呉服店を起源とする日本の老舗百貨店である三越。
江戸時代前期となる1673年、現在の日本橋室町で創業し、
当時は掛売り(ツケ払い)が一般的だった中で、
「現銀掛値無し」など画期的な商法を次々と打ち出しました。
また、現在では当たり前の正札販売を世界で初めて実現し、
当時は大名や武家や富裕層だけのものだった呉服を、
一般市民にも浸透させています。
その後1904年(明治37年)に三井家の「三井」、
そして創業時の「越後屋」からとり、
「株式会社三越呉服店」へと改称し、
1928年(昭和3年)には「株式会社三越」となっています。
1970年代にはパリ、マドリード、デュッセルドルフ、ハワイなど、
海外の各地にも進出していたのですが、2000年代に軒並み撤退。
そして今月10日、ローマ市街地の中心的な通りの1つ、
ナツィオナーレ通りにあったローマ三越も閉店となりました。
ローマ店の閉店の件を伝える現地紙には500を超えるコメントがあり、
時代の変わり目の象徴の1つとして捉えられています。
寄せられた反応をまとめましたので、ごらんください。
「日本に勝てる国はない!」 日本のデパートの丁重なおもてなしに外国人が感動
翻訳元■ 悲しいニュース😔
10年前、日本語学校の生徒だった頃に働いてたんだ。
みんな本当に良い人ばかりで、すごく優しかった。
多文化的な雰囲気が本当に素敵だったの。
職場を離れる人たちの幸運を願っています。
+65■ 仕事に行く時に毎日お店の前を通ってました。
すごくエレガントで洗練されていて、
一見して他のお店とは違う雰囲気があった。
閉店してしまうと知って本当に悲しい😔
■ 一度も足を踏み入れた事がなかった。行っておきたかったなぁ。
+19 ■ 美しいデパートだったよ。
ブランドを買い求める人や観光客にとって、
トップオブトップと言えるデパートだった。
時代の変わり目にあるんだろうね。
+2■ しかし何で閉店になっちゃったんだろ。背景には何があるの?
■ ローマの中心部は家賃も高い。
オーナーも賃料を下げようとしないし。
その中でロックダウンとかがあったから、
売上も下がって閉店になっちゃったんだろうね。
ローマと美しい歴史的中心部を再興するためには、
真剣な計画が必要だと思う。
+5 ■ ローマの中心部はもうほとんど人がいないから。
+3■ オープン当初に撮影のために行ったのはいい思い出だ!
■ このお店自体一度も見た事がなかったんだが。
+2■ ここが潰れるとは思わなかった……。
観光客がいないと難しいんだろうなぁ……。
全ての階層の人たちが行くデパートではなかったから。
コメント欄にも存在すら知らなかった、
って人が何人かいるくらいだしね……。
+3■ ローマの悲しい衰退は街全体に広がりつつある……。
+7■ よく買い物に行ってたから悲しみが止まらない!
店員さんが当たり前のように親切でエレガントなの。
イケバナの教室にも行った事がある。
■ ナツィオナーレ通りの入り口付近にあるんだよね。
周辺では初めて出来た巨大な日本食レストランもあった。
でも当時は高すぎて日本人しか行けなかったんだ。
■ えっ、何で閉店が決まっちゃったの!?
昨日前を通ったけど、外に行列が出来てたよ?!
■ 僕が2週間前に通った時も同じく行列が出来てた……。
■ 前にデパートの前を通った時にちょっと中を覗いたけど、
商品の価格が本当に、本当に高かった。
今は観光客もいなくなっちゃったしね。
従業員さんたち、すぐに次の職が見つかるといいけど。
+5■ 私にとっては思い出の場所。どうにか頑張って欲しかったなぁ。
+1■ 現在は誰もが厳しい状況にあるという事を、
ちゃんと認識するべきだと思う。
+30■ オーマイゴット。
誕生日にミツコシで買い物する事が夢だったのに。
ベトナム出身■ 3、40年前はナツィオナーレ通りに子供を連れてよく行ってた……。
ただ周辺は当時から交通渋滞がひどくてカオスだった覚えが。
高級路線のデパートはあまりウケが良くなかったかも。
+1■ 何だかんだ一番の太客は日本人観光客だっただろうからね。
だけど海外に渡航できない状況になってしまった。
その影響はかなり大きいと思う。
+9■ 以前に日本人の従業員にイタリア語を教えに行った事がある。
本当に素晴らしい人が多かったし、イタリアとは接客が全く違うの。
歴史的なお店がまた1つ消えてしまった。
+2■ 「ローマをどうにかしないと」と言ってる人たちへ。
あなたたちも買い物は街でしましょう!
+62 ■ 一緒に乗り越えていかないとね!
「明日は我が身」という事を認識しよう。
+4■ ナツィオナーレ通りはシャッター街になってしまったな。
+36■ ミツコシは値段が高かった影響もあるはず。
+2■ 重要なのはミツコシが何を売っていたのかではなく、
ローマの経済の一部だったという事実。
そして失業は家族にまで影響が及ぶ事を忘れてはいけない。
+21■ ナツィオナーレ通りは酷い事になってるわね。
この歴史的なデパートが閉店してしまうのも仕方がないのかも。
本当に悲しい事ではあるけれど。
+2 ■ 僕は1970年から1981年まで、
ナツィオナーレ通りの近くで暮らしてた。
当時はお店も多くて人も沢山いたのを覚えてる。
今は美しいお店が倉庫になってしまっているが。
■ 私はこのデパートがあの場所にある事自体知らなかった!
+8■ 本当に残念だ!!!
1つの歴史が幕を閉じてしまったんだから……。
+2■ むしろどうやって今まで続けてきたのか不思議なくらいだよ。
一般のイタリア人には手が届かない価格帯なんだから。
そこにロックダウンとかが重なってしまった。
当然お客さんはさらに減るよね。
+23■ 悲しい。私が初めて就職した場所だから😢
あの空間には、美しい思い出が沢山ある……。
+1■ 洗練されたお店だったなぁ。
興味がない人にはどうでもいい話かもしれないけど、
日本に行ったら絶対に外せないデパートだ。
+13■ 残念。ずっと前にミツコシで赤いシルクのスカーフを購入したの。
そのスカーフは今でも新品のように美しいまま。
+7■ 私はミツコシで26年以上働いていたから、
特別な想いでこの記事を読みました。
この会社にありがとうと伝えたい。
そしてイタリアという国と私たち従業員に対して、
敬意を払ってくれた日本人の関係者に感謝します。
私たちが彼らから学べる事は、数多くある。
+13
普段そこまでコメントが多くないサイトなのですが、
この記事に500ものコメントが寄せられたのは、
ナツィオナーレ通りの先行きを心配する声が多いのを見るに、
地域の衰退を象徴する出来事の1つと捉えられたのかもしれません。
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