若嵐武
若嵐 武(わかあらし たけし、1924年6月9日 - 没年不明)は、長野県北佐久郡岩村田町(現・同県佐久市)大字長土呂出身で西岩部屋(入門時は若松部屋)に所属した大相撲力士。本名は東城 武(とうじょう たけし)。現役時代は、最高位は西前頭18枚目(1951年1月場所)。現役当時の体格は180cm、84kg。得意手は右四つ、吊り、上手投げ。
来歴・人物
編集16歳の時に上京し、若松部屋(後、西岩部屋に改称)へ入門。1941年1月場所で初土俵(前相撲)翌5月場所で新序・翌1942年1月場所で序ノ口に昇進した。
生まれついての近視であり、それ故に相手から離れての取り口が困難であった。長身の割に細身で、右四つからの吊りや投げを得意とした。
その後、1949年10月場所で新十両に昇進し、1951年1月場所にて新入幕。だが初日から9連敗を喫するなど振るわず2勝13敗と大負けし、以降、約4年もの間十両に在ったが上位での大勝ちが無く、再入幕は成らなかった。東十両22枚目で2勝13敗と大敗し、幕下落ちが決定的となった1955年1月場所を以って、30歳で引退。
入門当初から「若嵐」の四股名を名乗っていたが、幕下に在位していた1946年11月場所の1場所のみ「信濃山(しなのやま)」を名乗り、現役後期の1953年1月場所以降は「千曲錦(ちくまにしき)」を名乗った。
その後は暫くの間、年寄・湊や同・西岩として後進を指導していたが、1967年7月場所後に廃業した。
廃業後は、大阪府内の警備会社「日本警備保障」に勤務したという。
その後、病にかかり亡くなったとされるが、享年及び没年月日は公表されなかった。
尚、1963年3月2日に誕生した息子の健夫も1981年5月場所に二子山部屋に入門、1982年1月場所より「若斗光(わかとひかり)」の四股名を名乗り土俵に上がっていたが、最高位は東序二段66枚目(1983年1月場所)に終わり、1983年9月場所・11月場所を連続で休場、番付外に陥落した翌1984年1月場所を以て廃業し、親子関取の実現には至らなかった。
主な戦績
編集- 通算成績:195勝210敗 勝率.481
- 幕内成績:2勝13敗 勝率.133
- 現役在位:37場所
- 幕内在位:1場所
- 各段優勝
- 幕下優勝:1回(1949年5月場所)
春場所 | 三月場所 | 夏場所 | 秋場所 | |||
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1941年 (昭和16年) |
(前相撲) | x | 新序 2–1 |
x | ||
1942年 (昭和17年) |
西序ノ口5枚目 4–4 |
x | 西序二段53枚目 1–7 |
x | ||
1943年 (昭和18年) |
西序二段71枚目 7–1 |
x | 東三段目52枚目 4–4 |
x | ||
1944年 (昭和19年) |
西三段目41枚目 5–3 |
x | 東三段目16枚目 2–3 |
東三段目29枚目 2–3 |
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1945年 (昭和20年) |
x | x | 西三段目28枚目 3–2 |
西三段目8枚目 4–1 |
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1946年 (昭和21年) |
x | x | x | 西幕下16枚目 4–3 |
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1947年 (昭和22年) |
x | x | 西幕下11枚目 3–2 |
東幕下4枚目 3–3 |
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1948年 (昭和23年) |
x | x | 西幕下3枚目 3–3 |
東幕下2枚目 3–3 |
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1949年 (昭和24年) |
東幕下筆頭 5–7 |
x | 東幕下6枚目 優勝 13–2 |
東十両10枚目 9–6 |
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1950年 (昭和25年) |
西十両4枚目 6–9 |
x | 東十両7枚目 10–5 |
東十両2枚目 9–6 |
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1951年 (昭和26年) |
西前頭18枚目 2–13 |
x | 西十両3枚目 5–10 |
西十両7枚目 8–7 |
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1952年 (昭和27年) |
西十両5枚目 7–8 |
x | 西十両6枚目 6–9 |
西十両9枚目 6–9 |
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1953年 (昭和28年) |
東十両12枚目 8–7 |
西十両12枚目 6–9 |
東十両16枚目 8–7 |
東十両14枚目 9–6 |
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1954年 (昭和29年) |
西十両10枚目 7–8 |
東十両11枚目 8–7 |
西十両10枚目 7–8 |
東十両13枚目 4–11 |
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1955年 (昭和30年) |
東十両22枚目 引退 2–13–0 |
x | x | x | ||
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
幕内対戦成績
編集力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 |
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大起 | 0 | 1 | 大ノ海 | 0 | 1 | 大昇 | 0 | 1 | 大晃 | 0 | 1 |
大蛇潟 | 0 | 1 | 甲斐ノ山 | 0 | 1 | 神錦 | 0 | 1 | 信夫山 | 0 | 1 |
常ノ山 | 0 | 1 | 十勝岩 | 0 | 1 | 那智ノ山 | 0 | 1 | 増巳山 | 0 | 1 |
宮城海 | 0 | 1 | 吉井山 | 1 | 0 |
改名歴
編集- 若嵐 武(わかあらし たけし、1942年1月場所-1945年11月場所)
- 信濃山 武(しなのやま たけし、1946年11月場所)
- 若嵐 武(わかあらし たけし、1947年6月場所-1952年9月場所)
- 千曲錦 武(ちくまにしき たけし、1953年1月場所-1955年1月場所)
年寄変遷
編集- 湊 武(みなと たけし、1955年1月-1956年5月)
- 西岩 丈師(にしいわ たけし、1956年5月-1967年7月)
関連項目
編集参考文献
編集- 『戦後新入幕力士物語 第1巻』(著者:佐竹義惇、発行元:ベースボール・マガジン社)