シニア徒然ブログ

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森羅万象・シニア徒然ブログ




療養生活は多くの人が思っているイメージより壮絶ではない


がんの耐え難い痛みから逃れる方法はあるのか。がん専門の精神
科医の清水研さんは「がんの終末期に肉体的な苦痛が続くことが
多くあった時代とは、いまはだいぶ状況が違う。


耐え難い痛みを改善させる手段はあり、体の苦痛から逃れること
は可能だ」という…。




多くの人は自らが死ぬことを恐れ、不安を感じます。その理由は
心理学において研究されており、大別すると3つに分類されます。


ひとつめは、死そのものではなく、「死にいたるまでの肉体的な
苦しみに対する不安」です。


がんの場合なら、患者さんの多くは病気が進行したときの肉体的
な苦痛を心配します。死にまつわる3つの不安のなかで、肉体的な
苦しみに対する不安がもっとも多いということは、さまざまな研
究で示されています。


ふたつめは、「自分が死ぬことで生じる不都合への不安」です。
残される家族がどうなるかという心配、大切な人との別れによる
さびしさや悲しさ、責任をもって取り組んでいる仕事が中途半端
になることへの懸念……。


内容は人それぞれですが、どれも死後について考えたときに起き
る不安です。


そしてみっつめが、「自分が消滅することに対する不安」です。
人間の脳は、死(消滅)を予感させるものを認識したときに、強
い恐怖を感じるようにできています。


たとえば、つかまるものもない断崖絶壁に立ったら、私なら恐怖
でその場にへたり込んでしまうでしょう。このような脳の認識能
力は、危険を回避し、人類が生き残るために役立ってきたと考え
られています。


一方で、人間の脳は学習能力により、すべての動物が死にいたる
ことを理解しており、自分自身にも必ず死がやってくることもわ
かっています。強い恐怖の対象である死が、いずれ自分にも訪れ
るという現実認識が、大いなる葛藤をもたらすのです。




がん患者には死に対する不安が必ず生じるため、「死ぬのが怖い
です」といった心境の吐露をする患者さんがいます。死に関する
話題を避け、「そんなことを心配する段階ではないですよ」とは
ぐらかす医療者もいますが、あいまいにしておくほうが患者さん
の不安が強くなります。


私は患者さんから「死ぬのが怖いです」と言われたら、「○○さ
んは、死に関してどのようなことを恐れているのでしょうか?」
と尋ねます。そうすると、前述した3つの不安のいずれかが出て
くるので、そのことへの対話を心がけています。


3つの不安には対処法があります。最初は「死にいたるまでの肉体
的な苦しみに対する不安」についてです。いま健康でも、将来病
気になって苦しむのではないかという不安が、頭をよぎる人は多
いでしょう。


がん患者の吉田信二さん(仮名・58歳男性)とのやりとりをもと
に、そのような心配に対する心構えについてお伝えします。


吉田さんは化学療法を定期的に受けながら、私の外来に通ってい
ます。ある日の診察時、「体調は安定して仕事や趣味の時間をも
つことができ、元気に過ごしています」と穏やかな表情で話され
ました。


しかし、その後少し表情が曇くもり、「死にいたるまでに痛みで
苦しむのではないか? そう考えると眠れないぐらい不安になる
ときがあります」と話されました。




がんによる療養生活と聞いて、みなさんはどのようなイメージを
もつでしょうか。メディアの一部が「壮絶な闘病生活」と取り上
げることもあり、苦しみに満ちた生活を想像するかもしれません。


メディアは多くの人をひきつけるために過激な表現を使う傾向が
あるのでは、と個人的に感じます。病気と無縁と思えれば気にな
らないかもしれませんが、病気と向き合っている人には強い不安
を与えるので、闘病の描写について考えてほしいと思います。


私が実際の診察現場で感じるものは、報道される過激なイメージ
とは異なり、もっと穏やかなものです。患者さんと、ご家族や友
人、医療者とのあいだには温かい人間的な交流があり、病棟では
笑顔が見られ、笑い声が聞こえることもあります。さまざまな苦
悩はもちろんありますが、必ずしも暗いものばかりではないので
す。


死にいたるまで苦しむのではないかという吉田さんの不安につい
て、私は次のように伝えました。 がんの終末期に肉体的な苦痛
が続くことが多くあった時代とは、いまはだいぶ状況が違います。


それでも「怖い」イメージは消えないかもしれませんが、がんに
伴う苦痛の内容や程度、対処法を正しく理解し、過剰に恐れない
のが大切です。


具体的なデータもあります。2019~2020年にがん患者さんの遺族
を対象として行われた調査では、「ひどい」「とてもひどい」と
いう強い痛みを感じていたと遺族が回答した割合は、28.7パーセ
ントでした。


遺族の回答からは、7割の方は生活に支障があるような痛みを感じ
ていないわけです。一方で、3割近くはそれなりの確率ですので、
この回答で安心はできないでしょう。


ただ、この強い痛みを感じたという28.7パーセントのなかには、
痛みを訴えられなかったり、対応してもらえる医療につながらな
かったりしたケースもあると考えられます。


つらいときに、体の苦痛をやわらげてくれる信頼できる医師(緩
和ケアの専門医)とあらかじめ連携をとっておくと、苦しむ可能
性をかなり下げられると思います。


実際、全国の緩和ケア病棟に入院した患者さんを対象とした調査
では、中程度から強い痛みを感じている患者さんの割合は、非小
細胞肺がんで34パーセント→7パーセント、大腸がんで39パーセン
ト→19パーセント、乳がんで23パーセント→7パーセントと、入院
時より、入院して治療を受けたあとのほうが減っています。


