皆様良いお年を!

今年は年末日本もかなり寒気が厳しいようですね。こちらも今年は冬らしいお天気が続いています。

本年中は皆様に大変にお世話になりました。

今年の後半に始めたばかりの私のブログ。イイ年して土方歳三ラブという厨二病がでてしまいまして、そのとても痛い思いをぶつけるために気まぐれのように立ち上げてしまったこのブログにも関わらず、既に何人かの方は私のツマラナイ歴史トークにお付き合いいただいて、大変に感謝しております。

来年もこのゆるくかつ適当な感じでこのブログを運営していくかと思いますが、どうか見捨てずにお付き合いくださいませ。

そして皆様、どうか寒気で体を壊さず良いお年をお迎えくださいませ。本年度はたいへんにお世話になりました・

最後に皆様のいる日本の方角を向きながら、みなさまの健康と繁栄をお願いしつつ、来年には日の本に再び戻れることを祈願しておきまする。

みなさま、良いお年を!

歴史はめぐる もう今年ももう少しで終わるから吐いておこう 

あー日本はクリスマスイブみたいですね。私は海外なので、今準備の真っ最中

でも、日本と違いこちらは主にクリスマスの当日がメインなので、イブはそんなにって感じだけけど。

でもねー!こちらはクリスマスの本場のせいもあってか、家族どうして交換するプレゼントの数が半端無いんですよ!
子供には最低10個位のプレゼントを上げるんです。金額関係なしに!

もういろんなもの包みすぎて、クリスマスの包装紙見たくない!というわけで気分転換にこの文をかいております。

所で、今回の歴史はめぐると言うタイトルですが、先日たまたま歴史研究家のあさくらゆう様のサイトにて見つけた記事から思わぬ私の人間関係にたどり着いて、ああああ あり得る!あの一派なら!という所に巡り巡ってしまったのです。

発端はこちらの記事 会津藩糞尿降伏事件(PCから見ると文字化けの可能性があります。)

ロンブーのあの方・・・・私は直接お会いしたことも無いのですが、その取り巻きのような方を知っています。
(以降の文は人によっては不愉快に感じる方も居るかもしれませんので追記にさせていただきます。)

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沖田総司の秘密兵器とBL!??閲覧注意

えっとぉ スイマセン タイトルがものすごく大げさで 汗 

ものすごく面白い沖田総司を見つけてしまったので、ツイツイ・・・・(史跡はどうした!と怒られそう 冷や汗)

ツイッターで何時も私が話している沖田さんが居るんですが、その方からたまたま教えていただきました!
(毎日この沖田さんと会話してる、かなり痛い私です。)

もしかすると、シリアスな新選組ファンからするとイメージ崩すな!と怒られそうなので・・・

追記に置いときました・・・・!!!


↓こんなん沖田総司じゃない!と怒らない方だけどうぞ!↓

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絶対にありえない斉藤一の逸話 そんなの武士にありえない!

最近このへんは雨嵐ばっかです。本来のこのへんの天気にもどりつつあります。桑港て実はクリスマスシーズンが雨季真っ盛りなんですよ。コレが。

仕方ないから家に閉じこもってると腰痛がひどくなり、得意のブリッジをしたら余計にひどくなりました 次は逆立ちにしようっと!え?違う?そんな琴乃ちゃんです。前置き長っ!

さてさて、私のどーでもいい日常は老いておいて本題に行きましょう!

今回は新撰組の中でも最強との呼び声高い斉藤一氏のお話ですか。かなり独断はいっちゃてるので、苦手が方がいたらスルーで御免遊ばせ!

それにしてもココ最近の幕末ブームに乗って、君も僕も大好きな幕末のヒーロー(?)新選組の人気もうなぎ上がり!

特に斉藤一氏は人気は皆に定着しまくってます!なんとか剣心とか、某乙女ゲーとか、大活躍!

