昔 、江戸えどの下町したまちに、おしずとたいちという親子おやこが住すんでいまし
た。たいちは、今年ことし、十才じゅっさいになる可愛かわいい男おとこの子こです。
おしずはたいちをとても可愛かわいがって育そだてていたのです。
ところが、ある日ひ、突然とつぜん、おこまという女おんなの人ひとがやってきて、
「おしずさん、たいちはわたしの息子むすこ。昔むかし、あなたに預あずけたわたしの
息子むすこです。返かえしてください」と、言いうのです。おしずは驚おどろいて、
「何なにを言いうのです。あなたから預あずかった子こは、もう十年じゅうねんも前ま
えに亡なくなったではありませんか。このことは、おこまさんだって知しっているで
しょう。」
「いいえ、嘘うそを言いってもだめです。お前まえさんは自分じぶんの子こが死しんだ
のに、わたしの子こが死しんだと言いってごまかして、わたしの息子むすこを取とり上
あげてしまったんじゃありませんか。わたしは騙だまされませんよ。さあ、すぐに返か
えしてください!」おこまは、怖こわい顔かおでそう言いい張はる [1] のです。おしず
が、いくら違ちがうと言いっても聞ききません。
毎日まいにち、毎日まいにち、おこまはやってきては、同おなじことを喚わめきたて [2]
ていくのです。そしてしまいには、顔かおに傷きずのある、恐おそろしい目めつきの男
おとこを連つれてきて、「さあ、速はやく返かえしてくれないと、どんな目めに遭あう
[3] か分わからないよ!」と、脅おどかすのです。
おしずは困こまりはてて、町奉行まちぶぎょうの大岡越前おおおかえちぜんに訴うった
えました。越前守えちぜんのかみは話はなしを聞きくと、おこま、おしず、たいちの三
人さんにんを呼よびました。「これ、おこま。お前まえは、そこにいるたいちを自分じ
ぶんの息子むすこだと言いっているそうだが、何なんか証拠しょうこはあるのか?」
「はい。実じつはこの子こが生うまれました時とき、わたしはお乳ちちが出でなかった
[4] ので、おしずさんに預あずけたのです。この事ことは、近所きんじょの人ひとがみん
な知しっています。誰だれにでもお聞ききになってください。」おこまは、自信じしん
たっぷりに答こたえました。
「では、おしずに尋たずねる。お前まえは、おこまの子供こどもを預あずかった覚おぼ
えがあるのか?」「はい。ございます。」おしずは、たいちの手てをしっかりと握にぎ
りしめて言いいました。「この子こが生うまれた時とき、わたしはお乳ちちがたくさん
出でました。それで、おこまさんの子供こどものひこいちを預あずかったのです。で
も、その子こはまもなく病気びょうきで死しんでしまいましたので、すぐにおこまさん
に知らせたのでございます。」
おしずの言葉ことばを聞きくと、おこまは恐おそろしい目めで、おしずをキッと、睨に
らんで叫さけびました。「この嘘うそつき!お奉行ぶぎょうさま、おしずは大嘘おおう
そつきです。死しんだのはおしずの子こです。わたしの子供こどもを返かえしてくださ
い!」「いいえ、死しんだのは、確たしかにひこいちだったんです。お奉行ぶぎょうさ
ま、間違まちがいありません。おこまの子こは死しんだのです。」
「まだそんな事ことを言いって!人ひとの子こを盗ぬすんだくせに!」「たいちはわた
しの子こだよ。誰だれにも渡わたしゃしない。わたしの大事だいじな子こなんだ!」二
人ふたりは、お奉行ぶぎょうさまの前まえであることも忘わすれて、言いい争あらそい
ました。
その二人ふたりの様子ようすをジッと見みつめていた越前守えちぜんのかみは、やが
て、「二人ふたりとも、静しずまれっ!」と、大声おおごえで叱しかりました。おこま
とおしずは、慌 あわてて恥 はずかしそうに、座 すわりなおしました 。
「おこま。その息子むすこがお前まえの子供こどもである、確たしかな証拠しょうこは
ないか?例たとえば、黒子ほくろ [5] があるとか、傷痕きずあとがあるとか。そういう、
目印めじるしになるような物ものがあったら言いうがいい。」おこまは、悔くやしそう
に首くびを横よこに振ふりました。「いいえ。それが、何なにもありません。」
「では、おしず。そちはどうじゃ?」おしずも残念 ざんねんそうに、首 くびを振 ふり
