蔡大人の邸宅は、ネオ長安の中央にあった。
地球の故宮を模した、いかにもソレらしい建築に、遮那は呪術的な檻の不快感をあらわにした。故郷の聖宮の清浄さはなく、戒めに似た昏い罠を思わせたのだ。
庭園は風水にかなうよう、陰陽を備えた完全な世界をあらわしている。また、本物の古代中華の青銅の香炉には、おそらくは遮那のために、秘宝中の秘宝、蘭奢待の芳しい香が焚かれていた。が、彼女にはそれさえもまやかしめいて、妖しく思えた。
蔡は、遮那の到来を予見していたのだ。
それでいながら、優美な絹の服に着替えさせられたときにも、遮那はとくに抵抗しなかった。十二人の、天女のような美女がよってたかって、遮那の服を脱がして新しい衣装を着せかけ、髪を結い上げて化粧をほどこして簪をさした。
それは古代中華の妃や姫の衣装だ。
最後に、高々と結い上げられた黒髪に咲き誇る大輪の真紅の牡丹を花挿すと、美女たちは口々に自分たちの作品である遮那を興奮して褒めたたえた。
彼女たちは蔡の女細作であり、愛人のふりをしたボディガードだ。護身術程度の抵抗で、防げるものではない。
遮那は無腰だった。
レイは、色っぽい美女たちに取り囲まれながら満更でもなさそうな風だったが、女物を見せられた瞬間、猛ダッシュして庭に走って逃げた。それ以降は頑として、病院から抜け出したままの格好を通していた。
諦めた美女たちが去ると、それでももの珍しそうに、または注意深く、中華の御殿を眺め回していた。レイの透視能力をもってしても、彼らに害をなすような仕掛けは見つけられなかったらしく、最後には椅子に黙って腰をおろした。
蔡は滅多なことでは人にあわないと伝えられていたので、本人が出てきたときにも遮那は影武者ではないかと思った。
「お初に御目文字いたします。遮那姫様」
蔡はたいそう流暢な日本語を話した。贅沢な縫い取りのある黄色の絹のチャイナ服で、小柄な身体を覆っていた。その全身に溢れんばかりの霊力が、うざったいくらいの勢いで押し寄せてくる。
「その折には前星帝陛下のご葬儀にも参列できず、失礼をいたしました。心より、お悔やみを申し上げます」
遮那は、礼をうけただけだ。
思い出すのも呪わしい出来事が、彼女の頭を駆け巡っていた。それは、霊能者、蔡の罠だった。遮那は出会いの瞬間に、蔡に能力を透写されてしまったのだ。
「船には、私のほうから連絡をいたしましたのでお迎えの来る間、ごゆるりとお過ごしください」
「大人、あの妖魔の存在を、貴方はどう見られているのですか」
レイの共通語に、蔡が白い眉をかるくひそめた。そして、直答をさけるように、傍にいた男に視線を投げた。黒い服を着た男がなめらかな口調でこたえる。
「病院に被害はありません。今現在、あなた方が運ばれた女性患者が失踪したくらいで」
「動ける身体ではありませんでした。」
レイの言葉に、男は首を横にふるだけだ。「ただ今、シャーレンダール中尉がお着きになられました。お食事の用意をいたします」
男が言い終わる前に、騒がしい物音が背後で響いた。
「蔡大人、ゆうゆうとしている場合じゃないだろうが」
アッシャーの声だった。どうやって取り戻したものか、彼は黒のつなぎを着ていた。物音は、アッシャーが衛兵の男たちを殴り倒して門からここまできた音だろう。
蔡は、アッシャーの姿に優雅に微笑んで礼をした。
「これはこれは殿下、ようこそお越しを。今、晩餐の支度をさせております。お話は、その席で」
アッシャーは何か言い返すつもりで口を開きかけたが、青い顔をした遮那に目をやって、椅子に腰掛けた。
蔡が退出したあと、アッシャーはレイに服を投げて渡した。
「ありがとう。無事でよかったよ」
レイはすばやく服を着替えながら、アッシャーに言う。
「無事どころか、間に合いもしなかった」
アッシャーはそう言って眉を寄せて、遮那に視線を投げかけた。反応がないので、彼はしかたなく、バッグと白いワンピースを遮那の横に置いた。
「おい、ずっとこの調子か?」
「う、うん」
レイのためらいに、遮那が口を開く。
「ごめんなさい。レイは知ってるものね。自分で言うわ。わたしは蔡大人に隙をつかれて呪の罠に嵌まったの。大丈夫、すぐに呪は解いたから。ただ……」
