児湯郡
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人口64,035人、面積714.99km²、人口密度89.6人/km²。(2024年11月1日、推計人口)
以下の5町1村を含む。
郡域
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記5町1村に西都市および宮崎市の一部(佐土原町下富田の一部)、日向市の一部(美々津町)を加えた区域にあたる。
歴史
古代
和名類聚抄によると、郡は八つの郷から構成されており、三納郷、都野郷、穂北郷、大垣郷、覩唹郷、三宅郷、韓家郷、平群郷が記載されている。
式内社
神名帳 | 比定社 | 集成 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
社名 | 読み | 格 | 付記 | 社名 | 所在地 | 備考 | |
児湯郡 2座(並小) | |||||||
都農神社 | ツノノ | 小 | 都農神社 | 宮崎県児湯郡都農町川北 | 日向国一宮 | [1] | |
都万神社 | ツマノ | 小 | 都萬神社 | 宮崎県西都市妻 | (日向国二宮・総社) | [2] | |
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近世以降の沿革
知行 | 村数 | 村名 | |
---|---|---|---|
幕府領 | 西国筋郡代[1] | 10村 | 現王島村、黒生野村、岡富村、清水村、三宅村、右松村、調殿村、童子丸村、南方村、穂北村 |
藩領 | 日向高鍋藩 | 3町 13村 |
高城町[2]、都農町[2]、美々津町[2]、高鍋村、上江村、椎木村、高城村、石河内村、川原村、平田村、持田村、川南村、三納代村、日置村、川北村、高松村 |
日向佐土原藩 | 2町 15村 |
妻町[2]、都於郡町[2]、岩爪村、荒武村、山田村、上三財村、加勢村、三納村、平郡村、下三財村、藤田村、鹿野田村、妻村、伊倉村、新田村、上富田村、下富田村 |
- 慶応4年
- 明治4年
- 明治4年(1871年) - 高鍋村の一部が分立して高鍋町となる。(6町38村)
- 明治5年(1872年) - 肥後国球磨郡小川村・越野尾村・銀鏡村・上揚村・八重村・中尾村・村所村・板谷村・竹原村・横野村・上米良村・寒川村・中之又村・尾八重村の所属郡が本郡に変更[1]。(6町52村)
- 明治6年(1873年)1月15日 - 全域が宮崎県(第1次)の管轄となる。
- 明治9年(1876年)8月21日 - 第2次府県統合により鹿児島県の管轄となる。
- 明治12年(1879年)2月17日 - 郡区町村編制法の鹿児島県での施行により、行政区画としての児湯郡が発足。郡役所が高鍋町に設置。
- 明治14年(1881年)
- 明治16年(1883年)5月9日 - 宮崎県(第2次)の管轄となる。
- 明治17年(1884年)1月26日 - 本郡単独の郡役所が再び高鍋町に設置。
町村制以降の沿革
- 明治22年(1889年)5月1日 - 町村制の施行により、以下の各村が発足。(15村)
- 高鍋村 ← 北高鍋村、南高鍋村、蚊口浦村、高鍋町(現・高鍋町)
- 上江村 ← 上江村、持田村(現・高鍋町)
- 富田村 ← 上富田村、下富田村、日置村、三納代村(現・新富町)
- 新田村 ← 新田村、伊倉村(現・新富町)
- 下穂北村 ← 現王島村、黒生野村、岡富村、清水村、三宅村、右松村、妻町、妻村、右松町[3](現・西都市)
- 都於郡村 ← 鹿野田村、都於郡町、岩爪村、荒武村、山田村(現・西都市)
- 三財村 ← 藤田村、下三財村、上三財村、加勢村、寒川村(現・西都市)
- 三納村 ← 平郡村、三納村(現・西都市)
- 西米良村 ← 小川村、村所村、板谷村、越野尾村、上米良村、竹原村、横野村(現存)
- 東米良村 ← 銀鏡村、上揚村、八重村、中尾村、尾八重村(現・西都市)、中之又村(現・木城町)
- 上穂北村 ← 南方村、穂北村、調殿村、童子丸村(現・西都市)
- 木城村 ← 高城町、高城村、川原村、石河内村、椎木村(現・木城町)
- 川南村 ← 平田村、川南村(現・川南町)
- 都農村 ← 都農町、川北村(現・都農町)
- 美々津村 ← 美々津町、高松村(現・日向市)
- 明治30年(1897年)4月1日 - 郡制を施行。
- 明治31年(1898年)10月26日 - 美々津村が町制施行して美々津町となる。(1町14村)
- 明治34年(1901年)2月7日 - 高鍋村が町制施行して高鍋町となる。(2町13村)
- 大正9年(1920年)8月1日 - 都農村が町制施行して都農町となる。(3町12村)
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正13年(1924年)
