「パリからひとりで来たんなんて、すごいね」
長い髪をひとつにまとめた若い女性は、モーリスと同じようにひとりで、この星の巡礼路をバイクで走りとおしたひとでした。やはり絵を描くひとでしたので、モーリスは自分の箱を見せて、そこに訪れた街のことなどを描いてもらいたいと思いました。
「それは光栄だわ。でも、その前に旅の話しを聞かせてくれないと」
彼女はかわいらしいえくぼを見せて、モーリスにも葡萄酒をついでくれました。
モーリスはこわごわとグラスを傾け、ちろりと舌で舐めました。思ったより、苦くはありません。美味しいとまでは思いませんでしたが、葡萄ジュースとそれほど変わらないように感じました。ちょうしに乗って、そのままゴクリゴクリとのどを鳴らして飲み込みました。先ほどと違い、今度はすこし、身体がぽかぽかして雲の上に浮かぶようないい気分になりました。彼女はいたずらっこのように目を細め、それからたっぷりの水と氷とジュースを入れて、なおかつ蜂蜜までたしてくれました。
そうしてモーリスはきかれるままに、旅の思い出を話しました。
愉快なギター弾きさんのことはもちろん、パンとチーズをよけいにもたせてくれた旅籠のおかみさんのことや、隣町まで送ってくれた郵便配達のおじさんのこと。ホテルの従業員に猫が見つかりそうになってあわてて帽子の中に隠したこと。とうとう見られずじまいだったゴッホの跳ね橋や、大きくてびっくりした水道橋のこと。修道院の中庭の泉水をこっそり飲んだこと。名前も知らない、絵葉書もない小さな教会のミサ曲が今でも耳の奥に残っていること。地下の祭壇にある聖遺物にお参りしたこと。野良犬に追いかけられたこと。夕立にあって下着までびっしょり濡れて、全部を木でできた橋のうえに広げて乾かしたこと。猫が川べりをそれはじょうずに泳いでみせたこと。
話すうちに、そのひとはカバンからペンやクレパスを取り出して、絵を描きはじめました。モーリスが見惚れてことばをとめると、彼女はにっこりと微笑んで続きをうながしたので、モーリスはつぎつぎに話しを続けないとなりませんでした。向かい側に座ったひとは、きちんと彼にあいづちをうちながらも手を動かすことはやめませんでした。モーリスにはどうやったらできるのか、まったく想像もできない芸当です。
彼が話し疲れたころ、絵はできあがっていました。蓋の裏全面に、モーリスの話したことがたくさん散りばめられていました。ぱちぱちと目をしばたいていると、彼女は道具をきちんとしまい、ゆっくりと椅子から立ち上がりました。
モーリスがお礼をいうと、そのひとは髪を揺らして首をふりました。
「こちらこそ、どうもありがとう」
そこで、彼女はなにかを思い出すように瞳を伏せてうつむきました。それから顔をあげて言いました。
「あのね、よけいなことかもしれないけどきいてくれる?」
モーリスは目の前のひとがなにを言い出そうとしているのか察しがつきました。たくさん話したあとで喉が疲れたのか、モーリスはただうなずくことしかできませんでした。いえ、今になれば、ほんとうは彼だってわかっていたのです。
「明日、サンティアゴ大聖堂についたら、おうちに電話してくれる?」
そのひとは、けっしてお母さんのような口調ではいいませんでした。モーリスはうなずくかわりに、きいてみました。
「いつになったら、親になにも言わずにひとりで出かられるようになりますか」
その質問にはちょっと肩をすくめて、お説教のあとの気まずさを振り払うようなくだけた笑みが返りました。
「それは、ひとそれぞれじゃないかなあ。違う?」
モーリスも笑いながらうなずきました。なんだか、ほっとした気分だったのです。まる一日お日様のしたを歩いてきて、ようやくリュックをおろしたときに、背中にすっとひんやりした空気が触れるような感じです。
モーリスは同い年の妹が、ひとあしさきに飛び級でコレージュにいってしまったことで、すこしだけ焦っていたのかもしれません。でもほんとうは、それはなんでもないことなのだと、気がつきました。明日、まずは妹に電話をしようとモーリスは考えました。電話をしたあとは、もっと違う気持ちになるかもしれません。それがどんなものなのかわかったような気がして、モーリスはもういちど微笑みました。
でも、ほんとうはちっともわかっていなかったのです。
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