神聖ローマ帝国
神聖ローマ帝国(しんせいろーまていこく)は、ローマ帝国「と言う設定」で、10世紀中頃から19世紀初頭まで続いたドイツ中の中二病患者の集合体。ローマ帝国「という設定」なので、首都はローマ「という設定」であるが、ローマ領有はあくまで彼らの脳内での「設定」であり、現実を見てはいけない。神聖ローマ帝国という統一国家が存在する「という設定」のもと、皇帝は宮中会議「という設定」の買収合戦で選出される。
中世ドイツで上層部を占めていた彼ら中二病患者にとっては、よりそれっぽい設定を考えることがカッコいいことであった。公用語はラテン語「という設定」であったが、これはカッコいいからという理由で決められた。そのためこの国の公用語話者数は極めて少なかった。公用語話者数は患者数とほぼ同数と見なせる。
対外的には、○○ト宗○団○『○○○教○庁』や誇大妄想患者『フラン○』、高齢性痴呆症患者『東ローマ帝国』、同じくローマ帝国「という設定」の『オスマン帝国』などとしばし争った。当然のことながら、個々の患者間にも微妙な「設定」の違いがあるわけで、内輪もめも頻発した。
神聖でもないローマでもない帝国でもない国が現実
国名[編集]
国名は『神聖ローマ帝国』、ラテン語で言えばSacrum Romanum Imperiumサクルム・ローマヌム・インペリウム、ドイツ語で言えばHeiliges Römisches Reichハイリゲス・レーミッシェス・ライヒである。よく、『神聖ではないし、ローマ的でもない。それどころか帝国ですらない』の略と言われる。確かにその通りだが、それぞれちゃんと意味がありそうで無い「設定」に関係する名前である。例えば、神聖とは『神によって与えられた』「という設定」に基づいている。もちろん『ローマ帝国』は『ローマ皇帝によって統治される国』「という設定」があり、ローマ皇帝の名のもとに、全地中海世界をその範囲とする「という設定」であった。
しかしながら、当初は「設定」がまだ固まって無かったこともあり、ちょっと控えめに『西ローマ帝国』と名乗っていた。これはフランク族のカール大帝が、ローマ教皇により『西ローマ皇帝』として戴冠したことに起源がある。しかし当時としてはこれでも設定に無理があり、東ローマ皇帝は彼をローマ皇帝ではなく、単なる『皇帝』としか認めてくれなかった。その後、より意味のありげな「設定」が付けられたり付けられなかったりした結果、『神聖ローマ帝国』ということになった。
19世紀になると、ナポレオンにけちょんけちょんにされた時の皇帝フランツ2世は高二病を発症し、『ドイツ帝国』を解散した。
帝国等族[編集]
高位聖職者[編集]
- マインツ大司教
- 七選帝侯の一。『神聖ローマ帝国宰相』「という設定」。『ドイツ大書記官長』「という設定」の地位を持つ。諸侯は神聖ローマ皇帝の家来「という設定」であるから、筆頭選帝侯であるマインツ大司教はこれを招集し、選挙を行う権限を持っていた。
- トリアー大司教
- 七選帝侯の一。『ガリア(フランス)大書記官長』「という設定」。ちなみに神聖ローマ帝国がフランス中央部を領有したことは無い。
- ケルン大司教
- 七選帝侯の一。『イタリア大書記官長』「という設定」。ケルンと言えばイタリアからは大分離れているような気がするが、あくまでそういう「設定」なので問題無い。
中でも、Erkanzler durch Germanien(エアカンツラー・ドゥルヒ・ガーマニーン=ドイツ大書記官長)という職位は、ドイツ民族を統べる行政の長と見なされた。後の政体もこの「設定」を受け継ぎ、ドイツ帝国の行政府の長はReichskanzler(ライヒスカンツラー=帝国書記官長)、現在のドイツ連邦共和国の行政府の長はBundeskanzler(ブンデスカンツラー=連邦書記官長)を名乗っているが、偉大なドイツ民族の設定を解釈する感性に乏しい日本人は、それぞれドイツ帝国宰相・ドイツ連邦首相と訳してしまっている。
帝国諸侯[編集]
- ボヘミア王
- 七選帝侯の一。『神聖ローマ帝国献酌侍従長』「という設定」。一応王という設定なので、一番偉いかと言えばそうでも無い。
- ライン宮中伯
