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- 2024.12.17 [PR]
- 2011.10.13 配慮ある発言の重要性
- 2011.09.30 期限つき結婚
- 2011.09.04 避難勧告
- 2011.08.25 独裁者と偉大な指導者の違い
- 2011.08.21 周期の話
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横浜でアレが検出されたとか、世田谷にパワースポットじゃなくてホットスポットがあったとかいろいろあるわけですが、そんな中で福島産のお米は全部出荷がOKになった、ということのようです。
それでまあ、それに関するニュースを昨夜9時のNHKのニュースがやっていて、それを見ていたわけですが(で、それについて今頃書いている)出荷が認められた云々というより、何となく農家の人のコメントが気になってしまいました。
その内容はというと録画してるわけではないので正確ではないのですが、「農家は何も悪くないのに(国とか政府あるいは東電のせいで)大変な目に遭っている」みたいなことだったと思います。
で、まあ、それ自体はおそらくそうだろうと思いますし、「原発許容していたんだから責任の一端がある」とかいうようなことは言いません。また、放送のうえで編集とかされていたかもしれないのであの人のコメントが全部そこに集約されていたのかもわかりません。
それを踏まえたうえで言うわけですが、選ぶ権利がある消費者からすると、このコメントはこのコメントで何か作った者として無責任じゃないのかな~というような気がしたのも事実です。
よく芸能人とかが身内が何かやらかして、本人に直接関係ないことでも「ご心配・ご迷惑をお掛けしましたことをお詫びいたします」みたいなことをコメントしていて、その時には「自分でないことのためにわざわざ会見開いて頭下げて芸能人も大変だなぁ」というようなことを思っていたりしたわけですが、そういう会見を開く必要性はやっぱりあるというか、不安になっている消費者とかお客さんがいるわけなので、その点はきちんと触れておく必要があるのかなと思いました。
「ご心配をおかけしてますが、私たちは毎日食べてます」
とかそういうのがあれば、検査結果への信用はさておき食べてあげないとという感にもなるのですが、「悪いのは政府だ」と投げられてしまっては、「それはそうかもしれないけど食べる身にもなってよ」みたいなことを思うのも事実。
くどいようですけれど、あれがコメント全部なのかは分からないですけれどね。
そういう、周りへの配慮ある発言の重要性みたいなものをちょっと感じたりした瞬間でありました。
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終身雇用制度が崩壊し、期限つき移籍とか出向とかそういうのが増えてきた社会ではこういうのになるのも当然?
メキシコ市議員が「2年婚」許可を提案、延長も可能(ロイター)
[メキシコ市 29日 ロイター] メキシコの首都メキシコ市の議員らが今週、離婚手続きにかかる面倒を省くとして、期限を設けた一時的な結婚の許可を認める改革案を議会に提出した。
それによると、「期限付き結婚」の最短期間は2年で、その後2人が幸せであれば延長することが可能としている。2人が別れた場合の子どもや資産の扱いなども盛り込まれた。
改革案をまとめたレオネル・ルナ議員は、結婚に期限を設ければ「離婚の拷問的なプロセスを経験する必要はない」と指摘。改革案は支持を得ており、年末までに採決が行われる見通しだと述べた。
メキシコ市では結婚するカップルの約半分が離婚しており、その多くが2年以内に行われている。
カトリック教会は改革案に強く反対。大司教区のスポークスマンは「結婚の本質と矛盾している」とし、「議会でよく見られる、無責任で不道徳な芝居の一つだ」と批判した。 |
こういうのって記憶が確かではないですがイランにも似たような制度(結婚ではなく婚前交際だったかもしれない)があったはずで、そこでは離婚手続きの煩雑さから役所とか本人たちを解放するというよりは、当人たちの気軽な交際(イスラームはそのあたり厳しいわけなので)を促進する的なものだったかと思いますが。
結婚を一生ものと考えると憂鬱になって、「結婚は人生の終着点」なんて話も出てくるわけですが、「とりあえず2年」とこのくらいに軽めに考えることができるのなら、とりあえずやってみるという人も増えるかもしれませんね。
