戦国に生きる:魏国興亡史・シニア徒然ブログ
鬼谷の教え:この作品は史実をモチーフとしたフィクションです。鬼谷きこくとは江南の陳国に生まれた人物で、弁論の術を学問として体系化し、それを書物に著したのだという。
(量権とは何か?:
その意味するところは大きいものと小さいもの、多いものと少ないもの、財産のあるところとないところ、人民の多いところと少ないところ、豊富なものと足りないものをはかることである。
また、立地の険阻あるいは平坦を見極め、自分にとっての利害をわきまえること。物事の長所短所を「謀」によって考えることを言う。
主君と家臣の誰が親しく、誰が親しくないのか、また誰が賢く、誰が不肖であるのかを知ること、外部の客の誰が知恵者で、誰がそうでないのかを知ること、
さらには時の吉凶、諸侯の交わりの中での有用不用、大衆の心の去就を見るに、何が安全で何が危ういのか、彼らが何を好み、何を嫌うのか、変化の激しい世の中で何が確かなことなのか、これらをよく知ることを「量権」というのだ……
『鬼谷子』
(虜囚)
※~二
「お見事でした。公主さま」旦は、娟が公孫閲を手玉に取る様子を見て、それを賞賛した。しかし娟の顔色は浮かぬ様子で ある。
「成功するかどうかは、わからないわ。仮に成功したとしても、将軍をお助けできるかどうかはわからない」「成功すれ ば、斉軍は弱体化します。それを見越して諸侯は斉を滅ぼそうとするかもしれません。
少なくとも、国内には混乱が起きます。そうなれば将軍が災難
を逃れる機会も訪れるでしょう」「でも、私は一方が圧倒的に勝つことを望まないわ。それに宰相の鄒忌さま は斉国内で一番とも二番とも言われる美男子だとの噂だから、あまり近づきすぎると妾めかけにされそうで怖い」
「公孫閲さまに は、それを推し進めそうなところがありますね。それが公主さまにとって幸せなことだと思っているかもしれません。良心的なお人 のようですが……」
旦は憂いを秘めた眼差しで娟を見つめた。いったい、このお方が龐涓将軍以外の人物のもとへ嫁ぐことになっ たら、どうなってしまうのだろうと思わずにはいられなかった。
「でも、きっと成功します。間違いありません」「もともとは、あなたが考えた策ですものね。うまくいくことを期待しましょう」
※
龐涓は、歴下城の地下にある牢に捕らわれていた。与えられる 食事は毎度のように羮あつものであったが、どれもその汁は泥水のような味がした。しかしこの屈辱は、彼にとって決して耐えられ ない、というものではない。彼は、戦略的に斉に勝利したとさえも考えている。自分がこのような形で捕らわれることなど、既に想定済みであったということだろう。
「出してくれと、言わぬのか」孫臏は嫌味 を含めた口調で龐涓に問いかけた。
「自分から言わずとも、いずれその時期は訪れる。お前自身が私に利用価値があると言ったでは ないか。よもや、忘れたわけではあるまい」
「そうであったな。それはいかにもその通り。しかし、それがいつになるかはわからぬ。それまでおとなしくしているのか、と聞いておるのだ」
孫臏の口調には余裕が感じられる。龐涓にとって、これは幸いなことであっ た。いま自分が逆の立場にあれば、迷わず相手を殺す……しかし孫臏にその気持ちがないことは明らかであった。
「牢の中で暴れても、どうにもならぬことはわかっている。それとも、暴れたら出してくれるのか。ならばさんざん出せと喚き散らすが、お前は私のそういう姿を見たいがために言っているだけだ。実際に出せと言ったところで出してもらえないことはわかっている」
「相変わらず、かわいげのない奴だ。少しくらい、お前の両脚を切り落とさなかったことに対して、感謝してほしいものだが」
「だからこうしておとなしくしているではないか。おそらく暴れたところで……お前の配下には拳法を習得した者もいるだろう。そんな奴らに叩きのめされたとあっては、割に合わぬ。『孫臏拳』と聞いたが……そのようないかがわしい拳法の実験台になることはご免こうむる」