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拙者 斎藤一にござる (薄桜鬼より)

そうそう、この方斉藤一氏ですよ?もう、この画像の乙女ゲーの成果によって、今や斎藤一の人気は乙女の間じゃ欠かせない幕末のアイドルになっております!(なぜこの絵面をあえて選ぶ。私)

でも、あら嫌だ奥さん。何故に創作物の斎藤一氏てば右差しの左利き・・・・!?しかも某乙女ゲーなんて着流し着用??

あ、ありえない!絶対にありえない!(薄桜鬼ファンのかたスイマセン。)

だって、武士のと言うのは面子とプライドがすべての世界。体裁が全て。

人と違う格好をしてたら、イジメの対象になっちゃいますよ!給食の時間も一人でご飯食べなきゃいけなくなります!

インドだって左手は不浄の手ですから、左手で何でもこなす人なんて、仲間はずれです!

しかも武士なのに町人と同じ着流しを着用していたら、服装で社会的な身分を表していた武士の対面はどこ!?

そんなの誇り高き武士にたえられるわきゃあありません!

仮に左利きであったとしても刀を右差しにするわけなんて絶対にありえないし、右で何でも出来るように徹底的に矯正されるはずですね。

特に昔はそうでした!私が子供の頃なんて、左利きはそれこそ◯チガイに見られるからとか言われて、左利きの子はそれはそれは厳しく矯正されていた記憶があります。

しかも、剣道とか居合の型は全て右利きであることが前提で型が決まっているから、左利きだったら教えようがありませんわよね?そうでございましょう?奥様?

でも、もしかすると・・・?左利きの人が右利き前提で剣術を習得したら、それはそれは鬼に金棒かもしれませんよね?

だって剣術の型はその全てが右利きが前提ですから??

例えば武士が誰かと会合を行う場合、敵意が無いことを示すために刀は必ず右に起きます。

これは自分の利き腕とは逆に刀を置くことで、敵意が無いことをお相手に示していることになるそうです。
これも右利き前提で作られた剣術の作法になります。

しかし、若し仮に左利きの人がその作法通りに右に刀を置いたら利き腕を使っていざというときに相手を切り倒すことができるとは言えないでしょうか。

でもやっぱり剣術は全ての方が右利き前提だから、仮に左利きを活かして室内で刀をパッとつかめたとしても、パッと刀を持てたとしても、持ち直さなきゃいけないから・・・・・やっぱり全く意味ないですね。

というわけで、やはり斎藤一氏の左利きは絶対にありえない!そう私は思うのです。

でも平成の世の中になると、左利き意外とカッコイイという印象があるのかもしれませんね。

左利きなんかだったりすると、人と違うから一つの個性としてカッコよく映るのかもしれません。
昭和の創作物でさえそうだったようですから、そう思う方はもしかすると少なくないのかもしれません。

私は思いっきり昭和の女なんで、そのへんがさっぱりわかりません!

でもこれらの斎藤一氏左利き説は、彼が新選組最強の剣士とまで言われ、しかも壮絶な戊辰戦争と会津戦争を最後まで生き残った強者の新選組隊士である一人。それにも関わらず彼の半生は謎に包まれており、そこが様々な彼に関しての憶測を呼ぶ要因になったのかもしれませんね。

しかも斎藤一氏は武人の中の武人とも言える人物だったと伝わっていますから、寡黙で無駄口も叩かず、つねにキリリとした人。家族にでさえあまり無駄なことを話さなかった事も想像に難くありません。

そうなると、必然的に彼に関しての史料も少なくなり、より魅力的な謎のベールに斎藤一氏が包まれることに一役買ったのではないでしょうか。

そういえば斎藤一氏の逸話と言えば、自分でふんどしを洗っていたとか、孫が家にが帰ってくると家の中に竹刀を持って隠れており、いきなり「士道不覚悟!」と叫びながら飛び出してきたとか、結構お茶目です。

もし自分のおじいちゃんがいきなりそんな感じで家の物陰から出てきたら、スッゴイ楽しいと思います。きっと嫁はうざいと思っていたかもしれないけど 笑  でもそんな斎藤一氏はきっと至って真面目だったのかもしれませんね。

そしてそんな武人としての生涯をすごし、義理堅い昔の日本男子と言える斎藤一氏こと藤田五郎。彼は戊辰戦争の頃の会津に義理を通すかのように会津阿弥陀寺に眠っています。享年72歳。


この墓所についてはまた後日書くことにして・・・・・・。今日はこのへんで勘弁して下さい!

