女の意識は戻らなかったが犯人はあっさりつかまった。
付近に倒れていた麻薬常用者だった。
男は、あの女は蛇女だと言って、俺はそいつを始末しただけだ、と口にしていた。なにぶんにも幻覚症状をともなう麻薬患者だ。 物盗りにでも入ったところ抵抗され、至近距離から撃った、そんなところではないかと警察は判断していた。
話を聞き終えた遮那がつぶやく。
「明日中にあの女の人、気がついて、バスタブくらい搬入できないかな? わたしの専用機、そんなにモノ入らないもん」
検査待ちで病院の椅子に座ったままやけに真剣に口にするので、レイがとうとう子供を見るような顔で呆れて、かるく笑った。
「姫はほんとうにマイペースですね。お姫様らしくわがままです」
「だって、小さな頃からこれできちゃったんだもん。急に軍隊に入ったからって治らないわよ」
遮那が赤い唇をとんがらかすと、レイが今度はしみじみと笑った。
「僕が男性になりたいのは、それとまったく逆ですね。僕は自分自身をつよく律していきたい。男性というのがそういう存在だと学んで、そういうモノになりたいと思いました」
遮那はそのとき、レイが女性になったらどんなにか綺麗なのに、と思っていた。
まるで、髪や瞳の色こそ違うけれど、レオナルド・ダ・ヴィンチの『岩窟の聖母』の天使のようなのに。両性未分化の今だって、こんなに美人なのだ。
でも、男性になりたいと思っているひとに、そう返すことはできない。
「窮屈じゃない? そういうの」
遮那の言葉に、レイは豊かな金髪をゆらして首をふった。
「窮屈なのは、国での暮らしです。僕は自分自身を律して、そうした暮らし自体をもっと楽しめるようになりたいんです。国では、女性は大切に扱われますが籠の鳥のようなものです。いつも美しく、男性の庇護を与えられるように、女性らしく。誰かに頼って生きていくしかないのです」
「ああ、そのほうが窮屈だね。でも、いつでも誰かに頼られるってのもキツくないの?」
遮那の問いかけに、レイはやわらかく微笑んだ。
「僕達はたしかに女性を崇めるように愛し、命を捧げます。僕にはその献身は理解できますが、自分がもし女性だったらと思うと、たしかに強い戸惑いも感じます。矛盾するようですが、それなのに、自分の愛する女性に頼られること以上の誇りはないとも思うのです。僕の命はそのひとのものです。何があろうと、僕は愛するひとを守り抜きます」
今度は遮那が黙り込んだ。病院らしい清潔なにおいの中で、遮那は小さな息をついた。
「わたしにも、そういう人がいた。その人がいれば、それでよかった。でも::」
そう言って、うつむいた。
「遮那姫?」
レイが声をかけたが、遮那はそれ以上なにも言わなかった。
レイが横で心配そうに細い眉をよせているので、遮那が笑った。
「写真、とれなくて残念だったね」
「あ、それは……」
レイは真っ赤になってうつむいた。遮那はその可憐な姿を見つめ、それから自分の左隣のアッシャーに視線をうつした。
二人のとなりで、アッシャーがぴくりとも動かず死んだように眠っている。
「アッシャーは寝てるね」
遮那が小さな声で、右となりのレイに言った。レイは真顔でそれには反論した。
「アッシャーは眠らないんです。傭兵をしてた頃から、眠らないんだって」
「ふーん。そう」
遮那は目を閉じているアッシャーの、かっこのいい鼻の頭をつまんでやろうかと思っていたところだったのだ。が、よくよく様子をうかがえば、まるでスキがない。おまけに、左手に長剣の柄が握られていた。眠らないのは話半分にしても、過酷な半生をうかがわせるには十分な姿勢だった。
「アッシャーは左利きなの?」
「いえ、両方使えるそうですよ。ただ、左の方が同じ人間相手なら有利なので。ユーリも剣は左でもつことが多いですね。僕も場合によっては左を使います」
「へええ」
遮那は一度、アッシャーと剣を交わしてみたい誘惑にかられている。たぶん、戦いにならないだろうけれど。遮那には、アッシャーの呼吸さえ読めないのだ。
気配が読めないのと同じだ。
勝てるはずがない。
(異星人だから? それもあるけど、アッシャーは強いんだ。体力的にも精神的にも、そして霊能力でも、人より何倍も、何十倍も優れてる。それでいて、それに甘んじず自分にとても厳しい。レイの言葉のように、男性的、なのかな?)
