「アクセス回線会社」案をめぐって来月、孫正義氏と夏野剛氏と私の3人でニコニコ動画で討論することになった。スケジュールは調整中だが、技術的な問題に深入りするより通信インフラ整備についての考え方を議論したほうがいいと思うので、経済学の標準的な考え方を紹介しておこう。

アクセス回線会社の経営が国費を投入しなくても可能で、かつ黒字を出せるというソフトバンクの試算は怪しく、総務省のタスクフォースでも多くの疑問が出された。それがかりに正しいとしても、離島や山間部まで月額1400円でFTTHを敷設する「ユニバーサルサービス」は間違っている。光ファイバーを敷設するコストは都市部と山間部で7倍以上違うので、これは都市住民への私的な課税である。八田達夫『ミクロ経済学2』は、ユニバーサルサービスを「既得権保護政策の実例」としてあげ、こう書いている:
ユニバーサルサービスの根拠は、郵便のように人間生活にもっとも基本的なサービスについては、居住地にかかわらず同じ料金にすることが社会的義務だということです。つまり地域間再分配することが社会的義務だというのです。[しかし]ある財の価格を再分配のために全国均一にするのは、資源配分を非効率にします。現に食料や住居は人間生活に最も基本的なものですが、その価格の地域間平等化が必要だという議論はありえません。

人々は地域間を移動できます。公共料金に限定しても、水道料金は地方によって異なるし、ガス料金もプロパンガス地域と都市ガス地域では料金が異なります。郵便代だけが供給コストを無視して均一料金であるべき理由は見つかりません。無理に均一料金にすると、供給コストが高い地域から安い地域への資源の移動を妨げるので、社会的な無駄を発生させます。(pp.441-2、強調は原文)
これはFCCの基本的な考え方でもあり、彼らはユニバーサルサービスを最終的には撤廃し、(必要なら)直接所得補償に切り替える方針である。最低限度のライフラインの保証は必要だという議論もあるが、その場合も必要なのは通信手段であって固定電話ではない。多くの利用者は、黒電話を守ってもらうより、携帯の基地局を望むだろう。まして光ファイバーをユニバーサルに普及する政策はありえない。それはナショナル・ミニマムの保障という域を超えた「押し売り」である(少なくとも私は拒否する)。

最小限の通信手段を保証する方法としては(中央あるいは地方)政府が補助するしかないが、その場合の国民負担を減らす方法としてオークションを行ない、最少額を提示した業者に一つの地域で独占的に供給させる方法があり、アメリカの一部の州で実施されている。ソフトバンクの案は、この変種と考えることもできようが、各国の経験では最小限度の電話サービスに限っても、地域独占を作り出す弊害は大きく、かえってその地域の発展を阻害する。

もしソフトバンクのいうように全世帯に月額1400円でFTTHを供給する国策会社ができれば、いまNTTと競争して独自のインフラを敷設している電力系やケーブルテレビ業者の経営は成り立たないので、国策会社が買収して1社独占にするしかない。それはせっかくここまで育ってきたプラットフォーム競争(関西ではFTTHの1/3は電力系である)を殺し、イノベーションを窒息させてしまうだろう。八田氏はこう指摘している:
「地方への財政再分配」は、高い生産性を持つ大都市から税を吸収して生産性の低い地方に分配したため、日本全体の生産性を落としました。とりわけ生産性の高い大都市に資源を投入しなかったため、必要な都市のインフラが整備されず、第3次産業中心の国際競争の時代に日本の都市は競争力を失ってしまいました。(p.474)
IT産業のように誰もが当たり前だと思っているプラットフォームが急速に変化する業界において、30年計画で社会主義的なインフラ整備を行なうことは、きわめて危険である。NTTのINSもISDNもB-ISDNもすべて失敗に終わり、その教訓に学ばない「FTTH原理主義」のNGNも失敗した。ビジネスには未来は予知できないというヒューム的な謙虚さが必要だが、IT産業では特に重要である。