ました 。「いいえ。何なにもございません」
「そうか。」越前守えちぜんのかみは頷うなずいて、「では、わしが決きめてやろう。
おしずはたいちの右手みぎてを握にぎれ。おこまはたいちの左手ひだりてを握にぎるの
じゃ。そして引ひっぱりっこをして、勝かった方ほうを、本当ほんとうの母親ははおや
に決きめよう。よいな。」「はい。」「はい。」二人ふたりの母親ははおやは、たいち
の手てを片方かたほうずつ握にぎりました。
「よし、引ひっぱれ!」越前守えちぜんのかみの合図あいず [6] で、二人ふたりはたいち
の手てを力ちからいっぱい引っぱりました。「痛いたい!痛いたい!」小ちいさいたい
ちは、両方りょうほうからグイグイ引ひっぱられて、悲鳴ひめいをあげて泣なき出だし
ました。
その時とき、ハッと手てを放はなしたのは、おしずでした。おこまはグイッと、たいち
を引ひき寄よせ [7] て、「勝かった!勝かった!」と、大喜おおよろこびです。それを見
みて、おしずはワーッと、泣なき出だしてしまいました。
それまで、黙だまって様子ようすを見みていた越前守えちぜんのかみは、「おしず。お
前まえは負まけると分わかって、なぜ、手てを放はなしたのじゃ?」と、尋たずねまし
た。「…はい」おしずは、泣なきながら答こたえました。「たいちが、あんなに痛いた
がって泣ないているのを見みては、可哀かわいそうで、手てを放はなさないではいられ
ませんでした。お奉ぶ行ぎょうさま。どうぞ、おこまさんに、たいちをいつまでも可愛
かわいがって、幸しあわせにしてやるように、おっしゃってくださいまし。」
「うむ、そうか。」越前守えちぜんのかみは、優やさしい目めで頷うなずいてから、静
しずかな声こえでおこまに言いいました。「おこま、今いまのおしずの言葉ことばを聞
きいたか?」「はいはい、聞ききました。もちろん、この子こはわたしの子こなのです
から、おしずさんに言いわれるまでもありません。うんと可愛かわいがってやりますと
も。それにわたしは、人ひとの息子むすこを取とり上あげて、自分じぶんの子こだなん
ていう、大嘘おおうそつきとは違ちがいますからね。大体だいたい、おしずさんは。」
「黙だまれ!おこま!」越前守えちぜんのかみは、突然厳とつぜんきびしい声こえで言
いいました。「お前まえには、痛いたがって泣ないているたいちの声こえが聞きこえな
かったのか!ただ勝 かてばいいと思 おもって、子供 こどもの事 ことなど構 かまわずに
手 てを引 ひっぱったお前 まえが、本当 ほんとうの親 おやであるはずがない !可哀かわ
いそうで手てを放はなしたおしずこそ、たいちの本当ほんとうの親おやじゃ。どうだ、
おこま!」
越前守えちぜんのかみの言葉ことばに、おこまは真まっ青あおになって、ガックリと手
てをつきました [8] 。「申もうし訳わけございません!」おこまは、自分じぶんがたいち
を横取よこどり [9] しようとしたことを白状はくじょうしました。
「お母かあさん!」「たいち!」たいちは、おしずの胸むねに飛とび込こみました。
「お奉行ぶぎょうさま、ありがとうございます。本当ほんとうに、ありがとうございま
す。」おしずは、越前守えちぜんのかみを拝おがむようにして、お礼れいを言いいまし
た。「うむ、これにて、一件いっけんら落着くちゃく [10] !」
[1] 「言い張る」,动词。固执己见、硬说、坚持。
[2] 「喚き立てる」,动词。大声喊叫、大声吵嚷。
[3] 「目にあう」,倒霉,遭殃。
[4] 「乳が出ない」,没有奶水。
[5] 「黒子」,名词。黑痣、乌痣。
[6] 「合図」,名词。信号、暗号。
[7] 「引き寄せる」,动词。拉到近旁、拉到身边。
[8] 「手をつく」,(答礼、寒暄等时)跪坐着双手触地。
[9] 「横取」,名词、サ变动词。抢夺、冒领。
[10] 「落着」,名词。了解、解决。
很 久以前,在江户城的平民区,住着阿静和太一母子俩。太一是一个十岁的很可爱的男孩
子,母亲阿静用心养育,非常疼爱他。
突然,有一天,来了一个叫阿细的女人,她对阿静说:“阿静,太一是我的儿子,是我以前
寄养在你这的,请把他还给我吧!”阿静大吃一惊:“你说什么啊?你寄养在我这儿的孩
子,不是十多年前已经死去了吗,这一点你也是知道的啊!”