- 七選帝侯の一。『神聖ローマ帝国家令』「という設定」。『ライン方面国王代理』。
- ザクセン=ヴィッテンベルク公
- 七選帝侯の一。『神聖ローマ帝国侍従武官』「という設定」。
- ブランデンブルク辺境伯
- 七選帝侯の一。『神聖ローマ帝国財務侍従官』「という設定」。のちのプロイセン王国、ドイツ帝国でもある。
- ブラウンシュヴァイク=カレンベルク公
- 『神聖ローマ帝国旗手長』「という設定」。
- オーストリア大公
- 『神聖ローマ帝国狩猟長官』「という設定」。『大特許状』により『オーストリア大公は義務で帝国に属しているのではなく、皇帝に頼まれて家臣になっているのである』「という設定」を自分で付け加えた。
帝国都市[編集]
歴史[編集]
起源[編集]
名前のみが一人歩きしており、特に初期については資料が少なく、建国の過程は明らかではない。国家の起源については、様々な説が飛び交うが、古代韓国説と古代・初期のシス帝国説の二つの説が有力である。
近年、旧神聖ローマ帝国の本国であるドイツ出身のシスの暗黒卿が出現したことにより、シス帝国説が優位となっているが、彼らの操るフォースの韓国面の存在を考察に入れれば、古代韓国=初期のシス帝国=神聖ローマ帝国なのかもしれない。
中興の祖・ルドルフ大帝[編集]
建国より数百年後(一説によると156年後)、「皇帝のいない恐ろしい時代」と呼ばれた大空位時代を経て、田舎貴族のルドルフ・フォン・ゴールデンバウムが即位する。大変なドイツマニアであった彼は、自分の名前を含めて、国家の全てをドイツ風に改めた。初期の資料が少ないのは、ドイツ的でなかった以前の神聖ローマ帝国の歴史が彼の逆鱗に触れ、焚書にあったためである。ルドルフと名乗る彼の本当の名前すら定かではない。
彼の時代より、神聖ローマ帝国の本国は現在のドイツ周辺と定められ、そして宇宙へと乗り出していった。また、彼の時代より選挙王制は改められ、以後ルドルフの子孫のみが帝位を独占することとなった。
ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムと選挙を戦ったもう一人のルドルフさんは神聖ローマ帝国を離脱し別国家を建国した、との噂もある。(→オーストリア)
宇宙進出[編集]
神聖ローマ帝国という名前を背負った歴代皇帝たちは、ローマこそが真の帝都であり、聖地であると考えた。そこで、ローマに到達し、かの地を征服するために宇宙へと進出することが帝国の重大政策となった。
この政策によって、宇宙に進出し、戦闘を繰り返した帝国は、多数の星間を支配する巨大な軍事国家へと発展していった。皇帝マクシミリアン1世の肝いりによって開発されたマクシミリアン式甲冑(特殊戦闘服)などの兵器や、勇将オイゲン公の活躍などもこの時期のことである.
終焉[編集]
帝国の隣に困った乱暴者のナポレオンが登場し、帝国は彼と戦争状態となった。そして、帝国はあっけなく崩壊した。
崩壊の最大の要因は皇帝フランツ2世の投げ出しである。ナポレオンとの直接対決を控え、所信表明演説を終えたフランツ2世は、そのわずか2日後に「私はいない方がいい」等の趣旨の発言を行った後、緊急入院してしまった。
ナポレオンによって完全征服された帝国は、解体され、旧帝国領からは新たに様々な国家が誕生することとなる。
現在[編集]
神聖ローマ帝国は、フランツ2世をもって歴史を閉じるが、その復活を望む人間を意外に多い。かのアドルフ・ヒトラーは、「神聖ローマ帝国が一番!僕は三番!」と褒め殺ししている。(なお、二番目の帝国が何なのかはよく分からない)
旧臣民の間でも、復活を望む声は大きく、前述の通り旧帝国の本国出身であり、なおかつフォースの韓国面を操るシスの暗黒卿の今後の活躍が期待されている。
国策[編集]
- イタリア政策…なぜイタリア政策と呼ばれているかは不明。永遠の都・ローマを求めて放浪の旅に出る。
- 最後の授業
- ローマ帝国
- ドイツ帝国/ナチスドイツ
- コンスタンティヌスの寄進状
- カノッサの屈辱
- 大空位時代
- 叙任権闘争
- 金印勅令
- 皇帝ジギスムントの改革
- ヴェストファーレン条約