日本も今大河でやっているお江さんなんかが典型ですが、適当な理由でほいほいと相手を変えるというのもあったわけなので、こういう形での結婚とかあってもいいんじゃないですかね。今の制度になったのは別に国教とかでもないカトリックとかの影響受けたわけなので。
カトリックの人たちはそういう方式を採らなければいいだけなので、グイグイ進めていってほしいものです。
ちょうど台風と同じタイミングで西日本へと帰省し、雨風降る中とかを歩いたりしておりました。
で、台風とかが猛威を振るっていた和歌山とか奈良はそれほど遠くないということもあって、世界陸上やなでしこの試合を見ているときでも避難勧告発令とかそういう話が出ていたわけですけれど、実際のところああいう勧告はどういう形で出されているんですかね。
まず思い出されるのは少し前に阿久根前市長が悪用していた?という市内などのラジオ放送などですが、ラジオを聴いていない人がどうなるのかというのがあります。
あとは昔、光化学スモッグなんかが発令した時にどこにあるのかスピーカーなどから発令するというやり方ですが、夜間の場合はどうするのだろうというのもあります。電話などをかけるというのもこれまた夜半だと職員の人がどれだけいるのかというのもありますし、今日日は電話番号がないところも多いでしょうからね。
そもそも避難区域に行くと言っても、そこに行くまでに大雨の中を移動しなければならないとすれば、行くまでに事故とまではいかなくても負傷などしてしまうという本末転倒の事態になる可能性とかもありそうです。
既に9月1日は過ぎてしまったわけですが、単純に避難地域の場所を把握するだけでなく、何通りかのパターンで考える必要とかがあるのかもしれませんね。
そこまで行政にやらせるのは現実的ではないので、自分たちで色々考えておく必要とかがあるのかもしれません。
リビアのカダフィ政権が崩壊しました。
一時期は偉大な指導者みたいな扱われ方もしていたカダフィでしたが、現在は堕ちた独裁者というような扱いで衆目が一致しているところ。
それとは全く関係ありませんが、レアル・マドリーの監督ジョゼ・モウリーニョも好き放題しているということで、「世界一の指揮官なのか、クラブイメージを決する独裁者なのか」みたいな記事もあったりしました。
この境目はどこらへんにあるのだろう…というようなことを考えてみたりしたわけですが、実は本人でなくて、外が決めてるだけというような気がします。
周りが認めるならリーダーシップある偉大な指導者で、認めないのなら独裁者ということで。簡単なことだけどもうそれだけの違いでしかないのではないかと。で、それを決める基準があるのかというとおそらくないんではないかと、単なるイメージ上のものにしか過ぎないんじゃないかという気がします。それこそカダフィに対する評価もそうだし、日本なんかだと織田信長に対する評価が近いかもしれないと。
それと似たようなのが、一途とストーカーの違いなのかもしれません。
仮にある男性が「どんな困難が待ち受けていようと、お前を愛し続ける」とある女性に言った(逆でも可)として、その女性にとってその男性が好みのタイプならこれほど幸せなことは多分ないでしょう。そうでないなら迷惑なだけだし、嫌いだったら単なるストーカーだと。
もちろん、性癖なども加味される部分も多少はあるのでしょうけれど、基本そんなところではないかと。
だから独裁者かストーカーがいいと言うつもりは毛頭ありませんが、違って見えるものが実は単なる見方の違いに過ぎんというようなことは他にも沢山ありそうな気はします。
何でも三陸沖の大津波は1000年に1回くらいの割合で起きていたとかいうような話があったようですが、それでふと気付いたのが、「あの地震があってから、東海大地震と関東大地震の周期の話ってあまり聞かなくなったような気がする」ということ。
確か東海が70年くらい(前回は1944年)で、関東が100~150年(前回は1923年)ということで、残念なことにそろそろ起きそうなわけで、実際以前定期的にそういう話があったわけですが、3.11の後は浜岡の時にそういう話が多少あったくらいで、いざ関東で地震が起こったらという話は聞かなくなったような気が…私の気のせいかもしれませんけれど。
こんなことを言うと怒られるかもしれませんが、東北はもう起きたわけなので近いうちには起きないだろうということがあるので、今度移り住むなら関東より東北に移る方がいいのかもしれませんね。
もちろん、住むところを自分で選べるような立場ではないわけですけれど。