国民負担率が50%に近づいて「大きな政府」への不満が高まっているが、1970年代にアメリカ経済がインフレと財政赤字でボロボロになったとき、ケインズ的な福祉国家への批判として出てきたのが、「小さな政府」を掲げたリバタリアンだった。
1974年に出た本書は、ロールズの『正義論』への批判として書かれ、その後のレーガン政権の新保守主義の支柱ともなった。その特徴はロールズの「無知のヴェール」にならって、思考実験で人々の安全を守るために最小限必要な制度とは何かを考えたことだ。
個人が集まって生活するとき、生命や財産を守るための組織としての保護組合(protective association)が必要になるが、複数の保護組合が衝突すると、暴力的な紛争が日常化する。それを防ぐために、一定の地域内で公権力が暴力を独占し、他の保護組合を武装解除するのが最小国家である。
ノージックは、国家に必要不可欠な機能は暴力装置としての軍事・警察・外交だけだとして、所得の再分配などを行なう福祉国家を否定したが、実際の国家がノージックのいうような手順で発生したわけではない。これについては「ロールズと同じく空想的な国家論だ」という批判があり、以後ノージックは一度も政治哲学の本を書いていない。
その役割は戦争や外交と州際業務の調整に限定される最小国家であるべきだ、というのが合衆国憲法の精神である。フランス革命やロシア革命が暴力の際限ない拡大をもたらしたのに対して、アメリカの建国の父は暴力装置としての国家の凶暴性を認識し、それを抑制する必要を理解していた。
このような建国の精神は、アメリカ経済が危機に陥るとよみがえってくる。スタグフレーションに陥った1970年代に、それまで学問的には傍流だったハイエクやフリードマンが注目されるようになり、政治的にも「小さな政府」が勢いを取り戻した。
サッチャー首相はハイエクの『自由の条件』を愛読書とし、レーガン大統領はフリードマンを顧問として金融引き締めをやった。その結果、インフレは収まったが失業は悪化し、英米の政権はピンチに陥ったが、社会主義の崩壊で救われた。
日本でも中曽根首相は新保守主義を継承し、小沢一郎氏はその路線を進める予定だったが、政局の混乱で挫折した。中曽根政権の国鉄・電電民営化も、小泉政権の郵政民営化も「小さな政府」の政策だった。それは赤字国債を大量に発行すると金利上昇とインフレで国が滅びる、という危機感があったからだ。
しかし財政状況は2000年代から変わった。ゼロ金利が続き、日銀が量的緩和をしてもインフレにならない。政府債務は1000兆円を超えたが、債務残高のGDP比は下がっている。このため財政再建はそれほど深刻な問題ではなくなり、リフレ派が滅亡してMMTが流行するようになった。
今あらためて問題になっているのは、社会保障負担の重さである。もとは企業の福利厚生費だった社会保険料が「国民皆保険」に膨張し、受給者が激増して負担者が減って負担が膨大になった。まるで1970年代に英米が経験した「福祉国家の終焉」を半世紀遅れで見ているようだ。
1974年に出た本書は、ロールズの『正義論』への批判として書かれ、その後のレーガン政権の新保守主義の支柱ともなった。その特徴はロールズの「無知のヴェール」にならって、思考実験で人々の安全を守るために最小限必要な制度とは何かを考えたことだ。
個人が集まって生活するとき、生命や財産を守るための組織としての保護組合(protective association)が必要になるが、複数の保護組合が衝突すると、暴力的な紛争が日常化する。それを防ぐために、一定の地域内で公権力が暴力を独占し、他の保護組合を武装解除するのが最小国家である。
ノージックは、国家に必要不可欠な機能は暴力装置としての軍事・警察・外交だけだとして、所得の再分配などを行なう福祉国家を否定したが、実際の国家がノージックのいうような手順で発生したわけではない。これについては「ロールズと同じく空想的な国家論だ」という批判があり、以後ノージックは一度も政治哲学の本を書いていない。
福祉国家の終焉
しかし個人の集まりから国家が生成する本書の構成は、アメリカ合衆国が生まれる過程をモデルにしたものと読むこともできる。個人が武器をもって争うことは非効率なので、自警団としての国(State)ができるが、イギリスと戦争するためには国が結束する必要があるため、主権国家としての連邦政府ができた。その役割は戦争や外交と州際業務の調整に限定される最小国家であるべきだ、というのが合衆国憲法の精神である。フランス革命やロシア革命が暴力の際限ない拡大をもたらしたのに対して、アメリカの建国の父は暴力装置としての国家の凶暴性を認識し、それを抑制する必要を理解していた。
このような建国の精神は、アメリカ経済が危機に陥るとよみがえってくる。スタグフレーションに陥った1970年代に、それまで学問的には傍流だったハイエクやフリードマンが注目されるようになり、政治的にも「小さな政府」が勢いを取り戻した。
サッチャー首相はハイエクの『自由の条件』を愛読書とし、レーガン大統領はフリードマンを顧問として金融引き締めをやった。その結果、インフレは収まったが失業は悪化し、英米の政権はピンチに陥ったが、社会主義の崩壊で救われた。
日本でも中曽根首相は新保守主義を継承し、小沢一郎氏はその路線を進める予定だったが、政局の混乱で挫折した。中曽根政権の国鉄・電電民営化も、小泉政権の郵政民営化も「小さな政府」の政策だった。それは赤字国債を大量に発行すると金利上昇とインフレで国が滅びる、という危機感があったからだ。
しかし財政状況は2000年代から変わった。ゼロ金利が続き、日銀が量的緩和をしてもインフレにならない。政府債務は1000兆円を超えたが、債務残高のGDP比は下がっている。このため財政再建はそれほど深刻な問題ではなくなり、リフレ派が滅亡してMMTが流行するようになった。
今あらためて問題になっているのは、社会保障負担の重さである。もとは企業の福利厚生費だった社会保険料が「国民皆保険」に膨張し、受給者が激増して負担者が減って負担が膨大になった。まるで1970年代に英米が経験した「福祉国家の終焉」を半世紀遅れで見ているようだ。