ネットワーク社会で必要な認知のツール、認知のための思考法

現在のようにこれだけネットワークが発達し、自分が関わる範囲が広がってくると、自分の感覚でとらえらえる範囲で物事をとらえようとした際にいろいろな齟齬が出てくるのではないかと思っています。
つまり、世界の広さや、たった一言の影響範囲の大きさは、すでに大きく私たちの感覚をはるかに超えてしまっているのではないかと思うのです。

150の法則

マルコム・グラッドウェルの『なぜあの商品は急に売れ出したのか―口コミ感染の法則』によれば、150の法則というのがあって、一人の人間が顔と名前を一致させて覚えられるのはせいぜい150人程度だそうで、これを超えた集団は何かとうまくいかなくなるそうです。
これがどうやら人間の脳の記憶の限界であるようで、その観点からいえば、私たちが何のツールも使わずに、感覚的に想像できる集団の数も150くらいなのではないかと思います。

例えば、従業員数150名以内の企業であれば、ある程度、優れた経営者なら特別なツールなどなくても、自分の脳と身体とコミュニケーション力を使った努力で、なんとかきりもりできるのでしょう。
しかし、その数を超えると、途端に問題が生じ始める。それをなんとかするには企業をそれぞれが150名以内におさまるよう部門を分割するか、適切なツールを用いて、150名以上の従業員をなんとか150名ずつに管理できるような方法を導入しなくてはならないのでしょう。
そして、仮に150名ずつに分割した場合でも、全体でその数を超えるのであればやっぱり部門間の調整が必要となり、今度はその分割された部門の長を組織化し、それが150名以内に収まるようなことをしなくてはいけないのではないでしょうか?

やっぱり、そこでは何かしらのツールが必要で、例えば、それが目標管理的なものであったり、シックスシグマであったり、ISOなどのマネジメントシステムであったり、社内SNSや社内ブログのようなものだったりするのでしょうけど、そういったものがうまくいくかどうかは、そうしたツールを使うことで150人の人と関わるのと同様のコミュニケーションや認知が可能になるかということなんではないかと思います。

セグメンテーション、ターゲティング

とはいえ、本当に重要なのは150という数自体ではないのだと思います。パレートの法則を80:20の法則として覚えてしまったばっかりに80:20という数字の部分に過剰なこだわりをもってしまい、その本質を見誤ってしまうのと同様に、150という数字ばかり見てしまうとポイントを見失いがちです。
本当のポイントは150人という数字ではなくて、私たちの脳の記憶容量がそれくらいだということで、それを人数で示すと150人になるということだけであるはずです。

マーケティングでよくセグメンテーションターゲティングという言葉が用いられますが、これもようするに、私たちの脳の記憶容量からくる制約条件があるために必要な手法だと考えられるのではないかと思ったりします。
ようするに、あたかもそのようなセグメント、ターゲットが存在するかのように過程することで、適切なマーケティング戦略を立案するためのツールです。企業内マネジメントにおいて様々なツールを用いることで、あたかも従業員が150名以内であるかのような振る舞いを可能にすることで、マネジメントを円滑にし、オペレーションをスムーズにするのと同じ原理です。
とはいえ、通常は150もセグメントを分割したりはしません。おそらく顔と名前のついた対象なら150までの認知が可能でも、そうでない抽象的な対象の認知はそこまでの数を区別することを許さないのでしょう。

そんな風に考えれば、セグメンテーションやターゲティングがなぜ必要であるかがわかります。それは150名の人とであればコミュニケーションが円滑で、その集団が機能するのと同様に、セグメンテーションやターゲティングというツールを用いることで、マーケティング・コミュニケーションを円滑に、かつ価値のあるものにするためです。
逆に言えば、それ以外の用途で用いる(あるいは用途を明確にせずに用いる)セグメンテーションやターゲティングは何の役にも立たないどころか、現実を見誤らせる障害としてしか機能しないでしょう。

それをきちんと理解もせずに、セグメンテーションだとか、ターゲティングだとか言っている人は単なるアホです。はい。断言します。

セグメンテーションやターゲティングのツールとしての限界

ですので、セグメンテーションにしても、ターゲティングにしても、単に自分たちが認知しやすく、コミュニケーションしやすくするために用いるツールであり、何ら実体はもちません。
それがそのツールを使っていると、そうしたセグメントやターゲットが実際に存在するかのような錯覚に陥り、とうの昔に顧客の側で変化が生じ、誰ももう、そのセグメントに分類されるような傾向をもたなくなっているのに、実体のないセグメントをターゲットとして追いかけることも少なくはありません。

