シニア徒然ブログ

マイペースの自己満ブログです。 人生は、振り返ることは出来ても、後戻りは出来ない… 小さな希望と少しの刺激で、今を楽しくこれからも楽しく。 神戸発信…

THEライフ・シニア徒然ブログ






雑草学研究室の学生、瓜成うりなりさんは、「小中学校の探求的
学習に、校庭の雑草が活用できるのではないか」と考えていた。


悩む瓜成さんに、私は、あるプログラムを紹介してみることにし
た。それは私が食育をやっていたときから懇意にしているM川大学
のF先生が発案したプログラムだ。


実験室の奥に、水生雑草の実験をするときに使った水槽があるこ
とを確認すると、私はスーパーマーケットでたくさん野菜を買っ
てくると、水槽にたっぷりと水を入れておいた。これで準備はOK
だ。


「それじゃあ、さっそく始めよう」スーパーの袋の中から、ピー
マンを取りだした。 「ピーマンは水に浮くと思う?」 「浮くと
思います」「じゃあ、やってみるよ」 私はピーマンを水に浮かべ
てみた。ピーマンは水に浮かんだ。「浮かぶよね。じゃあ、サツ
マイモは?」「沈むと思います」 サツマイモを水に浮かべようと
すると、サツマイモは沈んでいった。


これは、浮力を学ぶためのプログラムである。 たとえば、サツマ
イモを小さく切ったら浮かぶだろうか? 浮かぶか沈むかは、大き
さではなく、比重の問題である。そのため、小さく切っても沈むも
のは沈む。


予想を立てながら実験する


F先生のプログラムは、浮力を学ぶだけにとどまらない。 たとえ
ば、キャベツは浮かぶだろうか? それでは、カボチャはどうだ
ろう。ブロッコリーはどうだろう。浮かぶだろうか? こうして、
予想を立てながら、野菜が浮くかどうかを試していくのである。


身近な野菜に興味を持つとともに、「主体的に考える」ためのプ
ログラムでもあるのだ。これが、F先生の「野菜の浮き沈み」とい
うプログラムだ。まさに、このプログラムは、子どもたちが仮説
を立てて、検証することの繰り返しになっている。


「次はこの野菜を試してみたい!」と好奇心は高まり、子どもた
ちは主体的に活動を行っていく。 ちなみにキャベツとカボチャ
とブロッコリーは浮かぶ。 サツマイモやニンジンは沈む。それ
では、浮く野菜と沈む野菜の共通点は何だろうか?




やがて、子どもたちは、「土の上にできる野菜は浮かび、土の下
にできる野菜は沈むようだ」という答えを自ら導き出すというプ
ログラムだ。瓜成さんには、F先生のプログラムの概要をあえて
教えないで実験を続けてもらう。


私は、瓜成さんに聞いた。「沈んでいったサツマイモは、植物の
根の部分だよね。それじゃあ、地面の下にある茎は浮かぶかな?」
たとえば、ジャガイモは根ではなく、茎が太ってできている。地
面の下にあれば、茎でも沈むだろうか?


「沈み……ますよね」 瓜成さんは、少し自信がなさそうだ。引
っかけ問題かも知れないと、慎重になっているのがわかる。 試
してみると、ジャガイモは沈んだ。


「それじゃあ、タマネギはどうだろう?」「タマネギも沈むと思
います」


「じゃあ、やってみるよ」 試してみると、タマネギは浮かぶ。
「そういえば、サラダを作るとき、水にさらすとタマネギは浮き
ますよね」瓜成さんは、気づいたようだ。下手な知識よりも、自
分の経験の方が考えるヒントになることもある。


そういえば、カレーライスを作るときにジャガイモは沈むし、水
で冷やしたバケツのスイカは浮かんでいる。「でも、タマネギは
どうして……?」


「もしかして、瓜成さんはタマネギが地面の下にできていると思
ってない?」 私は言った。「スマホで『タマネギ畑』を検索し
てごらん」 「あっ!」 瓜成さんが、短く声を発した。そうなの
だ。じつはタマネギは地面の上の地際にできる。一部は地面に埋
まっているが、そのほとんどは地上にあるのだ。ちなみに、タマ
ネギの食べる部分は、鱗茎りんけいと呼ばれるが、茎ではなく、
実際には、鱗片葉りんぺんようという葉が肥大したものである。


農学部の学生も考えさせられるプログラム


じつは、このプログラム、野菜のことを専門で学んでいる農学部
の学生にとっても、十分楽しめる、優れたものなのだ。「野菜の
浮き沈み」のプログラムのポイントは、誰でもわかる問いから始
めるということである。