でも、美しい。
白い肌と銀のまっすぐな長い髪。ごく整った顔立ち。
ルネッサンスの彫刻家、ドナテッロのつくった『少年の洗礼者ヨハネ』を思わせる。
遮那は、彫刻家では一番にドナテッロが好きなのだ。
少年のヨハネは荒野に彷徨う過酷な宿命と、物語られる凄艶な死を予見しているのか、呪われたもののように立ち尽くし……それでも、顔をあげて前を向いている。
遮那はその前に立ったとき、切なくて泣いた。気付いたら、泣いていた。涙があふれて止まらなかった。
けれど、今隣に座るアッシャーは少年ではない。細身に思っていたけれど、こうして並ぶと広い肩や厚い胸に気付く。腕も長いし、足なんか、羨ましいを通りこして邪魔なんじゃないの、と思うくらいの長さだ。見かけ倒しじゃない、しなやかな筋肉のついた肉体は、まるで戦うために生まれてきたのだと言わんばかりだ。すでに、骨格がまるで自分とは違う。女と男という違いではなくて、根源的に何もかも違う気がする。
(でも、美しいと、思える)
遮那は素直にそう思う。本来、黒髪の、繊細な美しさをもった人物のほうが好みなのだ。たとえば、リョウのようなタイプ。けれど、アッシャーの美しさは感じられる。
よく鍛えられた刀剣のような……。
(違う。日本刀のもつ芸術品のような精緻な美しさじゃない。もっと実戦的な、今、彼の持っているような両刃の長剣だ。鋼の強さと美しさ。でもそれは血と肉片のこびりついた、武器としての美しさだ)
武器。
遮那は、自分の発想が、以前とはまるで違うことにはっとした。
美しいものを武器と、人を殺す道具とたとえることなどなかった。
他に、譬えはたくさんあるはずなのに。
(わたし……)
遮那は自分の変わりようにどぎまぎして、アッシャーから視線をはずした。
時計を見ると、もう六時をまわっていた。
「ねえ、ご飯って病院で出してくれると思う?」
「それはわかりませんが、いずれにしろ検査が終わるまでは無理じゃないですか」
「だよねぇ。でも、おなかすいたね」
遮那は、朝食のあとは、ジェラートを食べたのが最後だ。レイなど、それも食べていない。文句を言わないのは軍人のせいか、レイの貴族らしい礼儀正しさのせいかわからなかった。
フォルタレザ星人は二十四時間の一日で、三食を食べるという点では地球人と似ている。ただ、睡眠時間は違う。七時間、八時間の睡眠を確保するよう指示されるのは地球人くらいだ。彼らは地球でいうナポレオンのように、四時間も眠れば十分すぎるほど眠ったことになるそうだ。
「リョウに頼んで、病院側に手をまわしてもらえばよかったかしら」
レイがそれには激しく首をふった。
「いけません。月基地の責任者はサダト系人です。実直なサダト系人は月の蔡大人とは犬猿の仲ですから」
「でも、じゃあ、同じサダト系人なら副艦長が早く月から出たがってるのはどうして?」
レイは、眉をひそめて小声で説明した。
「民間ルナポートの間借り料金が高額だからですよ。基地の責任者はサダト系人ですが、雇っているのは月人です。彼らはそろって高額納税者です。月人は妖魔を倒せない金食い虫の我々の無能を嫌い、せめてもの意趣返しにルナポートの賃貸料を値上げしたのです。月人はプライドが高く、自分たちのルナポートと隣接するコロニーを守る優秀な特殊サービス部隊を持っています。彼らと無頼の我々が上手くいくわけがありません」
「ああ、あのカートを運転してくれたカッコイイ軍服着た、ハンサムなお兄さんたち?」
「そうです」
「たしか、月守護警備隊だっけ」
レイが気まずそうにうなずく。
「なるほど、どっちが正規軍かっていう感じよねぇ」
うまくいかないねぇ、といくらか力ない声で遮那が口にした。
そういえばさっき検査してくれた看護士のお兄さんとお姉さんは、はじめはレイとアッシャーの美貌に微笑んだが、金の星の端末機を見た瞬間、急に冷たくなってしまった。
月に妖魔の襲撃はない。それでも、銀河系のほとんどを妖魔に占領されてしまった無能な軍人を喜んで迎える人は少ないのかもしれない、と遮那はぼんやり思ったその時。
「妖魔だ」
アッシャーが剣を手にして立ち上がった。レイの瞳が窓へ向けられた。
「なっ……」
