「モーリス!」 名前を呼んだのが、ほんとうに猫だったのかどうか、そのときにはもう、わかりませんでした。
「モーリス、モーリス、いるのかい、モーリス!」
ドアをせわしなく叩く音がして、ああ、あれはおばあちゃんだ、と気づきました。おばあさんはおかあさんとそっくりで、せっかちなのです。そう思ってから、それは順番がぎゃくなことに気がつきました。
彼はそれからぱっちりと目をあけて笑いました。見覚えのない天井は、間違いなく昨夜とまったホテルのもの。みんなが泊まる、あの素晴らしいパラドールではありません。もっと手前の、雨のふるこの地方らしい、ぼやけた壁がなんともうすさびれて見える、ホテルの二階の部屋でした。
モーリスは電話に出ようとも考えましたが、けっきょくはおばあさんを先に出迎えることにしました。素足のまま足をおろすと、猫がはじめてあったときと同じようにすりよってきました。
目があっても、猫はみゃあと鳴くだけでした。もちろん真珠色の翼は生えていませんし、たぶん、もう二度とふたりだけのときもおしゃべりしてはくれないでしょう。いかにも賢そうな瞳をした、それでも、どこにでもいるふつうの子猫です。わかってはいましたが、モーリスはすこしだけ悲しくなりました。足にまとわりつく子猫を片手でもちあげると、猫がだいぶ大きく、重くなっていることに気がつきました。
「はい、おばあちゃん」
ドアを開けるのと同時に、おばあさんはモーリスにぶつかってきました。おばあさんは泣きながらくりかえしモーリスの名前をよんでその顔を撫で、寝癖のついた巻き毛をかきまわし、まくしたてるようにお説教をはじめたとたん、白い猫に頬を舐められて、びっくりして声をあげました。それこそ、隣の部屋に寝ているひとが飛び上がるほどのものすごい声でした。
それからのことは、受付で電話をかけていたわたし、マルゴことマルグリット・タカナシ、モーリスの双子の妹が登場します。ようやくこれで、きちんと説明ができるように思います。
わたしが部屋にいったときにはすでに、おばあさんとモーリスはすっかりくつろいで、スペインオムレツのある朝食を前にして、しばらくぶりの再会を喜ぶといった具合でした。気をきかせた支配人さんが、部屋で食べられるよう、すぐに朝食を用意してくれたのです。ハンサムな給仕のお兄さんが気取っておばあさんをエスコートしてくれたせいで、おばあさんはモーリスを解放したようでした。
このホテルの支配人さんは、はるか昔に、わたしたちのおじいさんの恋敵だったそうです。当然、あとから運ばれてきたケーキもオレンジジュースもなにもかも、支配人さんの心づくし。今はそのおはなしは関係ないので割愛させていただくのですが、これをモーリスが知らないのは不公平な気がするので、彼がもうすこし大人になった――ずいぶんわたしが大人ぶっているように思っておいででしょうが、女の子のほうがたいていの場合、男の子より早く大人になっているもので、わたしたちの場合もその例外ではないということをご承知おきください――とっておきのお話として、語ってみようと思います。
そうでした。わたしが受付から電話をしたのは、兄のモーリスに不意打ちを食らわせたくなかったからです。心がまえの時間くらい、用意しておきたかったのです。モーリスは、なんといっても書き置きも残さずに家出をするような男の子ですから。本人は、巡礼の旅に出たのだと言い張るでしょうが、わたしが御守りをつけていなかったなら、今ごろどんなめにあっていたかわかりません。
裏工作のほとんどすべては、わたしの企みです。モーリスが家を出て十日間は、両親とも出張とヴァカンスに出ていたのでそれは都合よくことを運ぶことができたのです。モーリスがわたしのいる学校に遊びにきていること。そこで巡礼のひとたちと仲良くなったこと。彼が、その親切な大人のひとたちと一緒に旅に出たこと……などなど。
もちろん、嘘です。しかも、すぐにうそだとばれるような嘘です。わたしはまだ子供ですので、完全に大人をだしぬくときにはこんなまずい方法はとりません。叱られたくはありませんし、たったひとりだけのきょうだいに危ない真似をさせたいわけでもありません。ですが、モーリスのために、わたしは失敗しないとならなかったのです。
だって、そうでなければ、わざわざ家族なんてやっている意味はないではありませんか。
それに、正直にいいますが、モーリス自身の力もあったのです。
彼の知り合ったひとが、わたしたちの両親を説得してくれたのです。そう、サンティアゴ行きのバスに乗せてくれたギター弾きさん。あのひとが、アルルでモーリスを家に連れて帰ろうとしたひと――例によって、母の会社の知り合いです――から事情をきいて、中学生になる十ニ歳の男の子を、無理やり連れ戻さない約束をとりつけてくれたのです。ほかにも彼を見守り、応援してくれたひとがたくさんいて、モーリスの旅はこうして無事に終わろうとしています。
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