鈴木定直
この記事で示されている出典について、該当する記述が具体的にその文献の何ページあるいはどの章節にあるのか、特定が求められています。 |
鈴木 定直(すずき さだなお、1853年4月24日(嘉永6年3月17日)- 1914年(大正3年)9月19日)は、日本の内務・警察官僚。官選県知事。幼名・半造。
経歴
編集日向国児湯郡南高鍋村(現:高鍋町)で、高鍋藩士・鈴木定信の長男として生まれる。
1877年6月、警視局警部補となり、同年7月、新撰旅団第1大隊第4中隊左半隊長として西南戦争に出征。戦後、同年11月に退職。1878年10月、兵庫県十等警部に任官。以後、豊岡警察署長、警察本署第1部長などを歴任。
1886年4月に高知県警部となるが、翌月に富山県警部・警察本署第1部長兼第4部長に転じた。以後、富山県警察本部第1課長、兼巡査教習所長、兼富山警察署長、富山県射水郡長などを歴任し、1889年3月、富山県警部長に就任。1892年2月の第2回衆議院議員総選挙において選挙干渉の責任者となり、同年8月、滋賀県警部長に転じた。1893年3月、大阪府警部長となり1898年7月まで在任。同年11月、警視庁警視・総監官房主事に就任。
1899年8月、大分県知事に転じた。1901年6月、内務省警保局長に就任。1902年2月、群馬県知事となる。その後、滋賀県知事、高知県知事を歴任。1908年3月、休職となり、1910年3月に退官。京都市で余生を過ごした。
栄典
編集親族
編集脚注
編集参考文献
編集- 高橋雄豺「鈴木定直」『明治警察史研究』第4巻・後編、高橋雄豺、令文社、1972年。
- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。