コンセプトワークにおける編集力

昨日、紹介した『地域ブランド・マネジメント』という本のなかで、コンセプトづくりに関して、非常に納得のいく箇所があったので紹介しておきたい。なぜ、ここだけピックアップしてあらためて紹介しておくかというと、コンセプトづくりの過程において、まさにこうしたことができずにろくでもないコンセプトしか生み出せていない現場が多々あるように感じるからです。

地域ブランド・マネジメント/和田充夫ほか」で書いたように、地域ブランドのコンセプトをつくるためには、その地域の歴史や文化、産業、自然、生活インフラ、人びとのコミュニティなどの資産を収集・整理し、それが現在どの程度認知、評価されているかの現状を把握することからはじめます。つまり、これはブランドのコンセプトをつくるための素材を集める作業ですが、その集めた素材を使ってコンセプトを立ち上げる作業には素材をどう料理するかという編集力が問われます。

そのために、どんな資産に光を当てるのか。また複数の資産をどのように組み合わせていくのか。また資産を活性化するために新たにどのような要素を加えていくか、ついて検討していかなければならない。あたかも雑誌の編集者のような高度な編集力や展開力が求められる。そのようなプロセスを経て、コンセプトをもとにさまざまな資産が組み合わされていくことで、訪れる人々に対する体験がデザインされていく。

ここで素材としての資産をいかに組み合わせるかという点で編集力の重要さをあげている点に非常に好感をもちました。この本では地域ブランドのコンセプトづくりに関して書かれていますが、ものづくりのコンセプトにおいても同様です。そして、いまのものづくりにおいて欠けているものの1つがこの編集力です。

コンセプトというと、えいや!でアイデアを発想することだと思っている人が多いんじゃないでしょうか? コンセプトメイクの達人なら、それでできますが、凡人はもっと地道な編集作業を経てコンセプトメイクをするほうが結局は早道です。

編集的発想法

ものづくりの現場では、さまざまな調査をしているのに、その結果を実際のものづくり・開発に活かすことができないということがよく見かけられます。これはまさに編集力が欠けているのを如実に示しているものと思われますが、集めた素材を使って1つの明確なコンセプトにまとめあげることができないんですね。

それができない理由は素材を単純に組み上げる発想しかできず、素材を組み合わせることで新たなものを生み出す発想の仕方に慣れていないからです。素材そのものを固定した形でみてしまうから、素材同士の重なりから別の何かが生まれてくることを感じとって掴みとることができないのです。

そこが非常に重要だと思っているので、『ひらめきを計画的に生み出す デザイン思考の仕事術』では、KJ法やアブダクション、アナロジー思考という言葉を使って、複数の素材を動かし組み合わせながら新たなものを生み出す編集的発想法について詳しく紹介したのですが、そのあたり伝わっているでしょうか。

簡単にいえば、アナロジー思考をする際には、おおよそ、こんなことが起こっていると考えてもらえればいいと思います。
蒐集する
何らかの物体やイメージを自らの好奇心の働きに従って〈そこ〉に持ってくる。
モデル化する
物体やイメージを並べてみることで、それらを〈そこ〉に持ってきた基準に気づく。
それらが〈そこ〉に集められ並べられた基準である型やしくみを図式としてモデル化する。あるいは身体を使って体験的にシミュレーションする。
編み上げる
図式を使ってモデル化したり体験的にシミュレーションしたりすることで得た知恵をもとに〈そこ〉にある物から〈そこ〉にない物を想像する。コレクションのネットワークを広げていく。

みてわかるように、これもKJ法の作業ステップとあまり変わりません。結局、デザイン思考の仕事術でこれまでにない発想を生み出そうとすれば、努力してさまざまな知識・情報を集めておくことが必要ということです。素材がないところには発想も生まれてこないんですね。

この蒐集~モデル化~編集という作業プロセスが、編集的発想法の基本です。

一緒に掴む

ただし、調査によって素材を収集することはできても、そのあとのモデル化~編集ができないことが多いのが現実です。KJ法をやってもらっても単なる分類になってしまって、そこから新しい発想が生まれてくることが稀です。モデル化にあたるKJ法の段階でそれなのですから、その後の編集の段階で発想が展開していくこともありません。コンセプトワークの弱さがそこに見てとれます。

『地域ブランド・マネジメント』の別の箇所でも、コンセプトに関して次のように書かれています。

哲学者の中山元によると、コンセプトの語源は「一緒に掴む」という言葉から派生しており、さまざまな事象から共通点を掴み取り意味を見出していくことだと言う。しかし、単に事物を共通のものにまとめていくのではなく、まとめていく中でその背後にある本質な意味を見出していくことである、と述べている。

そう。単に共通点をまとめていく分類的思考では、コンセプトというのは生まれてこないんですね。素材それ自体には見えていない潜在的な本質を素材同士を組み合わせるなかで見つけていく。そんなアナロジー思考によるコンセプトづくりこそが必要なんです。

素材やデータを裏切る

素材を組み合わせながら編集的にコンセプトを生み出していくという場合、パズルのように、あらかじめ完成形が決まっているわけではありません。そこには創造性が必要です。

そこには見えていないものから新しいものを創造しようとしたら、みえている素材やデータを時には裏切ることも大事です。表ばかりをみるのではなく、裏をみる。当たり前に落ちっていしまうのではなく見方を変えて素材をみる。裏切るというのは素材を無視するのではなく、素材をよく見ながらも自分の見方を変えていつもと違う素材の表情を引き出すということです。

そうしたなかで集めたデータや素材のいつもと違う表情を、素材やデータの組み合わせのなかで見出していく。そうした編集的発想作業をコンセプトづくりのキモです。
結局、これをやらずに、実際のものづくりや施策の実行に入ってしまうからつまらないもの、成功の見込みのないものしか生まれないんですね。

もっと編集ということを大事にして、各自が自身の編集力を高める努力をしていかないといけないんじゃないでしょうか。

 

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この記事へのコメント

  • dragonfish

    はじめましてでコメントさせて頂きます。
    ブランディング(地域)に関しては現在私も進行している内容ですが、非常に難しさと楽しさを感じております。今までは企業広告、ブランディングが専門だったので…
    今後とある市町村の連合体に対し提案をする予定ですが、まさに資産をつなぐ糸をめぐり、現在奮闘中です。
    今後ともこのテーマ楽しみにしております!
    2009年10月21日 09:25
  • tanahashi

    > dragonfishさん、

    面白そうですね。大変そうでもありますが。
    何か情報交換させていただければ幸いです。

    よろしくお願いします。
    2009年10月21日 12:31

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