遮那はうつむいて目を閉じた。その手は、取り戻された星の端末機を握りしめ、回線を完全に切り離していた。レイもアッシャーも、同じように一時的に回線を切る。ブリッジは騒然としているだろうが、覚悟の上のことだ。
遮那はそれからしばらくして、細く浅い息を吐きながら、切なげに続けた。過呼吸の発作を懸命におさえているのだ。
「今から二年前、私のいとこで許婚の皇子が前星帝を殺害して、失踪したの。彼は神器のひとつ、草薙の剣を奪って、それで祖父を、殺したのよ」
アッシャーは、口を閉ざしたままだ。
話は、それで終わっていない。遮那は浅い呼吸をくりかえし、苦しい胸を片手で押さえるようにして語る。
「わたしはそれを見てしまった。あの人は、わたしに言ったわ。こうしなければ、わたしが死んでしまうのだ、と。わたしは彼が狂ったのかと思った。何か恐ろしい妄想のようなものにとりつかれたのかと。彼は言ったわ。遮那は地球の守護者になって、この地を守りなさいって。魔王はいつか地球にやってくる。それを防ぐには、おじいさまの身体が必要だって。おじいさまは地球にばらばらにして埋められて、その霊力で障壁をはっているの。わたしは知らなかったけれど、三十年前、おじいさまはご自分のお母様の身体をそうやって埋めたのですって。あの人は、剣をもって、魔王と戦いにいくって言ったわ。それで、こんなことは終わりにしようって。わたしが誰かに殺されたり、誰かを殺したりする前に、終わらせるんだって」
遮那は――遮那姫は、それでも泣いていなかった。
泣くのを、懸命にこらえていた。
その黒い瞳に、光る星が宿っていた。
遮那はひときわ大きく肩で息をついてから、赤い唇をかみしめて、さらに言葉を重ねた。
「おじいさまの遺書には、たしかに、あの人の言うとおりのことが書いてあった。もうそれしか方法がないって書いてあったけれど、それは違うの。わたしには、その前に降魔の剣が下されていたから。心優しいあの人にかわって、本当はわたしが戦わないといけなかったの。剣を抱いたその日に、おじいさまは、魔王に会いにいってみるかと訊かれたのよ。でも、わたし、嫌だった。あの人と一年後に結婚することが決まってたし、あの人はとても優しくて、いつでもわたしのことを大事にして守ってくれて、それが当たり前だと思ってた。わたし、それなのに、あの時、血塗れのあの人が怖くて足がすくんで、さよならも言えないで、あとも追えなかった。なのに、あの人は、最後まで優しくて、こんな残酷な場面を見せてしまってごめんね、って。人払いがしてあったのを、見に行ったのはわたしなのに。ごめんねって……」
レイが、彼女の震える肩にそっと手をおいた。その横でアッシャーが乾いた声で言った。
「それで、おまえは魔王と戦いにいくのか?
それとも、おまえを守るために魔王のところに行った、その男に会いにいくつもりなのか?」
遮那は瞳をあげて、アッシャーの横顔を見つめた。
「許婚を追っていくのなら、今すぐ地球に帰ったほうがいい。それが、その男のためだ。おまえのしていることは、その男の決意を無にしている」
アッシャーがそう言って、青い瞳を向けた。
「でも、わたし、降魔の剣を」
「そんなもの、この宇宙にたくさんの剣士がいるさ。ほかの奴にくれてやればいい」
「だって、わたしの身体の中に、あるのよ」
それには、アッシャーもレイも、目を見開いた。そんな話は聞いたことがなかった。その意味もはかれない。
「だから、わたししか、使えないの」
そう言い切った遮那に、次の瞬間、アッシャーが高らかに笑った。そして初めて会ったとき同様の、ぎらぎらする強い瞳で迫る。
「世の中には、宝の持ち腐れって言葉もあるんだよ。そういう自惚れで、戦場についてこられても迷惑だ」
「わたしっ」
遮那がさらに何か言いつのろうとしたとき、涼しげな鈴の音が鳴った。
先ほどの、天女と見まがうように美しい女たちが、料理を運んでやってきたのだ。
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