本多忠通
本多 忠通(ほんだ ただみち)は、江戸時代中期の大名。遠江国相良藩の第2代藩主。官位は従五位下・弾正少弼。忠以系本多平八郎家3代。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 宝永2年(1705年) |
死没 | 享保6年7月2日(1721年7月25日) |
墓所 | 東京都墨田区向島の弘福寺 |
官位 | 従五位下・弾正少弼 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家継→吉宗 |
藩 | 遠江相良藩主 |
氏族 | 本多氏(平八郎家) |
父母 |
父:本多忠直、母:石井氏 養父:本多忠晴 |
兄弟 | 忠通、忠村、忠如、忠烈、土井利庸正室、米倉忠仰正室、戸田忠久正室 |
子 | 養子:忠如 |
略歴
編集宝永2年(1705年)、初代藩主・本多忠晴の長男である本多忠直の長男として誕生した。父・忠直は本家の大和国郡山藩主・本多忠常の養嗣子となってその跡を継いだが、忠通は祖父・忠晴の跡継ぎとなり、正徳5年(1715年)に忠晴の死去により家督を継いだ。享保4年(1719年)12月13日、従五位下・弾正少弼に叙位・任官する。
系譜
編集父母
養子
- 本多忠如 ー 実弟