確かに間違っちゃうことは多いし、多くの場合、それは意図的な間違いだったりする。
ゲーム業界が争うべきパイは、台数でもない。売上げでもない。
ユーザーの時間、だ。
これはゲーム業界だけではない。娯楽業界だけですらない。
エンドユーザーに対して必需品以外のものを売っている業界は実はすべてそうなのだ。
これを弾さんに指摘されちゃうのは、ちょっとツライが、実際、弾さんのいうとおりだと思います。
共感するのは、すでに「作業を増やすことが価値を増やすことがある」というエントリーで「ユーザーの時間」については言及させてもらっていたからです。
弾さんはすこし控えめに「必需品以外」と書いているが、実は「必需品」でさえ、競争の本質がそこに移っていると思えるところもあったりします。
商品のマーケティングだけじゃなく、Webサイトの構築の際にも感じることですけど、目的論(ユーザーは○○の目的のために□□を利用する)だけで考えてしまうと、やたらと機能的観点からの考察が多くなり、結構見落としが多いわけです。特に「楽しい時間」のような経験価値的な部分で。
業界のシェフはためらっても、家庭の主婦はためらわない
実際、僕らのような企業側に立つ人間が比較をためらおうと、ユーザー側がそれをためらったりすることはありません。時間的にも、金銭的にも、ユーザーの使えるコストは限られているのですから、ユーザーは目に留まったものなら何でも比較のまな板に乗せて捌きます。
その際、業界の違いなど、いっさい気にしません。何をまな板に乗せるか、いちいち気にするのは、業界のシェフであって、家庭料理ではそんなの一切気にしません。
ようするに、うまいかどうか? そして、家計にひびかないか?
まな板に乗せる際の基準が、業界人と一般の人では違ってしまうことがある。弾さんはそれを「業界病」と呼んでいるわけです。
では、業界病になると、なんでそんな小さな牛の眼窓(Œil de bœuf)から世界を覗くようになってしまうのか?
お医者さんじゃないので病気の原因まで、はっきりと診断できませんが、1つには、業界の厨房にいると、まな板にのる素材がいつでも業界用食材ばかりになってしまうということがあるんでしょうね。おまけに毎日、同じような料理法、料理テクニックを使っていると、それ以外の方法がわからなくなっちゃう。
おまけに厨房にひきこもって、毎日の売上ばかりを気にしたりしていると、客ではなくて、つい最近近所にできた近所のお店のことが気になりだしたりして。
いや、これって本当に実感としてわかります。ホント、うかうかしてると、ついそういう悪いループに入り込んじゃう
なので、僕なんかはそうならないよう、仕事とは直接関係のないことに頭を向けるためにもこうやってブログを書き続けたりするんですけど。
ポジショニングにおける類似点と相違点
ユニークで意味のある相違点によってブランド連想を生み出すことは、当該ブランドに競争優位をもたらし、「そのブランドをなぜ買うのか」という理由を消費者に知ってもらうことにつながる。ところが、競合ブランドとの相違点を打ち消すだけの類似点として、ブランド連想が機能する。(中略)類似点となっている連想以外のブランド連想が相違点になれば、好ましいブランド評価が得られ、ブランドが選択される可能性も高まる。ケビン・レーン・ケラー『ケラーの戦略的ブランディング―戦略的ブランド・マネジメント増補版』
これがブランド論では著名なケビン・レーン・ケラー氏による、ブランドポジショニングを構築する際のブランド連想における考え方で、ようするに類似点によってブランドのカテゴリー連想(何と同じまな板にのるか)を決め、その上で相違点によって他社ブランドに対する優位性を際立たせるっていうもの。ようはまずはまな板にのせてもらわなきゃダメでしょ、と言ってます。
で、ケラー氏は、その際のカテゴリー連想をあんまり狭く定義するとダメだとも警告していたりもします。
相違点と類似点に関して、別の例をあげておくと、これ。
類似性は差異の裏返しだ。ふたつのものは、ほかのものと違うという点で似ていることもあれば、片方が別の何かと似ているという点で違っているということもある。(中略)男と女はずいぶん違うようだが、チンパンジーと比べれば、毛のない肌、直立した姿勢、突き出た鼻などといった類似性が目につく。チンパンジーは、犬と比べれば、顔や手、32本の歯などといった点でヒトに似ている。さらに犬も、魚と違うという点では、ヒトと似ている。マット・リドレー『やわらかな遺伝子』
ようするに何を「競争の本質」として描くかで、類似性と差異によるカテゴライズは相対的に変化するというわけ。それが業界脳になると、そういうやわらかなパターン認識の移動ができなくなるみたい。
眼の運動
blockquote>ニーチェが視覚を移し変える技法を持っていた限り、つまり健康から病いへと、またその逆向きにと移動させるすべを心得ていた限り、彼がどんなに病んでいようと、彼はある「大いなる健康」を享受していたのであり、その「健康」のおかげで著作は可能であった。ジル・ドゥルーズ『ニーチェ』
視点を固定化し、競争の本質を狭隘にとらえるのは短期的には功を奏することがありますけど、やっぱり長期的にみるとどう考えても利点が少ないように思えますね。
そのヘンの筋肉が衰えないように、よ~く眼の運動しとこうっと。
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