メルロ=ポンティの『行動の構造』に、幻影肢という印象的な話がある。戦場で右腕を失った兵士が「右手の親指が痛い」と訴える精神疾患だ。同様の現象は、普通の社会にもよくみられる。「既得権を守る官民癒着」というが、実はすでにその既得権が存在しない場合も多い。
1998年に私が日経新聞の「経済教室」に「地デジは失敗する」という記事を書いたら、ある在京キー局のマルチメディア局長が私をたずねてきて、「私も同感だ。地デジのキャッシュフローは大幅な赤字で、民間企業の事業としては成り立たない」というので、私が「氏家会長もいやだといってるんだから、民放連がまとまって反対したらどうですか」といったら、彼はうなずいていたが、その後、彼は社長になって赤字事業を推進している。
今回の記者会見の開放問題では、さすがに「そろそろクラブも開放しよう」という意見が現場の記者には強い。元朝日新聞の原淳二郎氏も、条件つきながら開放に賛成しているが、外務省と金融庁しか一般開放されない。ある記者によれば、読売は渡辺恒雄会長の指示で「絶対反対」の方針を各クラブに徹底しているのだという。
しかしアゴラにも書いたが、実は記者クラブも経営の重荷になっており、経営陣はやめたいと思っているのだ。ほとんどのニュースはEメールでリリースが出るし、交通事故や火事は共同通信の原稿で十分だ。各社がクラブに人を貼り付けているのに自社だけやめると「特落ち」で恥をかくことを恐れて、横並びでクラブに張り付いているだけだ。ところが渡辺氏のような幻影肢の記憶を持ち続けている人々は、もはや存在しない利権を守ろうとして政治力を使う。
日本で社債市場の発展を阻害してきたのは、長期債を出す特権を守ろうとした興銀である。90年代以降は、資金需要が低迷して利付債と逆鞘になっていたのに、興銀は長期債の発行を独占しようと金融制度調査会でねばり、最後には実質的に経営破綻してみずほに吸収された。幻影肢を守ろうとするインカンバントの錯覚は、新規参入者に迷惑なばかりでなく、インカンバント自身を没落させてしまうのだ。
新聞もテレビも、赤字になればなるほどかたくなに、電波利権や再販制や記者クラブを守ろうとする。それは半世紀前には資産だったかもしれないが、今や彼らのビジネスを制約し、新事業への進出を阻害する負債なのだ――ということにそろそろ気づいてはどうだろうか。
1998年に私が日経新聞の「経済教室」に「地デジは失敗する」という記事を書いたら、ある在京キー局のマルチメディア局長が私をたずねてきて、「私も同感だ。地デジのキャッシュフローは大幅な赤字で、民間企業の事業としては成り立たない」というので、私が「氏家会長もいやだといってるんだから、民放連がまとまって反対したらどうですか」といったら、彼はうなずいていたが、その後、彼は社長になって赤字事業を推進している。
今回の記者会見の開放問題では、さすがに「そろそろクラブも開放しよう」という意見が現場の記者には強い。元朝日新聞の原淳二郎氏も、条件つきながら開放に賛成しているが、外務省と金融庁しか一般開放されない。ある記者によれば、読売は渡辺恒雄会長の指示で「絶対反対」の方針を各クラブに徹底しているのだという。
しかしアゴラにも書いたが、実は記者クラブも経営の重荷になっており、経営陣はやめたいと思っているのだ。ほとんどのニュースはEメールでリリースが出るし、交通事故や火事は共同通信の原稿で十分だ。各社がクラブに人を貼り付けているのに自社だけやめると「特落ち」で恥をかくことを恐れて、横並びでクラブに張り付いているだけだ。ところが渡辺氏のような幻影肢の記憶を持ち続けている人々は、もはや存在しない利権を守ろうとして政治力を使う。
日本で社債市場の発展を阻害してきたのは、長期債を出す特権を守ろうとした興銀である。90年代以降は、資金需要が低迷して利付債と逆鞘になっていたのに、興銀は長期債の発行を独占しようと金融制度調査会でねばり、最後には実質的に経営破綻してみずほに吸収された。幻影肢を守ろうとするインカンバントの錯覚は、新規参入者に迷惑なばかりでなく、インカンバント自身を没落させてしまうのだ。
新聞もテレビも、赤字になればなるほどかたくなに、電波利権や再販制や記者クラブを守ろうとする。それは半世紀前には資産だったかもしれないが、今や彼らのビジネスを制約し、新事業への進出を阻害する負債なのだ――ということにそろそろ気づいてはどうだろうか。