“你可不能撒谎骗人呐!明明是你自己的儿子死了,偏说成是我的儿子死了。你分明是想抢
我的儿子嘛。我才不会上当呢!快点把孩子还给我!”阿细凶巴巴地说。不论阿静怎么说,
阿细都不予理会。
阿细每天都来找阿静,反复纠缠孩子的事。最后,竟然带来了一个脸上长着刀疤、眼神凶
狠的男人,对阿静恐吓道:“快把孩子还回来!要不然,有你好看的!”
阿静非常苦恼,只好把这件事告到了县太爷大冈越前守那儿。越前守听了事情的原委,找
来了阿静、阿细和太一三个人。“嗯,阿细,你说太一是你的孩子,你有什么证据吗?”越
前守问。“其实,我生这个小孩以后,因为没有乳汁,就把他托付给阿静抚养。这一点周围
人都知道的啊,您可以去随便问一个人。”阿细充满自信地说。
“那么,我来问问阿静。你可记得阿细把孩子托付给你的事情?”越前守问阿静。“是的,确
实有这回事。”阿静紧紧地拉着太一的手说道。“我生这个孩子的时候,奶水很充足,所以
就收养了阿细的孩子。但是,那个孩子不久就生病死了,我是第一时间就通知了阿细的
啊!”
听到阿静的这一席话,阿细用可怕的眼神“唰”地狠狠地瞪了阿静一下,大声叫道:“你这个
骗子!大人,阿静是个骗子啊!死去的是阿静的孩子,快把我的孩子还给我!”“不是!死
去的的确是彦一。大人,这个绝对不会错的。阿细的孩子已经死了。”阿静辩解道。
“你还敢说这样的话!明明就想夺走我的孩子!”阿细也不甘示弱。阿静说道:“太一是我的
孩子。我不会给任何人的!他是我最宝贝的孩子!”他们两个人完全忘记了越前守就在眼
前,只顾争吵起来。
越前守一直看着她们两个争吵,突然大声吼道:“你们都给我闭嘴!”阿细和阿静连忙满脸
羞愧地重新坐好。
“阿细,你说这个小孩是你的,有什么具体的证据吗?比如说胎记、疤痕之类的。说来听
听。”越前守说。阿细遗憾地摇摇头:“没有什么标记。”
“那么,阿静,你呢?”
阿静也是遗憾地摇摇头。
“这样啊!”越前守若有所思地点点头,说:“那么,就由我来判断吧。阿静拉太一的右手,
阿细拉太一的左手,一起使劲,赢的那一方就是真正的母亲,如何?”两个人都答道:“好
的。”于是,她们两个人各拉起太一的一只手。
“预备,开始!”越前守一声令下,两个人开始使尽全力拉太一的手。“疼死我了!疼死我
了!”幼小的太一被往两边使劲拽着,疼得大声地哭喊着。
就在这时,阿静突然松开了手。阿细趁势使劲一拉,把太一拉到了身边。“我赢了!我赢
了!”她高兴极了。见此情况,阿静“哇”地一声大哭起来。
一 直 在 一 旁 静 静 地 观 察 着 的 越 前 守 问:“阿 静, 你 明 知 道 会 输, 为 什 么 还 放
手?”“嗯……”阿静哭着回答:“我看到太一那么痛苦,很可怜,就忍不住放手了。请您告
诉阿细无论如何都要好好疼爱太一啊。”
“哦!是这样啊。”越前守用和蔼的眼神看着阿静,轻轻地点了点头,又轻声对阿细说:“阿
细,你听到刚才阿静说的话了吗?”“是的是的。当然,这是我的孩子,不用阿静说,我也
会用心疼爱他的。再说,我可不是那种把别人的孩子说成自己的孩子的人。这个阿静,真
是太过分了。”阿细得意地说。
“你给我闭嘴!阿细!”越前守突然厉声喝道。“你没有听到太一疼得哭吗?你一味想着要赢
比赛,全然不顾孩子的死活,这绝不可能是一个真正的母亲会做的事儿。因为疼爱孩子而
放手的阿静才是真正的母亲!”
