きょうの磯崎さんのアゴラ起業塾は、すごい熱気で私も驚いた。講師の話も濃密だったが、100人近い満員の聴衆が、具体的に起業のノウハウを求めて食い下がるのが印象的だった。失礼ながら、船が傾くと鼠が逃げ出す光景を連想してしまった。特に今の30代以下には、「終身雇用」という言葉は建て前以上の意味をもたない。40過ぎてつぶしがきかなくなる前に出口をさがさなければ、手遅れになるという感覚が広がっているようだ。

これは今日の磯崎さんの話の内容から考えると、グッド・ニュースではないだろうか。彼の説明によれば、日本の個人金融資産1400兆円はじゃぶじゃぶに余っており、VCの資金は1兆円しかないのに投資先に困っている。けさの記事にも書いたように、ボトルネックは資金ではなく投資機会なのだ。投資機会とは、つまるところ人である。優秀な人材が官庁や大企業の沈みゆく船に乗ったまま、降りるに降りられない状況が、本人も日本経済も不幸にしている。

磯崎さんのセミナーの一つのテーマは「いかにexitするか」ということだが、これは人生にもいえるだろう。彼も私も30代で会社をexitしたわけだが、結果的には沈む船に乗っていた同僚よりハッピーだった。しかし一般的には、世間でいう一流企業を途中でやめることは非常にリスクが高いため、優秀な人材が船と一緒に沈んでゆく。金は余っているのだからリフレなんて笑止千万で、流動性を高めるべきなのはマネーストックではなく人材である。

こういう問題は、実は新しくない。1980年代のアメリカでも、恐竜化した企業にロックインされた人材と資金をいかに動かすかが深刻な問題だった。Jensenは、企業買収(特にLBO)が、老朽化した企業を売却してexitさせる出口戦略なのだと論じた。ムーアの法則によって半導体のコストが10年で1/100になる時代には、残りの99は過剰設備になり、そこに張り付いている要員も余剰になる。こうした余剰設備・人員を効率的な用途に再配分するための装置としてLBOは機能したのだ――という彼の説は、当時は拝金主義を正当化するものとして非難されたが、今日ではおおむね通説になっている。

日本の「失われた20年」が長期化している一つの原因は、こうした資本市場が機能していないため、出口戦略が描けないことにある。実は、80年代には興銀や長銀が投資銀行をめざしていたことがあったが、運悪くバブルによってその路線は放棄され、長信銀は全滅した。これにこりた邦銀は昔ながらの金貸しに撤退したまま、ゆっくり沈もうとしている。

既存企業の売却・再構築によるexitに期待できないとすれば、もう一つの可能性は起業だろう。これはもちろんハイリスクだが、ウェブベースのサービスなら、情報インフラのコストは限りなくゼロに近づいているので、コンサルティングや個人メディアのようなself-employmentのリスクは小さくなっている。起業塾のみなさんの熱気をみていると、「この会社で定年まで食っていける」という希望を捨てる勇気が日本を変えるかもしれないと思った。