まずは、絶対に浮かびそうなピーマンから始める。そして、キャ
ベツやカボチャなど、だんだんと意見が分かれるような野菜につ
いて質問していく。


子どもたちは「野菜を浮かべなさい」と指示をされることなく、
次々に「野菜を浮かべたくなる」ように仕掛けられているのであ
る。やさしい問いから初めて、どんどん深い問いへと誘いざなっ
ていくというF先生から教わった手法は、私は自分の授業でも取り
入れている。


「じゃあ、ダイコンはどうなるんでしょう?」 瓜成さんが、聞
いてきた。 ダイコンは、地面の下にできる野菜である。 しかし、
じつは、ダイコンの上の方は地面の上にはみ出している。そうだ
とすると、ダイコンの地面の上に出ている部分は浮かぶのだろう
か?それとも沈むのだろうか?




試してみると、ダイコンの下の方(先が細くなっている方)は沈
み、上の方(葉っぱに近い方)は縦になって水面より上に出た。
どうやら、ダイコンの上の方は浮くようだ。


今度は大根を上部と下部に切って試したところ、ダイコンの上の
部分は浮いて、下の部分は沈んだ。「すごい!」 やっぱり、“地
面の上”は浮かび、“地面の下”は沈むのだ。「地面の上の根っこ
はどうなんでしょう?」 瓜成さんが質問した。


じつはダイコンは根っこだけが太ったものではない。ダイコンの
下の方は根っこが太っているが、上の方は胚軸はいじくと呼ばれ
る茎の部分が太っている。 ダイコンの芽生えである貝割れ大根を
イメージするとわかりやすいかもしれない。胚軸は双葉と根っこ
をつなぐ部分だ。ダイコンの上の方は胚軸である。よくダイコン
は上の方は、辛みが少ないと言われるが、それはダイコンの上の
部分は胚軸だからなのだ。


ということは、胚軸が浮かんで、根っこが沈んでいるだけなのか
も知れない。ダイコンの胚軸と根っこは、見分けることができる。
ダイコンをよく見ると、ポツポツと小さな穴がある。この小さな
穴は細かい根っこが生えていたところなので、この穴があるとこ
ろはダイコンの根っこの部分ということになる。畑で見ると、こ
の根っこの部分も地面の上にはみ出てしまうことがある。


この地面の上の根っこは、浮かぶのだろうか?それとも沈むのだ
ろうか? 買ってきたダイコンではわからないが、畑であれば、地
上にはみ出た根っこがわかる。


「サツマイモやニンジンは、栄養分を蓄積して、根っこが太って
いますよね」 瓜成さんが、聞いてきた。 「じゃあ、細い雑草の
根っこはどうなるんでしょう?」「うーん、どうなるんだろうね
?」私はうなってしまった。


木材が水に浮かぶように、植物は基本的には水に浮かぶ。しかし、
サツマイモやニンジンは、栄養分を蓄積しているから、比重が大
きい。だから沈むのである。


それでは、細い根っこはどうだろう。地面の下の根っこは植物を
土の中に固定しなければならないから、水よりも比重が大きい気
がする。しかし、抜いた雑草が浮いているのを見たことがあるよ
うな気もする。 ・・・


さて、ダイコンの地面の上の根っこは浮かぶだろうか? 沈んだ
だろうか? その答えは秘密にしておこう。 ぜひ、プランターで
ダイコンを育てて、試してみてほしい。 …









※~


これまで歩いてきた道を振り返ると、「人生は起承転転」だとい
うのが実感である。


私自身、下積みの20代を経て、30歳の時に課長試験に合格。都庁
勤務となってからは都知事の美濃部亮吉さんの 側近として広報室
長や企画調整局長などを務め、その経験をベースに、いま歴史小
説を通してリーダーの 心得や組織のあり方を描いている。


まさに「転」の連続だといえよう。その経験もあって、私は企業
の新人研修で講演を頼まれることがしばしばあるが、その時にい
つも言っているのは、「お粥ではなく、握り飯の米粒であってほ
しい」 ということだ。


組織の中でドロドロに煮られてしまって、自分というものを失っ
てはいけない。 だからといって、自分勝手に好きなことをする
というのは違う。


握り飯の米粒とは、組織の一員であるという自覚を持ちつつ、主
体性を発揮していくということである。


それはつまり、「あれをやってみたい」「こういう人間になりた
い」という自分の信念を持つことだ。


そのためには、いろいろな本を読んだり、人から話を聞いたりし
て、手探りで生きる時期が必要だろう。


当然新しいことをやる場合には失敗はつきものだが、そこで諦め
ず修練し続けていく先に、思いもよらない未来が待っている。


人生のレールには限りがない。だからこそ、自分で自分の可能性
を制限することなく、常に上昇志向を抱いて、自分の志、目標に
向かって 命を完全燃焼していく人生を送っていただきたい。 …









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