先にも書いたとおり、セグメンテーションやターゲティングは認知のためのツールであり、150名の集団でしか円滑に機能する生活をおくれない傾向をもった人間の脳の制約を越えて、感覚を拡張するためのツールです。
しかし、最初に表明したとおり、現在の情報社会、ネットワーク社会の広がり、一言の影響力の大きさはすでに通常の感覚でとらえられる範囲を大きく逸脱しており、昔ながらの静的なセグメンテーションやターゲティングといったツールでは、役に立たなくなってきている感もあります。
また、マーケティングといえば顧客を対象に思考をしてきましたが、CSR(企業の社会的責任)だとかブランドだとかが注目されるような現在においては、対顧客を想定した「売り」メインのコミュニケーションだけでは、現時点では非顧客であり、かつ明日には顧客になるかもしれない人々に向けたメッセージは伝えられないでしょう。
ネットワーク理論においては強いつながり以上に、クラスター(セグメントといってもいいでしょう)を超えたつながりをもつ弱いつながりがネットワークの拡張を考える上では重要な意味をもちますので、ここでも既存のセグメンテーションやターゲティングというツールの限界が見え隠れしているのではないかと感じます。

新たなツールとしての統計学

そこでこれまで以上にマーケティングにおいて重要な意味をもってくるのが、統計学というツールではないかと思います。
これまでも統計学というツールはマーケティングにおいて非常に活用されてきたツールですが、今後はすこしその使い方を変えていかなくてはいけないのではないかと思います。

使い方を変えるという意味では、静的な視点で統計学を用いるのではなく、よりダイナミックな動きをとらえた上で統計学を用いることが必要なことが1点あると思います。
最初に書いた懸念としての「感覚でとらえることを超えた把握」といった意味は、この静的な時間でのスナップショットからより動的で持続可能性(サステナビリティ)を意識した視点で物事をとらえることがより必要になってくるのではないかと思いから発せられたものです。
こうした思いは、伊勢神宮の式年遷宮というイベントを知ったことでより強くなりました。
環境や企業のサステナビリティを注目を集める中でも、こうした視点は重要なのではないかと思います。
よくあるのはプロジェクトでも事業でもなんでも立ち上げ時はうまくまわる仕組みを組んでも、持続可能性という意識が低いために状況の変化に対応できる形を仕組みの中に盛り込んでおらず、そのため、成功がむしろ足かせとなって失敗のトリガーになってしまったりすることもあったりします。

統計学を新しい形で用いる際にもう1点、重要だと思うのは、相関と因果の違いをきちんと理解することではないでしょうか?

ある町の市長が、自分たちの町のチームがワールドシリーズに勝つと市民は大喜びするのに気がついた。(中略)そこで翌年、市長はワールドシリーズのお祝いを第一球が投げられる前に始めると宣言した--彼の混乱しきった脳内では、これで勝利は確実となった。
スティーヴン・レヴィット『ヤバい経済学 ─悪ガキ教授が世の裏側を探検する』
ここまで相関と因果の違いを見誤ることはありえないとしても、実際のビジネスの場ではこうしたことが往々にして起こりえるのではないでしょうか?

例えば、SEOで外部リンクの多いサイトは検索結果での表示順位も上位にくるという相関に関してもそうでしょう。
これを因果関係ととらえたばっかりに、外部リンクを増やすためにスパム的なサイトを立ち上げてそこからリンクさせることで評価を高めようなんて発想も同様で、結局はスパムと判断されてGoogleから削除されたり、トラックバック・スパムを連発して、結局、うざがられて外部から普通のリンクははってもらえなくなったりといった馬鹿げた発想もその類いなのでしょう。

ツールは自分で見つけ、使いこなせるようになるもの

ツールを使うというのは、それを使いなれない限りは、通常の感覚を超えたものであるので、何かと明晰な判断が下せなくなったりするのはいたし方ありません。
だからといって、ツールを使わず感覚だけに頼ったり、もはや役に立たないツールをいつまでも使い続けたり、ツールの使い方を誤ったりすれば、何事もうまくいきません。
そういうことを続けていながら、「うまくいかない」とか言っていることが世間では多すぎる気がします。
「うまくいかない」ならうまくいく方法を見つけられるよう、いろいろ試してみればいいだけです。
そうした努力を行わず、ただただ誰かが答えを見つけてくれるのを待っているだけでは、どうにもならないでしょう。

ツールは自分で見つけ、使いこなせるようになるものです。それは目や手や足などと同様に、自分の脳のセンサーとなるものです。
他人のツールを使っているツールをそのまま使おうとしても、身体が拒絶反応を示すだけなのではないでしょうか?

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この記事へのコメント

  • simfarm

    いつも大変勉強になります。
    ありがとうございます。
    とはいえ、今回のセグメンテーション・ターゲティングについての解釈はどうも納得できませんでした。150という数値との「相関」も「因果関係」もからっきしないように思います(w。統計とのつながりも「???」でした。
    私がアホなのかもしれませんので、いつかで結構ですから、もう少し噛み砕いて教えていただけるとありがたいです。
    2006年06月29日 12:23
  • gitanez

    simfarmさん、コメントありがとうございます。
    未整理状態で書き留めたエントリーでしたので、伝わりにくかった部分も多々あったと思います。

    統計とのつながりを除いて、下記のエントリーで補足しました。
    http://gitanez.seesaa.net/article/20012615.html
    2006年06月29日 17:45

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