カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2011.12.9 「道徳」

                                                  カメキチの目

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 前に「いじめ」について書いたが、また書く。

 ともかくニュースで聞くことが多い。

 悲しい。情けない…

 この前から怒ってばかりでいのちが縮まるが、縮んでもいい。

「い・じ・め」と聞くだけで、気分が悪くなる。気うつになる。

どうやって考えても「いじめ」を正当化する理屈は「へ理屈」としか思えない。

 これに「自殺」と続くとやり切れない。

 

 いじめられることで人生を閉じよう、お終いにしようというのは、その人にとってはそのいじめがたえられないほど辛く、苦しいからにちがいない。

 ひと口に「いじめ」といってもいろいろ(「種類」「程度」)あるが、一つひとつが他とはぜったいに取り換えができず、AくんにはたえれてもBくんにはたえられない。

そして、(子どもの場合はとくに)いのちが「消える」「死ぬ」というナマの体験を味わい、感じたことがあまりないと、安易に逃げ道として「死」を選びやすいのでしょうか。

(あってもゲームなどバーチャルなものであったりするのも関係しているのだろう。

おとなは再び生きられないとわかっていても、子どもはなんどでも生き返ればいいと思いやすい)

 まだちょっとしか生きていないだけに痛ましい。

 痛まし過ぎる…

 

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 先日のニュースで、道徳・倫理が「いじめ」を減らすのに効果があるらしいということで(国が設置した「いじめ防止対策協議会」の報告をうけて。一般へのアンケート調査もそれを裏づけていた)、国はこれまでの通りいっぺんの道徳教育に、「考える」ことをとり入れ、「議論」にまで発展させる道徳を実施するように「指導」するようだ。

 ようするに、「道徳」教育の重視。

それは結構なことです。私は「なんでも反対」ではないので賛成します。

(それでも、「政治家・官僚などが率先して範を示せばいいのに…」。でも、それを言っちゃあオシマイ)

 

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 道徳教育が重視され、少しでも「いじめ」が減り、それを主な原因とした「自殺」が減るならすばらしいことだ。

 

 おとなと違い子どもはすなおだから、学校で先生に「道徳」「倫理」という人の道の教えを、100%額面どおりに真剣に聴いてくれるにちがいない。「そう教えてくれる先生はどうなん?」と口ごたえはしない。

「鉄は熱いうちに…」などともいいます。

私は小学2年生のとき、校庭を掃除していて担任から言われた「人間は陰ひなたがあってはいけない」といわれました(それまでサボっていたくせに、先生が見回りにきたときだけ、さもきちんと掃いていたかのように振るまっていたのだろう)。その教えが今もはっきり残っています(その教えを忠実に守って生きてきた自信はまったくないですが、人の道をはずしそうなときには「心の声」となって律してくれた。先生、ありがとうございました)。

 あんがい効果が期待できそう、と私は思った。

 

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 あくまでも、子どもの「いじめ」である。

 

「道徳」「倫理」が、おとなになっても持続したならば、国民はモリカケ問題の国会やり取りをみたり聞かなくてすんだにちがいない。

 いまのような世の中にはならなかったにちがいない。

 シャバではキリがない。

 たとえば「オレオレ詐欺」(いまは「多様化」し、「特殊詐欺」というらしい)のように。「盗撮」のように。モノづくり日本の信頼を根源から揺さぶるような大企業の「不正」隠しの連発のように。

 

 あまりに道徳が廃れた現代日本。

 

「道徳」「倫理」は、私たちおとなにこそ必要とされている。

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『社会人のための道徳・倫理 基礎講座』でもあるといい。

 

 おとなが 「ウソの国会答弁」「オレオレ詐欺」「盗撮」「不正」隠し…をしなくなれば、子どもの「いじめ」もなくなるに違いない。

 

 

                  ちりとてちん

 

 

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