先日から廻った京都の寺社仏閣の御朱印です。
六波羅蜜寺 豊国神社
三十三間堂 瀧尾神社
東福寺 大報恩寺(千手観音堂)
石像寺(釘抜地蔵) 法輪寺(達磨寺)
北野天満宮 大将軍神社
仁和寺 妙心寺
妙心寺 三門
最後は妙心寺 三門の御朱印です。
この三門(重要文化財)、普段は非公開なんですが年に1度、
6月18日に1時間半ほどの特別公開があります。
その日は妙心寺山内の全僧侶が本尊である観世音菩薩・
十六羅漢などが祀られている山門の楼上に集まって
山門懺法会という法要を行います。
私達はその様子を回廊から見る事ができます。
(公開時間内に法要は終わらないので堂内に入る事はできません。
写真も禁止です)
妙心寺のHPより画像をお借りしましたが、中は暗くて残念ながら
こんなにはっきりとは見えませんでした
この三門懺法会(さんもんざんほうえ)とは日頃知らず知らずの内に
犯している自らの過ちを懺悔する仏事です。
30人ほどの僧侶の方たちが唱えるお経が堂内に響き、
厳粛な気持ちになり、知らず知らずの内に手を合わせ
コウベを垂れていました。
1時間半以上そこに立ち、時には目を閉じ祈り願う時を過ごしました。
人は、自分ではどうしようもできない事、人間のチカラでは
如何ともし難い事に直面したらどうするんでしょう。
私は最近、朝の散歩で家の近所にあるお寺や神社に寄ります。
途中の道端にある小さな社やお地蔵さんにも手を合わせます。
毎朝お水を供えお香を焚く両親の写真に祈ってます。
何気なく見上げた、雲ひとつなくきれいに晴れわたった空に、
風にサワサワと揺らぐ新緑の木々に、
そういう天地自然に無意識に祈っている自分がいます。
信仰心など全く持っていないけれど、「祈り」「願う」事で
そこに御わす何かに、少しだけ重荷を預けているような
そんな気持ちになっています。(自分勝手ですね)
でも、それで救われています。
『祈る』というのはそう言うことなんでしょうか
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