有名なラスコーやアルタミラなどに代表される、先史時代の洞窟壁画は、僕らが想像するような意味では絵画ではない。それは暗く狭い洞窟の壁に描かれており、僕らが美術館やギャラリーで絵を観るような観方で観ることを拒むのだそうだ。つまり、その狭く暗い洞窟の内部には観賞に適切な距離がない。しかも、その観賞用とは思えない壁画が、洞窟の深い深い最奥部を選んで描かれているという。
見てはいけないものなのか。真の理由を明らかにすることはできないだろうが、わたしは、これらの極度に「引き」のない部分や、洞窟の最奥部を選んで描かれている図像は、眼で見るのではなく、記憶で見るためのものではないかという印象をもっている。
では、観賞用に描かれたのではない、それらの洞窟はなぜ描かれたのか? 「記憶で見る」ことは、先史時代の人々にとって、どんな意味をもっていたのだろうか?
そうした洞窟壁画の謎に迫りつつ、先史時代の人々の心の進化を追っているのが本著である。
計画的に、ではない。
さて、僕にとってこの本が馴染み深かったのは、何よりこれまで僕の思考に影響を与えてきたジョルジュ・バタイユをはじめ、ジェラルド・M・エーデルマンのニューラル・ダーウィニズム、スティーヴン・ミズンの心の進化理論、ジェスパー・ホフマイヤーの生命記号論、はたまたルネサンス期のアルベルティの絵画論/彫刻論やギブソンのアフォーダンスなどが引かれつつ、なぜ古代人が洞窟壁画を描いたのか? 洞窟壁画に描かれた動物や抽象的文様は彼らにとって何だったのか? という謎を紐解いてみせてくれているからだろう。このブログを長く読んでくれている方には、このリストを上げただけでも、僕がこの本に惹かれた理由が伝わるかもしれない(し、伝わらないかもしれない)。
例えば、バタイユからは雑誌『ドキュマン』のために書かれた『素朴絵画』から、こんな一文が引用される。
いくつかの異様な線が、偶然によって、何か見た目の類似をもたらし、それが反復によって定着されるようになる。これは、いわば変質の第二段階である。
フランスにあるルフィニャック洞窟には指で描かれた無数の曲線が発見されている。描かれているもののうちで主要なものはマンモスだが、それ以上に何の具象的なイメージも想起させない不定形な指による曲線が無数に見つかるという。
柔らかな粘土質の表面に指を数本立てて手首を回転させながら描いたそれらはマカロニ曲線、マカロニ図法と呼ばれるそうだ。
そうしたマカロニ図法で描かれた牛の頭部は、有名なアルタミアの洞窟でも見つかっている。
見るからにそれは最初から牛を描こうとしていたというよりも、でたらめに指を動かしているうちに見えてきた曲線が牛に似ていたから、途中から牛にしたという風なのだ。
同じようなことは、洞窟の壁に元からある亀裂や膨らみを、馬やビゾンなどの動物の背中のラインとして扱っている壁画にも見受けられる。それは動物を描こうとして描いたというより、そこに動物を発見したといったほうがしっくりとくる。
著者は、この反復から発見、さらにはそれによる変質のプロセスを、エーデルマンの神経細胞群淘汰説と重ねてみせる。
ふたつの地図のあいだに結びつきがある場合、一方の地図の神経細胞群が淘汰されると、もう片方の地図においても同様の強化が起きる。これが再入力結合と呼ばれる働きで、このプロセスを経て、知覚のカテゴリーが生まれるのである。知覚とはつまり複数の地図のリンケージとして生まれてくる。
ざっくりと言ってしまえば、複雑系でいうところの閾値越えが起こって系が変化するとイメージしていい。ただの無意味な曲線が閾値を超えた瞬間に、動物の顔や背中に見えてくるのだ。
それは単に「見る」ことから「として見る」への変化である。
創造性の本質。
こうした洞窟壁画を描いた先史時代の人々は、狩猟採集民であったことを思い出そう。拙著『ひらめきを計画的に生み出す デザイン思考の仕事術』
デザイン思考の専門家として観察を重視する僕も、狩猟民の発見能力には到底かなわないだろうと思っている。現代の僕らにとって芸術は創造的な活動と考えられているが、その起源においては創造的であるということは、無からのクリエーションである以上に、環境からの発見だったのだろう。
著者も次のように書いている。
この点でも「創造性」を無から生み出すという神話から切り離して考えるべきだ。ヒトは無から創造してきたのではなく、環境に力を加えて変形してきたのだから。概念空間の変形と同様に、わたしたちは彼らが環境のなかから技術を取り出しながら、それによって環境―モノを、場所を、活動のプログラムを変形してきたという過程を忘れてはならない。
これはギブソンやその仕事を継承したエドワード・リードの生態心理学における「切り結び=エンカウンター」にもつながる見方である。
生態心理学における「切り結び」では、意味や価値を、環境とのインタラクティブかつ積極的に環境へと切り込んでいく運動を通じての環境との関係から生まれるものとして捉えている。
つまり、その環境との相互作用が反復されることで、発見が生じ、変形がなされる。切り結びであり、神経細胞的な淘汰こそが「創造性」の本質であろう。
内側から描く。
では、その環境とは眼に見える周囲の環境だけを指すのだろうか。もし、そうであれば、洞窟壁画はなぜ、眼に見える周囲の環境が消えてなくなるはずの暗い洞窟の奥深くに描かれなくてはいけなかったのだろう? 何も見えないはずの場所で、先史時代の人々は何を見て描いたのだろうか?ここは本書の肝ともいえる部分なので詳しくは書かない。
ただ、著者は、太陽を長くみたあとに眼をつぶった際の残光や、ドラッグなどを服用時のトランス状態での幻視に着目する。暗闇のなかに浮かぶ内在光にである。
先週書いた「ルーシー・リー展/国立新美術館」というエントリーのなかで、僕は「円熟期の作品から、轆轤の土に触れる手の痕跡が消えたのは、器を外から作っていた状態から、物の内部から作るような立ち位置に、ルーシー自身の視点が移動したからではないかと感じる」と書いた。彼女の後期の花器がまるで生きた花の霊を宿しているかのように佇んでいるのを見たからである。
器と花が合体したかのようなのだ。
同じように、洞窟壁画には、半獣半人の図像が数多く残っている。
上半身が馬やライオンで、下半身がヒトの図像である。
陶器というのは眼で見ながら作る以上に、轆轤のうえで回る土を手で見ながら作るものではないかと思っている。それはもしかすると、真っ暗な洞窟のなかでも可能ではないかと想像する。
そのとき、「見る」ということはどうなるのだろう?
真っ暗な暗闇で見て、描く=造形するということはどういうことなのか?
創造がゼロからのクリエーションではなく、環境とのインタラクションの結果もたらされる関係性だとしたら、真っ暗な洞窟でヒトは何と関係をもち、何を見たのだろうか?
その答えはここで語るべきではないだろう。詳しくは本書を手にとってほしいからだ。
いずれにせよ、絵だけに限らず、見えているものの再現/実現を目的として計画的に描くという活動に慣れきってしまっている僕ら現代人は、何もみえない暗闇である洞窟で、環境とのインタラクティブな応答のなかで描いた先史時代の人々のクリエーションを考え直してみる必要があると感じた一冊だった。
関連エントリー
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