現代音楽

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現代音楽(げんだいおんがく)とは、現代に求められている音楽

概要[編集]

ここ100年で色々なものが変わった。情報技術も発達し、数学物理学などの難問も解かれた。それと同時に音楽も発達した。かつて近代音楽が当時の最先端だったように、現代音楽も現代の最先端、現代に求められているものを実現しているのだ。

音楽は当時の情景を描写していると言っても過言ではなく、その当時の雰囲気、思想、状況などが隅々まで表されているのだ。この近代から現代で大きく変わったものは何か。その答えが現代音楽に隠されているのだ。この項目では、現代音楽に隠された時代の変化を代表例と共に紹介する。

自由[編集]

近代から現代への変化の一つ、それは自由である。植民地の解放や民主主義の浸透によって様々な人々に自由が広がった。居住や移住の自由、職業の自由、言論の自由など、ここ100年で広まった自由を挙げればキリがない。それもそうで、第一次世界大戦第二次世界大戦冷戦で大きく行動を制限されていたのがなくなったため、相対的、いや、絶対的に自由は広がったのだ。

その広がりは音楽にも反映されており、その代表例が「20メートルシャトルラン」である。今では体育の授業に用いられることが多いこの曲だが、元々は10小節の音楽であった。様々な演奏方法が音楽家によって発見、発明されたが、それが最終的に体育の授業に用いられるという方面で落ち着いただけである。しかし、この方面で落ち着いたことによりこの曲にトラウマを植え付けられた人もいるのはまた別のお話。

また、同じようなものとしては「除夜の鐘」があり、これは108回に渡っての音を鳴らすものである。こちらは現代音楽として日本で最も有名といっても間違いでは決してなく、その証拠に大晦日には全国の神社で必ず演奏される。神社や年ごとにリズムや叩く速度が異なるようになっている。

障害[編集]

障害が認められるようになったことも現代の変化の一つである。身体障害者だけでなく、コミュニケーション障害発達障害などの精神障害者も一般的に認識されるようになった。その上で色々な人、健常者でも障害者でも楽しんでもらえる音楽、耳が聴こえない、佐村河内守のような人でも楽しんで聴くことが可能な音楽、音に関係しない音楽。そう、無音を現代音楽家は発明したのだ。

現代音楽の先駆けとして有名なジョン・ケージが発表した「4分33秒」が無音の音楽の中でもよく知られている。題名と同じ4分33秒の間、一切音を鳴らさない、いや、音は観客が鳴らすのだ。というのもこの曲は観客のざわめきや反応を確かめるために作られた楽曲であり、完全な無音を聴くために生まれた音楽ではないのだ。

完全な無音を楽しむものとしては、現代アートを多く創っていることで有名なACジャパンが発表した「聴こえてきた声」がある。この曲は最初の10秒は全くの無音で、ラストの5秒だけ音が流れるという構成だ。この前例を見ないような音楽については賛否両論だった。また、ACジャパン自身は無音の音楽にするつもりはなく、元々はジェンダーについての音楽にするつもりだったという。偶然の産物が新時代へ。これも現代音楽の醍醐味の一つと言われている。

複雑[編集]

複雑も現代の風潮の一つだ。近代も複雑じゃないことはなかったのだが、現代に入ってより複雑化している。例えば、仕事でいっても近代は大工一筋や農業しかしていないとか基本的に主業のみだったが、ここ最近は副業のブームやネットフリーマーケットの浸透などによって主業以外にも収入を得る手段が確立している。このような風潮は音楽の世界にもあり、音楽における複雑化の象徴として不協和音の増加がある。不協和音は協和音の対義語で、あまり聞き心地の良くない音だが、その音が増えてきているのだ。

