天降川
天降川(あもりがわ)は、鹿児島県中央部を流れる二級河川である。
天降川 | |
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天降川と奥に霧島山 | |
水系 | 二級水系 天降川 |
種別 | 二級河川 |
延長 | 42.5 km |
平均流量 | 19 m3/s |
流域面積 | 411 km2 |
水源 | 国見岳(鹿児島県湧水町) |
水源の標高 | 648 m |
河口・合流先 | 鹿児島湾(鹿児島県) |
流域 | 鹿児島県 |
地理
編集鹿児島県湧水町の国見岳(標高648m)南麓に発し、東流して横川町横川付近より南流する。落差約5mの尾田の滝を経て牧園町川津原付近までは比較的平坦だが牧園町馬込付近より新川渓谷と呼ばれる渓谷に入りさらに南流する。隼人町湯田付近より再び平坦な流れとなり、隼人町日当山を南流し鹿児島湾(錦江湾)に注ぐ。また隼人町妙見付近から宮内原用水が分岐し、鹿児島神宮を経由し隼人町日当山を始めや天降川西側一帯の田に今も供給し続けている。流域の自治体は、鹿児島県、湧水町及び霧島市横川町、霧島市牧園町、霧島市隼人町。
上流部にはヤマセミやカワセミ、中流部には鮎も多く生息し、下流部の野口橋付近にはコサギやダイサギが多く生息する。河口部の干潟には多数の生物が生息しておりサギやカモが多く見られる[1]。
支流
編集- 手篭川 - 霧島市と曽於市の境に位置する瓶臺山(ひんでんやま、標高543m)付近に発し、おおむね西または南西方向に流れ隼人町姫城から参宮橋手前で天降川に合流する。
- 霧島川 - 鹿児島県霧島市と宮崎県小林市の境に位置する霧島山の韓国岳(標高1700m)南麓に発し、おおむね南または南西方向に流れ隼人町日当山の若鮎橋付近で天降川に合流する。上流部に霧島第二発電所、霧島第一発電所がある。中流部松永に小鹿野滝があり、滝を迂回する水路を用いる小鹿野発電所がある。小鹿野滝には大正時代にアユの遡上を促すための魚道が設けられたが、昭和初期の洪水により破損した。隼人町松永付近から松永用水路が分岐し,国分松木に至り流域の水田を潤す。
- 嘉例川 - 霧島市隼人町JR肥薩線が嘉例川の流れに沿いに走り、表木山、中福良、嘉例川の各集落がある。霧島市隼人町西光寺にて天降川に合流する。
- 中津川
- 石坂川
- 久留味川
- 馬渡川
- 万膳川
歴史
編集三国名勝図会によれば、天降川の名称はその水源が天孫降臨説話において天孫天降の地とされる霧島山にあることに由来する。しかしながら、江戸時代において天降川という名称は一般的ではなく、上流部から中流部にかけては金山川または安楽川、下流部は大津川または広瀬川と呼ばれていた。
江戸時代初期以前の河口は現在の河口より約2km東方にあり、現在霧島市の中心市街地となっている地域は海へと続く河道あるいは湿地帯であった。下流部は大雨によってしばしば洪水が発生したことから、江戸時代初期の寛文元年(1661年)、薩摩藩藩主島津光久によって大規模な流路変更工事の命令が下され、翌年から約4年間をかけて現在の河口に至る放水路が開削された。この時、台地の下にトンネルを掘削し地下に水を通して土砂を海まで押し流す工法が使われた。工事後は新たに開削された河道にちなみ下流部・中流部とも新川と呼ばれるようになった。
産業および流域の観光地
編集利水施設
編集橋梁
編集下流より記載
並行・交差する交通
編集鉄道
編集道路
編集脚注
編集- ^ 霧島市広報広聴課編 『広報きりしま vol.71』 霧島市、2009年2月
参考文献
編集- 天降川の川筋直し研究会編 『天降川の川筋直し −江戸初期の大工事−』 2001年
- 牧園町郷土誌編さん委員会編 『牧園町郷土誌』 川畑義照(牧園町長)、1991年
外部リンク
編集- 鹿児島県河川情報システムによる水位情報
- ウィキメディア・コモンズには、天降川に関するカテゴリがあります。