専門家でもやわらげることが難しい痛みが生じた場合でも対策は
あります。「苦痛緩和のための鎮静」と言いますが、麻酔薬を使
用して眠る状態をつくり、苦しみを感じなくする方法をとること
です。それを行うかどうかは患者さんの希望しだいですが、少な
くとも、「耐えがたい体の苦痛から逃れるなんらかの手段はある」
ということはお伝えできます。


がん医療に限らず、最近は苦痛緩和という考え方がほかの疾患に
も広まり、心疾患や脳血管障害などの治療においても積極的に苦
しみをやわらげるための視点がもたれるようになりました。


以前の医療は救命や延命に力点がおかれていましたが、いまは病
気と向き合いながら豊かな日々を過ごすために生活の質を重視す
るようになったのです。




肉体的な苦しみに対する不安と関連して、安楽死をめぐる議論に
も少しふれたいと思います。 さまざまな疾患で苦痛緩和の技術
が進歩しても、死にいたる過程における苦しみへの不安は完全に
払拭ふっしょくされていません。


この不安に対して、より積極的に人間が苦痛をコントロールする
ために考え出した手段が安楽死や自殺幇助ほうじょです。医師が
患者に致死薬を投与する行為が安楽死、医療従事者が処方した致
死薬を患者が自ら摂取する行為が自殺幇助にあたります。


安楽死や自殺幇助は、オランダやスイスなど本人の意思を尊重す
る国で行われる傾向があります。スイスでは、安楽死が行われて
いない国から訪れた患者が自殺幇助を受けるケースも見られます。


一方で、「命の終わりを人間が決めるのは良くない」という道徳
観が強い国では、安楽死や自殺幇助が禁止される傾向にあります。


日本における安楽死


日本では、安楽死に関する問題の議論がまだ十分に行われていま
せん。この難しい問題を避けようとしている風潮を感じることが
多く、タブーとせずに議論をする必要があると私は思います。


ただ、オランダの医師の報告などから、安楽死や自殺幇助が合法
となると、ほかの手段(たとえば痛みであれば鎮痛薬の調整、こ
ころの苦痛であればカウンセリングなど)でも苦痛が緩和しうる
人に対して、安易に安楽死や自殺幇助が行われる恐れがあります。


かたや、安楽死や自殺幇助が選びうる手段となれば、死にいたる
までの苦しみから逃れる確かな方法があるので、安心を感じる人
もいるでしょう。


目をそむけたくなる課題をうやむやにすれば、うしろめたさや不
安がこころに募ります。 あらゆる心配事にあてはまりますが、
向き合うことはそれ自体に痛みが伴っても、疑心暗鬼にならず正
しく対処するためには必要な行為ではないでしょうか。 …










がん患者さんとの心の通った治療を心掛けてこられたという
育成会横浜病院院長の長堀先生。これまで患者さんとの間で
数々のドラマがあったそうです。


※~ *   *   * 


【長堀】


これは私が10年くらい前に出会った患者さんの話ですが、その方
はお腹の中にがんが広がっていました。


そのことは彼女も知っていたのですが、いつもニコニコされてい
たんです。彼女は75歳くらいでしたが、私が回診で病室へ行くと、
私の足音で近づいてくるのが分かるようで、いつもベッドの上で
正坐して待っているんです。


たぶんどの先生にもそうだったと思うのですが、「いつもありが
とうございます」と、正坐したまま最敬礼をしてくれるんです。
その顔は本当にニコニコで満面の笑みでした。


私はどこからこの笑顔が出てくるんだろうか、死が怖くないのだ
ろうかと、いつも不思議だったんです。


ある日のこと、いつものように素敵な笑顔を見せてくれた彼女が
真剣な顔つきで尋ねてきました。「先生、私は手術することもあ
るのでしょうか」と。私は正直にお答えしました。


もう手術をしてもがんを取りきれないし、無理をするとかえって
大変な結果になると。そうしたら彼女が喜びましてね。


【村上】


喜ばれたのですか。思いやりの心に触れた時、なぜ私たちの心は
ほわっと温かくなるのでしょうか。不思議ですね。


【長堀】


実は彼女には肝硬変の夫がいたんです。子供がいなくて親戚も近
くにいないから、お互いに支え合って生きていかなければいけな
い。だからこれ以上入院を続けて、家を空けているわけにはいか
ないと言うんですよ。本当は旦那さんより奥さんのほうが病状は
よっぽど重いんです。


でも彼女はこう言いました。「夫のことが私は心配なんです。あ
の人は私がいなければどうしようもないから。だからいつもがん
の神様に、『もう少しおとなしくしていてくださいね。私はもう
少しあなた(がん)と頑張って生きていきますから、大きくなら
ないでくださいね』ってお祈りしているんですよ」


私はその言葉にとても感動しました。がんというのも細胞であっ
て、米国の細胞生物学者ブルース・リプトン博士は「細胞一個一
個に、感性がある」という話をしています。


例えば単細胞のミドリムシは餌があれば寄っていくし、毒が来る
と逃げていく。


単細胞ですから脳みそも神経もないわけですが、そういったこと
が全部分かる。


だから博士は「細胞はそれだけで完璧な生命体である。しかも生
きる感性を持っている」ということを言っているんです。


そうであれば、がんも細胞ですから生きる感性があるので、当然
人間の思いとも関係してくる。


実際、彼女は長く生きたんです。もって一年という診断でしたが、
三年半あまり生きることができた。


私は彼女の思いががん細胞に届いたのだと思っています。  …









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