听了越前守的一席话,阿细脸色苍白,双手伏地跪下求饶:“真的对不起!”她坦白了自己
想要抢太一的想法。
“妈妈!”太一飞快扑到阿静的怀抱里。“太一!”阿静紧紧抱住了太一。“大人,真的非常感
谢您!”阿静拜谢道。越前守满意地说:“嗯!我又圆满地解决了一桩案子。”
语法详解
(1)動詞連用形/形容詞、形容動詞の詞幹+そうです/そうだ
表示讲话人根据事物的外观进行的判断或预测。“好像……样子”“似
乎……”。样态助动词「そうだ」的変化有「そうに、そうな、そうで」的
形式。
* 雨が降りそうです。傘を持っていったほうがいいですよ。
好像要下雨,最好带伞去。
* 皆が嬉しそうに笑っています。
大家似乎在很开心地笑。
* お爺さんは健康そうな顔がしています。
爷爷显得似乎很硬朗。
* 今日は雨も降りそうで、風邪も強いです。
今天好像要下雨,而且风也很大。
然而「いい」「ない」连接「そうです」时,则用「よさそうです」和
「なさそうです」的形式。
* 明日の天気はよさそうです。
明天似乎是好天气。
* 彼はあまり食欲がなさそうです。
他似乎没有食欲。
(2)用言の連体形/名詞の+はずがない
表示强烈的否定。相当于“不可能……”“不会……”“没有理由……”“没
有……的道理”。
* この問題は難しくて、子供に解けるはずがない。
这个问题很难,小孩子不可能解得出来。
* あのアパートは駅に近いから安いはずはない。
那座公寓离车站很近,所以不会便宜。
* この辺りは工場地帯だから、公害のないはずがない。
这附近是工厂区,所以不可能没有公害的。
小知识
大岡越前守
本名大岡忠相(おおおかただすけ)(1677—1751)で、江戸中期の政治
家。江戸の町奉行に任せられた間、たいへん江戸市民の生活をまもるた
めに力をそそいだ人物で、主な業績を挙げてみると、問屋(とんや)→
仲買(なかがい)→小売(こうり)という物流の組織を確立し、スムー
ズな流通機構をつくりあげたほか、町火消「いろは四十七組」を組織
し、避難用地をふやすなど防災策をほどこし、貧窮者の救済のため小石
川養生所を設立した。将軍である吉宗の反対をおして、米価安定のため
に実施された元文期(1736—1741)の貨幣改鋳(かいちゅう)も彼の功
績である。こうした業績が、大岡裁きで有名な「大岡政談」を生みます
が、話や登場人物のほとんどが、架空とされている。
大冈越前守
本名大冈忠相(1677—1751),是江户中期的政治家。在担任江户町奉行
一职期间,他为改善江户市民生活尽心尽力,取得的业绩主要有:确立
了“批发商——中间商——零售商”模式的物流组织,创立了流畅的商品流通
机制。他还组建了城市消防队“いろは四十七組”,增设避难用地等防灾措
施,设立了专门救济贫穷者的小石川养生所。更是不顾吉宗将军的反对,
为平抑米价而实施了元文期(1736—1741)货币改铸。他取得了诸多政
绩,更因为善于仲裁,而在各地流传着关于他公正断案的有名的”大冈政治
故事”,但是其中的传说和故事多为虚构。