不協和音を用いた音楽はたくさん存在するが、その中でも野々村竜太郎が発表した「記者会見」という楽曲は不協和音を使用した著名な楽曲である。楽器による音はなく、野々村竜太郎本人が人為的に発生させた音かカメラのシャッター音だけで構成されている、如何にも現代音楽らしい楽曲だ。泣き声とシャッター音という人間が耳にできる音の中でもかなり不快な音を組み合わせており、そのインパクトから一度聴けば忘れられない人が多かった。この楽曲による現代音楽界、そしてインターネット業界の話題を一時期掻っ攫ったほどの影響力があった。また、日本、海外のニュースや新聞でも紹介されていた。今でもインターネット上で語り継がれている、現代音楽の名曲の一つである。

単純[編集]

近代より現代の方が複雑化する一方で、現代になって単純になるものも存在している。例えば計算などがその良例であり、元々は複雑で難解な計算を繰り返さなければならなかったのだが、現代になってからは計算機コンピューターの使用によって単純化されている。勿論、計算機やコンピューター自体は複雑化されていっているのだが、その割に大きさは格段にコンパクトになっている。音楽においても複雑化と同じように単純化されてきている。VOCALOIDはその典型的な例であり、コンピューターを複雑化させた代わりに人間の労力を単純化しているのだ。

単純化が象徴する現代音楽としては「カラーバー」がある。この楽曲は同じ高さの音がずっと響き続けるだけの、極端なほどに単純なものだ。作者は不明だが、過去はテレビでよく耳にした音楽として有名であり、その単純さとカラーバーと同時に表示させる単純かつ無機質な映像によって多くの人に恐怖を植え付けたとも言われている。現在ではテレビで見る機会はなくなったものの、未だにYoutubeなどの動画サイトでネタや演出の一部としてカラーバーを視聴、閲覧することが可能だ。

また、多くの人が聴いたことのある楽曲としては、「チャイム」がある。チャイムは鐘の低音と高音を等間隔で演奏する楽曲だが、学校授業の開始と終了に流れる音楽として有名で、この曲を聴くとノスタルジックになる人も多い。カラーバーと同じく単純で無機質ではあるものの、多くの人々に良い意味で耳に残る楽曲として、現代音楽の代表格とされている。

偶然[編集]

現代になって、偶然も多くなった。近代では「こういうことをしたらこうなる」というものが明確なことが大多数だったが、現代に入ると「こうしてもこうなるはずがこうならない」ことや、逆に「こうしてもこうはならないのにこうなった」ということが急増した。試験においても近代はある程度攻略法が確立されていて、それに従えば九分九厘合格できた。しかし、現代になってからはただ攻略法に従っているだけでは合格なんて到底叶わず、プラスアルファ、いや、それをしても合格できると保証されている訳ではない。そのような偶然は音楽においても多く見られる。

音楽の偶然化が急激に進んだのは2000年代後半頃である。偶然性を生み出すためのツールとして使われたのがニコニコ動画というものだが、これに対し「投稿」と界隈で呼ばれる入力動作を与えると「コメント」と呼ばれる偶然性が発生するという仕組みだ。このコメントの量は投稿する楽曲により異なり、先ほども紹介したVOCALOIDというジャンルを投稿するとコメントが発生しやすいことが発覚している。特に有名なものが「みっくみくにしてあげる♪」という楽曲で、当時のインターネットで大きな話題を呼んだ。また、この楽曲はニコニコ動画とVOCALOIDを世に広めるという二次効果があったという出来事、事実から見ても、現代音楽史において重要な楽曲と言うことができる。

現代音楽による音楽界の進歩[編集]

ない。

現代音楽によって退化することはあれど、進化はしないのである。

世間が求めているのは「心地の良い、美しい音楽」なのだが、現代音楽は同じ音の繰り返しだったり、音がなかったり、怖かったり。全くもって世間の求めていることに合致していない。そのような音楽を広めていたら、音楽に対する好感度が下がることは自明の理である。勿論新たに音楽が好きになる人々もいるだろうが、それまで好きだった人々の方が多い。その人々を裏切るというのは音楽界にとっても損だし、「音楽」という存在の名誉も傷付けられる。

皆が求めているのは現代音楽ではなく、元々あった音楽なのだ。

関連項目[編集]

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