次回はいよいよ、私が訪れた勝海舟の桑港の史跡リポートです。

最後まで私の稚拙な文字を追ってくださって有り難うございます!
↓押してくれると無駄なやる気を出します。


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逆アフロモヒカンの鬼の副長歳三さん どうしてこうなったの!??

ち、ちょっと奥さん!大変ですのよ!
ツイッターで偶然見つけた歳三さんてば!思わずお茶を吹きそうになりました!
@toshi5hayato様のアカウントからです!



こ、これ???歳三さん???あれ?アフロ??逆モヒカン??

は、函館で歳三さんはこんな髪型だったんですか??写真と違いすぎ!
も、もしかするとこれを書かれた方は、豊かな歳三さんの髪を復元している感じだったのでしょうか??

最初は冗談かと思ったのですが、実に真面目な文献に掲載されていた模様!!

徳川義臣伝 明治戦記. 甲という、明治時代に出版された本だそうなのです。

五十人の徳川家に戊辰戦争で貢献した人物が掲載されていますが、やっぱり時代が時代なせいでしょうか?
この本に掲載されている人の挿絵は全て浮世絵調です。

中島登さんのほうが上手なような気がするけど??

でもさ~~~~!なんで歳三さん逆モヒカンアフロなの?池袋の東口あたりにこんな人居ませんでしたか?

あっ、すいません 純粋な歴史ファンの方!!!私だって歳三さんはだいすきなのよぉおお!
でも、面白いほうがいいかと思って・・・・ うう。

古文が見づらいという人は、コチラのサイトに読みやすく掲載されていました。

因みに近藤局長も、微妙な後ろ姿で掲載されています!榎本さんも、大鳥さんも、佐幕派がワンサカ!

探してみてね!

読んでくれて有り難う!
押してくれると変なやる気を出すよ♪

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今でも実在する平九郎茶屋

前回上げたブログ記事渋沢栄一氏の養子である、スーバーイケメン渋沢平九郎氏のことについて書きました。

でも私ってば、相変わらずそそっかしいので一つ書き忘れちまった事があるんですよ。

前回の投稿の中でも出てきた、平九郎が官軍に遭遇する前に立ち寄ったお茶屋さん。この茶屋は今でも実際に存在するらしいのです。なにげに、そしてひたすら個人的に感動です!!

そのお茶屋こちら
なにげにお料理が美味しいみたいですね??結構な山奥なせいかお値段は高いようですが、眺めはすごくいいみたい!

本当にこの茶屋が平九郎が生前最後に立ち寄ったかどうかはわかりません。でもいいじゃないの!
(もし史実に詳しい方が居ましたら、ご教授くださいませ。)

もし埼玉の飯能の山に登る人がいれえば、ぜひとも詳しいリポートが見てみたいものです。

日本にいる皆さんが、本当に羨ましい!

押してくれると、こんなつまんないブログでもやる気が出ます!

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アイドル並みのイケメン!?土方歳三にも縁の経済の父、渋沢栄一氏の秘蔵っ子


うわ~~!もう師走ですよ。どうしましょう!(こないだからそればこないだからそればっかり!)
なのに、色々とアレなんでアレしてます!私!すいません 意味不明で!

ところでみなさん、相変わらず唐突ですが!このウルトライケメンについて何かご存じですか???
結構有名だから、多分知っている人のほうが多いですね。でも書かせて!

渋沢平九郎
(日経新聞からお借りしました。)

イケメンですね~~!とても今から150年ほど前の幕末の人とは思えないイケメンぶりです!