遮那の声が喉で凍った。ガラス窓のむこうに、異様な生き物が蠢いていた。それは、竜、としか呼べない生き物だった。
レイが胸から銃をぬいたが、アッシャーがその右手を上からおさえた。
「撃つな。向こうは、こっちに気づいてない」
「でもっ、大きな被害が出てからじゃ遅すぎます。ここは病院です。動けない人がたくさんいる。その人たちが犠牲になってしまったら……」
「その心配はないだろう。明らかに、ヤツは何かに狙いを定めている風だ」
アッシャーがそうこたえて、レイを見た。たしかに、襲うなら今にでも建物に炎を吹きかけるなり、体当たりを食らわせるなりしているだろう。レイが竜の姿をホロに納めている間、アッシャーは二人の靴を隣室から投げてよこす。
「遮那」
アッシャーが、遮那の肩をたたいた。
遮那はイスから立ち上がっていなかった。正確にいえば、立ち上がれなかったのだ。
「聞こえるか? 俺は後を追う。レイとこの場をはなれて、蔡大人のもとへ逃げるんだ」
逃げる、という言葉にはじめて遮那は反応した。
「バカにしないで。いくわよっ」
巨大な影は階上へゆらりと、身をくねらして上っていった。病人も看護婦も医師も、彼らには妖魔の姿は見えていないのだ。これが感能力の違いのせいなのか、遮那は考える余裕もない。ただ、妖魔の存在に圧倒されていた。
「端末は使うな。気づかれる」
アッシャーがエレベーターでなく、非常階段をあがっていく。レイが、やっと靴をはきおえた遮那の手をひいた。
「ちょっと、はなしてよ。服とバッグ、端末もあっちなのよ」
「ダメです。上官命令ですから。行きますよ」
レイは、遮那を軽々と抱き上げた。
「や、やだっ、なにするのよっ」
レイはエレベーターに彼女を抱き上げたまま運んでしまった。この細腕でよくも、と思うほどの力強さだ。暴れてもビクともしない。
無情にもさがっていく箱の中で、遮那は長い竜の尾を見つめていた。それはぬめりを帯びた蛇の鱗のような肌に覆われ、ゆうゆうと中空を舞っていた。
「あれが、妖魔、なの? あんなものと、どうやって、戦ってきたの?」
遮那の声がかすれた。レイは、彼女の身体をしっかりと抱きしめて銃を手にしながら言った。
「戦い方がわからなくて、我々は負けたのですよ。奴らは肉体をもっていながら、精神生命体のようです。レーザー砲のようなもので傷つくこともありますし、銃で殺傷できるものもいます。けれど、中にはまるで致命傷を負わないものもいます。彼らは人間の心を支配し、惑星ひとつひとつを自分たちのものにしていきました。彼の、アッシャーのいた銀河系ではその大半が彼らに支配され、日々、人間が餌食になっていたそうです」
「そん、な……」
遮那は、地球にいて知識でしか知らなかった事実を思い知らされていた。
「月にまであんな大きな妖魔がやってきているなんて、一刻もはやく艦長に知らせないと」
レイはとても冷静だ。
「アッシャーは、あんな大きな妖魔とどうやって戦うの?」
遮那は急に不安になった。レイはようやく地上についたエレベーターから出て、遮那を抱きかかえたままこたえた。
「彼は傭兵として今まで多くの妖魔を倒してきました。大丈夫ですよ」
「違うの、どうやって、戦うかきいてるのよ」
レイは病院を振り返った。竜の禍々しい影は見えなかった。それでも黄色いタクシーをひろって、遮那を無理やりにおしこむ。
レイは念のため、身分を証明する星の端末を掲げてみせた。
「蔡家まで、お願いします」
「かしこまりました」
タクシーの運転手は二人の格好に一瞬だけ目を見開いたが、無関心を決め込んだようだ。
明らかに、面倒には巻き込まれたくないといった様子だ。
レイは油断なく銃を手にしながら、遮那に語った。
「彼の長剣を見てますよね。妖魔には、剣が一番効力があるのです。地球の、古代の英雄が皆そうだったように。私の星の英雄もそうです。彼は、ドラゴンスレイヤーなのです」
遮那は、走り出したタクシーの窓から必死に病院を振り返った。
騒動はおきていないようだった。
はしり過ぎる街の灯りが、虚しいくらい輝いて見えていた。
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