2024年12月
鹿島鉄道石岡機関区の跡地はマンション用地として売りに出し、累積赤字穴埋めの足しにすると聞いたが。
17年経過後の今も空き地を晒すばかりである。
長年使われた機関区の跡地となれば、染み込んでいるのはエンジンオイル、グリース、ディーゼル燃油。
それらを削り取っても、鉄道の痕跡は有害物質の蓄積となって今時の環境基準を満たさないのか。
それとも駅至近とはいえ市場性は薄いのか。
ここに油が滴る鉄道があったこと。 汗が滴る労働があったこと。
鹿島鉄道 石岡駅 1981年
鹿島鉄道 石岡機関区 2005年
( 続く )
Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reserved
にほんブログ村