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和13年(1938年)10月1日 - 高鍋町・上江村が合併し、改めて高鍋町が発足[4]。(4町10村)
- 昭和28年(1953年)2月11日 - 川南村が町制施行して川南町となる。(5町9村)
- 昭和30年(1955年)
- 昭和33年(1958年)
- 昭和34年(1959年)3月31日 - 新田村・富田村が合併して新富町が発足。(4町4村)
- 昭和37年(1962年)4月1日(4町2村)
- 三財村が西都市に編入。
- 東米良村が分割し、一部(銀鏡・上揚・八重・中尾・尾八重)が西都市、残部(中之又)が木城村にそれぞれ編入。
- 昭和48年(1973年)4月1日 - 木城村が町制施行して木城町となる。(5町1村)
- 平成17年(2005年)2月18日 - 新富町の一部が佐土原町に編入。
変遷表
自治体の変遷
明治22年以前 | 明治22年5月1日 | 明治22年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和29年 | 昭和30年 - 昭和63年 | 平成1年 - 現在 | 現在 | ||
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美々津村 | 明治31年10月26日 町制 |
美々津町 | 昭和30年1月1日 日向市に編入 |
日向市 | 日向市 | |||
都農村 | 大正9年8月1日 町制 |
都農町 | 都農町 | 都農町 | 都農町 | |||
川南村 | 川南村 | 昭和28年2月11日 町制 |
川南町 | 川南町 | 川南町 | |||
高鍋村 | 明治34年2月7日 町制 |
高鍋町 | 高鍋町 | 高鍋町 | 高鍋町 | |||
上江村 | 昭和13年10月1日 高鍋町に編入 | |||||||
新田村 | 新田村 | 新田村 | 昭和34年3月31日 新富町 |
新富町 | 新富町[5] | |||
富田村 | 富田村 | 富田村 | ||||||
木城村 | 木城村 | 木城村 | 木城村 | 昭和48年4月1日 町制 |
木城町 | 木城町 | ||
東米良村 | 東米良村 | 東米良村 | 昭和37年4月1日 木城村に編入 (中之又) | |||||
昭和37年4月1日 西都市に編入 (銀鏡・上場・中尾・八重・尾八重) |
西都市 | 西都市 | ||||||
下穂北村 | 大正13年4月1日 町制 |
大正13年8月1日 改称 妻町 |
妻町 | 昭和30年4月1日 西都町 |
昭和33年11月1日 市制 | |||
上穂北村 | 上穂北村 | 上穂北村 | ||||||
都於郡村 | 都於郡村 | 都於郡村 | 昭和33年4月1日 西都町に編入 | |||||
三納村 | 三納村 | 三納村 | ||||||
三財村 | 三財村 | 三財村 | 三財村 | 昭和37年4月1日 西都市に編入 | ||||
西米良村 | 西米良村 | 西米良村 | 西米良村 | 西米良村 | 西米良村 |
行政
- 鹿児島県児湯郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
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1 | 明治12年(1879年)2月17日 | |||
明治14年(1881年)7月27日 | 廃官 |
- 鹿児島県宮崎・那珂・児湯郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 明治11年(1878年)7月28日 | |||
明治16年(1883年)5月8日 | 宮崎県に移管 |
- 宮崎県宮崎・那珂・児湯郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
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1 | 明治16年(1883年)5月9日 | |||
明治17年(1884年)1月25日 | 廃官 |
- 宮崎県児湯郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 明治17年(1884年)1月26日 | |||
大正15年(1926年)6月30日 | 郡役所廃止により、廃官 |
脚注
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 45 宮崎県、角川書店、1986年9月1日。ISBN 4040014502。
- 旧高旧領取調帳データベース