最近このへんは雨嵐ばっかです。本来のこのへんの天気にもどりつつあります。桑港て実はクリスマスシーズンが雨季真っ盛りなんですよ。コレが。
仕方ないから家に閉じこもってると腰痛がひどくなり、得意のブリッジをしたら余計にひどくなりました 次は逆立ちにしようっと!え?違う?そんな琴乃ちゃんです。前置き長っ!
さてさて、私のどーでもいい日常は老いておいて本題に行きましょう!
今回は
新撰組の中でも最強との呼び声高い
斉藤一氏のお話ですか。かなり独断はいっちゃてるので、苦手が方がいたらスルーで御免遊ばせ!
それにしてもココ最近の幕末ブームに乗って、君も僕も大好きな幕末のヒーロー(?)
新選組の人気もうなぎ上がり!
特に
斉藤一氏は人気は皆に定着しまくってます!なんとか剣心とか、某乙女ゲーとか、大活躍!
拙者 斎藤一にござる (薄桜鬼より)
そうそう、この方
斉藤一氏ですよ?もう、この画像の乙女ゲーの成果によって、今や斎藤一の人気は乙女の間じゃ欠かせない幕末のアイドルになっております!(なぜこの絵面をあえて選ぶ。私)
でも、あら嫌だ奥さん。何故に創作物の斎藤一氏てば右差しの
左利き・・・・!?しかも某乙女ゲーなんて着流し着用??
あ、ありえない!絶対にありえない!(薄桜鬼ファンのかたスイマセン。)
だって、武士のと言うのは面子とプライドがすべての世界。体裁が全て。
人と違う格好をしてたら、イジメの対象になっちゃいますよ!給食の時間も一人でご飯食べなきゃいけなくなります!
インドだって左手は不浄の手ですから、左手で何でもこなす人なんて、仲間はずれです!
しかも武士なのに町人と同じ着流しを着用していたら、服装で社会的な身分を表していた武士の対面はどこ!?
そんなの誇り高き武士にたえられるわきゃあありません!
仮に
左利きであったとしても刀を右差しにするわけなんて絶対にありえないし、右で何でも出来るように徹底的に矯正されるはずですね。
特に昔はそうでした!私が子供の頃なんて、
左利きはそれこそ◯チガイに見られるからとか言われて、
左利きの子はそれはそれは厳しく矯正されていた記憶があります。
しかも、剣道とか居合の型は全て右利きであることが前提で型が決まっているから、
左利きだったら教えようがありませんわよね?そうでございましょう?奥様?
でも、もしかすると・・・?
左利きの人が右利き前提で剣術を習得したら、それはそれは鬼に金棒かもしれませんよね?
だって剣術の型はその全てが右利きが前提ですから??
例えば武士が誰かと会合を行う場合、敵意が無いことを示すために刀は必ず右に起きます。
これは自分の利き腕とは逆に刀を置くことで、敵意が無いことをお相手に示していることになるそうです。
これも右利き前提で作られた剣術の作法になります。
しかし、若し仮に左利きの人がその作法通りに右に刀を置いたら利き腕を使っていざというときに相手を切り倒すことができるとは言えないでしょうか。
でもやっぱり剣術は全ての方が右利き前提だから、仮に左利きを活かして室内で刀をパッとつかめたとしても、パッと刀を持てたとしても、持ち直さなきゃいけないから・・・・・やっぱり全く意味ないですね。
というわけで、やはり斎藤一氏の左利きは絶対にありえない!そう私は思うのです。
でも平成の世の中になると、左利き意外とカッコイイという印象があるのかもしれませんね。
左利きなんかだったりすると、人と違うから一つの個性としてカッコよく映るのかもしれません。
昭和の創作物でさえそうだったようですから、そう思う方はもしかすると少なくないのかもしれません。
私は思いっきり昭和の女なんで、そのへんがさっぱりわかりません!
でもこれらの斎藤一氏左利き説は、彼が
新選組最強の剣士とまで言われ、しかも壮絶な戊辰戦争と
会津戦争を最後まで生き残った強者の
新選組隊士である一人。それにも関わらず彼の半生は謎に包まれており、そこが様々な彼に関しての憶測を呼ぶ要因になったのかもしれませんね。
しかも斎藤一氏は武人の中の武人とも言える人物だったと伝わっていますから、寡黙で無駄口も叩かず、つねにキリリとした人。家族にでさえあまり無駄なことを話さなかった事も想像に難くありません。
そうなると、必然的に彼に関しての史料も少なくなり、より魅力的な謎のベールに斎藤一氏が包まれることに一役買ったのではないでしょうか。
そういえば斎藤一氏の逸話と言えば、自分でふんどしを洗っていたとか、孫が家にが帰ってくると家の中に竹刀を持って隠れており、いきなり「士道不覚悟!」と叫びながら飛び出してきたとか、結構お茶目です。
もし自分のおじいちゃんがいきなりそんな感じで家の物陰から出てきたら、スッゴイ楽しいと思います。きっと嫁はうざいと思っていたかもしれないけど 笑 でもそんな斎藤一氏はきっと至って真面目だったのかもしれませんね。
そしてそんな武人としての生涯をすごし、義理堅い昔の日本男子と言える斎藤一氏こと藤田五郎。彼は戊辰戦争の頃の
会津に義理を通すかのように
会津の
阿弥陀寺に眠っています。享年72歳。
この墓所についてはまた後日書くことにして・・・・・・。今日はこのへんで勘弁して下さい!
次回はいよいよ、私が訪れた勝海舟の桑港の史跡リポートです。
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テーマ : 歴史雑学
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