労働市場を柔軟にすべきだというと、「終身雇用が労働意欲の源泉だ」という類の反論がある。こういう人々は、日本のサラリーマンは会社が好きだから遅くまで残業すると思っているのだろうが、本書も指摘するようにそれは神話である。日米の企業で社員に質問すると、答は次のようになる:
  • 「この会社をよくするために、いわれたよりよく働く」:日54.3%、米74.3%
  • 「私の価値観はこの会社の価値観とまったく同じだ」:日19.3%、米41.5%
  • 「いま知っていることを就職のとき知っていたら、もう一度この会社を選ぶ」:日23.3%、米69.1%
このように日本のサラリーマンは欧米人よりも会社がきらいで、今の会社に入ったことを後悔している。正社員もハッピーではないのだ。その原因は、転職によっていやな会社をやめることがむずかしいためだ。こうした調査結果は、ドーア『日本の工場、イギリスの工場』で30年以上前に発見されて以来、定型的事実である。サラリーマンが会社に忠誠をつくすように見えるのは、出世のために演技しているだけなのだ。彼らの本音は、飲み屋でわかる。

サラリーマンは「この会社にあと30年いなければならない」と考えると、無意識のうちに繰り返しゲームの割引現在価値Vを計算する。初項を1、割引率(ゲームの終わる確率)をrとするとV=1/rになるが、転職のオプションがないとrは小さいので、Vはきわめて大きくなり、組織への裏切り(モラルハザード)はまず起こらない。万が一ばれた場合のVの機会損失(出世からはずれるコスト)が短期的な裏切りの利益よりはるかに大きいからだ。むしろ裏切りを抑制して組織への同調を求める圧力が非常に強いことが、彼らのストレスの原因になっている。

また個人間の競争が少ないというのも神話だ。賃金は平等主義的で年功序列だが、職務の幅が広いためポストの差は非常に大きく、査定の差はアメリカより日本のほうが大きい。NHKでいえば、同期で東京の報道局長と北海道のローカル局長は同じ局長級で賃金もほぼ同じだが、社内的な「力」はまったく違う。サラリーマンは賃金ではなく、「本流ポスト」に残ることをめざして競争するのである。

ただし、こうした競争が企業の生産性を高めるとは限らない。それは社内の人脈をつくるゼロサムのrent-seekingなので、生産性にはあまり貢献しない。むしろ減点法の査定がきびしいために調整型の「人格者」が出世して、思い切った戦略がとれない原因となる。著者は日本企業が「集団主義的」ではなく競争が激しいことを実証データで指摘するが、社内競争の激しい日本企業が対外的な競争力を失った原因を解明できていない。