まるでTOKIOかエグザイルのメンバーの一人と言われても遜色ないほどのイケメンです。
この人のイケメンぶりは結構有名なので、既にこの写真の主が誰なのかご存知の人もいるかも知れませんね。

この若きお侍さんの名は、渋沢平九郎。 渋沢栄一氏の養子だった人物です。

あれ・・・?なんか聞き覚えのある名前ですね。

そう!この青年は先日このブログでもご紹介した、幕末の偉人渋沢栄一氏の見立て養子だった人なのです。

この記事です。
日本の資本主義の父と言われる渋沢栄一と新選組の土方歳三の縁 
なぜ渋沢氏はこれだけの功績があるのに人気が無いのか!?


渋沢栄一氏は埼玉のみならず日本を代表する偉人中の偉人とも言える人物。

幕臣としても活躍し、徳川慶喜公の弟君である当時14歳の徳川昭武公の付き添い兼会計係として、1867年にフランスはパリで行われた万国博覧会にも参加しています。

し・か・し。そのフランスで万博が行われた1967年は慶応三年。明治元年の一年前であり、まさしく幕末の動乱の時期の真っ最中です。それでもやはり徳川幕府は幕府の威信と国際交流のために、徳川昭武公をフランスまで送り出したのですから、剛気といえばそうかもしれません。

でも、日の本が内戦の真っ最中で、徳川幕府存亡の危機かもしれないのに弟を、今よりずっと遠い海外の地に出しちゃう徳川慶喜公て、やっぱりお殿様ていう雰囲気満々ですが。

現代の私達だって、飛行機に乗ってフランスくんだりまで行くのは大変だっつーのに、この当時は船ですよ!船!
航路で片道50日だって言うじゃありませんか!大変すぎ!船酔いどころの話じゃない!

そんなわけで、その道中は正直何が起こるかわかったものじゃあ無い旅路です。ですので渋沢栄一氏のように堅実な人物はその辺りを周知していたようで、もし自分の身に何かが合った際に家督を無事に存続させるための見立て養子を残して、遥か彼方のフランスへと旅立ちました。


そしてその見立て養子が、写真のスーパーイケメンの渋沢平九郎なのです。

こんなイケメン養子、私もほしいよ!え?

でも実はこの渋沢平九郎、渋沢栄一の正妻の弟さんのようで全くの赤の他人ではなかったようですね。
私はてっきり、そのその当時村に居た評判のイケメンを養子にしたと思ってたんですが。


その渋沢平九郎のお姉さんもかなり美しい方のようです。

ココに晩年の渋沢栄一氏とご家族の写真がありますが、一番右端にいる品の良いご婦人が渋沢千代さん。
(もしかすると、渋沢氏の後妻の兼子かもしれません。情報求む。)
渋沢栄一氏の妻であり、平九郎の姉上様にございます。英傑の妻にふさわしく、非常に品のある方ですね。

渋沢栄一と家族一番右のご婦人が平九郎の姉
(Wikipediaよりお借りしました。)

いやぁ、やはり日本の英傑の家族写真にふさわしい重みのある一枚です。

でも、こちらの記事によると渋沢栄一氏と渋沢平九郎は従兄弟とか?
え?ということは??? 渋沢栄一の奥さんの千代さんも従兄弟?なにそれ?????

昔は一族の財産を守るために、よくそういうことこが合ったと聞かされましたが。マジ!??

まあ、それは昔の事情なのでちょっと置いといて・・・・

それにしてもこんな家族がいて、イケメンなお侍である渋沢平九郎さん。きっと嘱望された未来が待っていたに違いありません。でも、神様は結構な気まぐれです。

この美しい青年は一連の戊辰戦争で起きた、飯能の戦いで命を散らしてしまったのです。享年22歳。何と若く短い一生だったことでしょうか。夭折というのは彼のためにある言葉とも思えるほどですね。

長いので追記にどうぞ!

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