「そう言うお前は剣術の達人だろう。俺のように、理論ではなく実践で評価を得てきた男だ。対抗できないとは思えぬ」
「それも武器があれば、の話だ。私は戦の中で勝ち残れるよう自らの武芸を磨いたのであって、お前の拳法のように素手で戦うような、喧嘩の技術を極めたわけではない」
おとなしくしているとは言いつつも、常になく突っかかった口ぶりの龐涓であった。彼の矜恃が萎縮することを許さないのであろう。
しかし孫臏の表情がわずかに怒りを示したとき、龐涓は後悔を感じた。このとき孫臏の口調は、やや凄みを増した。
「お前が暴れようと、おとなしくしていようと、どちらにしても殺すことはできるのだ。利用価値があると言ったのは確かだが、それがなくなったと判断されれば、お前は殺される。たとえいまの俺に直接手を下す能力がないとしても、人に処刑を命じることはできるのだ」
「……それで、私に利用価値はまだあるのか」「それをお前に教えるつもりはない。殺されそうになったとき、それがなくなったと判断すればよいことだ」
「では、いまのところはまだ価値があるということだな。実に、ありがたいことだ」
それに対して孫臏は何も言わず、その場を立ち去った。この時点で龐涓は、孫臏が自身の戦闘記録をもとに書物を残そうとしていることを知っていた。理論を記録として残そうというのである。
しかし龐涓が思うに、孫臏が唱える作戦など用兵家であれば誰でも心得ているようなものであるに過ぎない。彼に言わせれば、孫臏が意図するものは個々の作戦に名前を付け、分類しやすくする程度のものでしかなかった。心構えなどは孫武の時代には既に明記されていて、新たなことはなにもなかろう……。
実際に龐涓は孫武のものとされる兵学書を読んだことがあったが、感じ入ることは何一つとしてなかった。敵に先んじて行動すること、危険だと思われるときは軍行動を控えること、などと言われても、何を今さらとしか感じない。
しかし将軍になることを夢見る子供にとっては、よい教科書になるだろう……龐涓にとって、兵学とはその程度のものに過ぎなかった。
いっぽう孫臏にとって、これは一世一代の事業である。彼は、もはや戦いにおいて兵の先頭に立つことができない。これまで軍神と崇められてきた孫武、あるいは呉起などのような将軍としての活躍は自分に期待できない。
彼に求められるものは、後方で策を巡らす軍師としての役割であった。自分の考えを書物として著したいと考えた理由は、その役割だけでは満足できなかったということだろう。また、先祖の孫武に対する羨望も大いにあったかと思われる。
いずれにしても龐涓にとっては笑止千万な話であった。孫臏を戦えなくさせた原因は間違いなく自分にあるが、実際に戦えない人物の書物を、誰が信頼して読むものかと思うのである。彼は、孫臏のことを哀れとさえ思った。
しかしそのような考えは、自分の思い上がりだったと龐涓は気付くことになる。彼は突如現れた刑吏によって、棒で背中を三十回打たれた。 …
※~
日本の殺人事件の約半数は「家族間」で起きている。残された家族は、被害者遺族であり、加害者家族でもある。このため多くのケースでは、「加害者家族」として世間の冷たい目にさらされる。そこではどんな問題が起きているのか。
2008年に裁判への被害者参加制度が導入され、翌年に裁判員裁判が始まりました。その過程で、ひとつの疑問が出てきました。「家族間殺人」の場合、遺族は被害者、加害者、どちらの側なのか、と。
日本の殺人事件の約半数は家族間で起きています。「家族間殺人」ではない場合、被害者遺族は、犯罪被害者等基本法で公的なサポートを受けられる。しかし、「家族間殺人」の場合、残された家族は、被害者の遺族であり、加害者の家族でもあります。このため多くの加害者家族が、セーフティーネットからこぼれ落ちてしまうのです。
加害者家族のなかには自殺してしまう人も
たとえば日本の加害者家族のなかには、自殺に追い込まれてしまうケースが少なくありません。連続幼女誘拐殺害事件の宮崎勤死刑囚の父親、秋葉原無差別殺傷事件の加藤智大死刑囚の弟、和歌山カレー事件の林真須美死刑囚の長女、いずれも自殺しています。 これは支援を始めてからわかったことですが、加害者家族の相談データを分析したところ、「結婚が破談になった」が39%、「進学や就職をあきらめた」が37%、「転居を余儀なくされた」が36%という結果でした。
そこで2008年から加害者家族の支援を始めました。当初は、手探りで本当に苦労しました。日本には前例がありませんから。欧米の活動や論文を参考にはしましたが、やはり日本と欧米は違う。
欧米では家族に連帯責任を問うことはなく、社会的制裁の対象にもなりません。殺人犯のお母さんがインタビューに答えたからといって職場に苦情や抗議がくることはありません。ましてや仕事を辞めざるをえない状況に追い込まれるようなことはありえない。加害者家族が、自分たちの抱える事情や問題をオープンにできる社会環境にあります。
一方、日本には、欧米とは違って“世間”がある。世間は、犯罪加害者だけではなく、その家族の責任まで追求しようとする。日本では、まず加害者家族のプライバシーや、生活を守ることを最優先に支援を行う必要があると考え、活動を続けてきました。
私たちの団体が「相談」ではなく「支援」と打ち出しているのは、相談者に対するアドバイスだけでなく、面会や公判への同行、家庭訪問なども行うからです。それでも一度の電話相談で弁護士さんを紹介したり、ほかの支援団体につないだりして終わるケースも少なくないので、明確な数字ははっきり言えないのですが……。 凶悪犯罪、性犯罪、交通事故、いじめ事件などすべてを含めると2000組を超えるかと思います。
現在は年間200件から300件くらいの相談を受けています。そのなかで、数年かけて面会や公判に同行したり、メディア対応をしたり……と支援を続けている家族は、50組ほど。ご家族が背負いきれない重い荷物を一緒に持って、伴走していく感じですね。
逮捕直後、加害者家族が直面する問題
まずは報道対応ですね。凶悪犯罪の場合はメディアスクラムが組まれますから。加害者本人は、刑事手続きの流れに沿って逮捕、拘留され、捜査が始まります。ただそれは加害者本人に限った問題です。
逮捕直後、家族の大半が警察から連絡を受けるのですが、状況がまったく把握できていないケースがほとんどです。誰に対してどんな罪を犯したのか。自分たちがこれからどうなるのか。隣近所や親族を含めた世間からどう見られるのか。誰に相談をすればいいのか……。誰にも分かりません。
実際には、メディアスクラムが組まれるような凶悪犯罪はさほど多くはありませんが、加害者家族になったみなさんが、メディアが押しよせてくるのではないかと不安を抱きます。
それと、約10年間の支援を続けた私個人の実感ですが「家族間殺人」の当事者となった家族の共通点という面では、一見するとみんなごく普通の、幸せそうな家族なんです。ただし“見た目は”“外見上は”という断りがつくんですが……。 普通の家族、理想の家族とは何か。改めて考えてみてください。突き詰めていけば、家族に普通も、理想もないでしょう。
私が支援を続けて実感するのは、実態のない理想や、普通の家族というイメージに縛られた結果、事件に発展するケースが多いということです。
男は家族を持って一人前。女は何歳までに結婚しなければならない。子どもはこうあるべき……。そんな世間体や古い価値観が、DVや配偶者へのモラハラ、親子間や兄弟姉妹間の支配的な言動、子どもへの度を超した躾しつけにつながっていく。そして恐怖の蓄積、怒りの蓄積が事件の引き金になってしまう。
事件を起こすくらいなら離婚したり、家を出たりすればいいのでは、と不思議に思う人もいるでしょう。ただ、家族内で追い詰められていくうち、そうした視野や選択肢を持てなくなる。
そうなる前の段階で、支援団体や、力になってくれる知人に頼るべきなのでしょうが、どうしても一歩を踏み出せない。他人に弱みを見せたくない。知人に家庭について愚痴をこぼすのは恥ずかしい……。そこで邪魔するのも世間体です。 十数年、加害者家族の支援を続けてきてそのことに気づきました。 ・・・