何とかならないかな、ニュージーランド地震の報道陣
連日報道されてますが、ニュージーランドの地震は本当に大変なことです。私の知人でも、元の予定では震源近くにいたはず、という方がいらっしゃって、地震が起こった辺りのことを色々と教えて頂きました。
で、それでふと思うのは、連日現地から送られてくる報道についてなんですね。
連日報道されていることって、そこで見えたものを伝えているだけで、それだったら現地の配信を受けるだけで充分じゃないかな?と思うんですよ。
「大変な被害です」
「街がずたずたに破壊されています」
「生活が一瞬にしてなくなりました」
事実です。ですが、それを飛行機使って行って現地の作業を見るだけで流すものなんでしょうか?単なる見物客が見えたものを流しているだけではないのですか?もし日本人の方が犠牲になっていなかったらこれほどの報道陣は行かなかったでしょうし、それも何か「絵になるもの」を求めているように思えてなりません。
(ちょっと関連して、「現地に被害者の親族の方が入れない」ということで苛立ちが出ているようですが、そこは仕方ないところかも知れません。二次災害を考えると、親族の方には悔しいと思いますが止むを得ない措置だろうと思います)。
今とにかくやるべきことは、「現地の救出活動がどれだけ円滑に進められるか」ということに集中することでしょう。だとすれば、それこそ誘拐報道などの報道協定と同じ事をするしかないかと思います。例えば日本から行く報道機関は一社だけにして、そこが配信するものに任せる、とか。いや、「報道の自由」とかは判るんですよ。でも、今は暴かなくていいことを暴いて、暴かなきゃならないことを暴かない、というのが見えているんで、だったらもう談合したらいいんじゃない、ということになっちゃう。付け加えると、大半の現場の記者の人はそうじゃなく、社会のためにやっていると信じたいし、そうあって欲しい。でも、どこかでそれを隠してしまうほどの構造としての問題が大きくなっているんしょうね。何か楽で絵になるところからさっと話を持ってくる。というか、「持って来いよ」と命令している側がいるんでしょう。
何か上手く言えないんですが、何か物凄く苛立たしいことなんですよ。どっか言ってみて欲しいですね、「我々は現地の邪魔になることはしない。だから現地に行かず、現地からの情報を必要に応じて流す」と。
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コメント
でもそれで数字取れて仕事したことになっちゃうんですよね。
いろいろ歪んでるというか、なんとも言えないイヤな気分です。
投稿: amazedkoumei | 2011年2月27日 (日) 20時47分
amazedloumeiさん、
ほんと、結局こういうことって自分たちの水準なんですね。天に唾する行為というか。ビアスの「悪魔の辞典」に書かれているのと全然変わっていない。
何とも言えないのがもどかしいです。
投稿: ドイツ特派員 | 2011年2月28日 (月) 08時05分
ドイツ特派員様、
ちょっとお願いがあります。
http://dendrodium.blog15.fc2.com/blog-entry-838.html
決別したはずのブログで(読むのは止めれませんが)、他人を励ますいうと気持は分かりますが、体験談(実は、体験談にも、参考にもなっていない事を、本人は理解されておりませんが)として、姪御さんを引き合いに出す事が、御本人やそのご家族の事に取ってどれだけ辛いかと思い、懲りずに要らぬお節介をしてしまいました。(姪御さん本人や家族が読む読まないという問題では無く、書いてはならない事があるのではないですかというのが、そもそも私の主旨だったのですが)
エントリーに引き続き、私には全く理解不能な回答コメントまで貰いました。
これって、どう思います?感想を聞かせて頂ければ幸いです。
この方、結構年なのですが、先ず馬鹿です。愛嬌があるので許しますが、このエントリーの件では、decency (日本語より英語の方がピッタリ来るのでそのまま使わせてもらいます)が無い事に、唖然として、思わず忠告してしまった訳です。
姪御さんやそのご家族が未来永劫知らなくても、私は姪御さんの事を思うと泣きそうになります。
変なコメントで申し訳ないのですが、この辺の感覚が近そうな貴殿に聞いてみたくなりました。地震のエントリーでもあるという事で悪しからず。
投稿: ysjournal | 2011年2月28日 (月) 12時05分
ysjournalさん、貼って頂いたブログ読みました。
恐らくysjournalさんが感じる不快感(私も感じましたが)は、「この話がこの地震の主題とどう繋がるのか判らない」ということではないでしょうか?もし、「いや、大変だけど前向きになっている」というお話であれば理解できますが、逆の話になっているわけですね。どこかに「この話を出したい」という匂いが感じられるんだと思います。出さなくていい、しかもそれが他人の不幸で語っているところに不快な気分が出るのだと思います。更に、下のコメントでアナウンサーの言動に言及していますが、それが正に天に唾する行為になってしまっているのが非常に痛いです。
投稿: ドイツ特派員 | 2011年2月28日 (月) 17時39分
ドイツ特派員さん
変なのに付き合わせて申し訳ない。コメントした後でちょっと後悔しておりました。
そう、唐突なのです、意味が無いのです。
その上、姪御さんは、今は泣いているだけなのです。そんな人を晒しているという気持がないのが、私の怒りの源でした。更に、自分の事(!?)として人を励ます、だなんて、ひっくり返りました。
自己確認に無理矢理付き合わせて、本当に申し訳ない。
いつになるか、どこになるか分かりませんが、とんかつ(ロースでしたよね)一枚、借りという事で。
投稿: ysjournal | 2011年2月28日 (月) 20時37分
ysjournalさん、
まあ姪御さんが自分のこと、とか言いながら恐らく近くに付きっ切りでいるわけでもないでしょうから、こんな話ができるのかな?と思います。とんかつの件了解です。よろしくお願いいたします(笑)。
投稿: ドイツ特派員 | 2011年2月28日 (月) 20時44分
こんばんは~。最近、魔界大彗星が再接近したんですが、何とか引力圏から脱出しました。
ドイツ特派員さんの書いてること、たぶんマスコミの現場の人も感じてるんじゃないですかねぇ。でも、上から言われているから、というより、歴史に残るような惨事とか事件とか、圧倒的な事実(なんかヘンな表現ですが)の前に立つと、何かを他人に伝えずにいられないんだと思います。それが仕事だって大義名分もあるし。
今回、普通の旅行者も動画や写真を撮っていたり、何かしらの記録を残しているじゃないですか。悲しいことや驚いたこと、楽しいことでも、自分が心動かされると、誰かに伝えたい、人にはそういう衝動を感じる部分があるんじゃないでしょうか。
大勢の人が事実を共有して、悲しんだり、怒ったりして、やがて事実が過去の出来事として消化されていくというか。その過程で、何かより良い状況を作るための教訓とか課題を見つけよう…とするのが報道のさらに重要な役割のはずなんですが、多くの場合、空回りに終始してるんでしょうね…。
どこかから一本化された情報が出てきて、人々がただそれを知るだけで十分、ってことになったら、報道の役割はこの世の中で終わったということだし、人が人に関心を持つことがなくなっている世の中なんじゃないかなという気がしますね。
投稿: しまうま | 2011年3月 1日 (火) 00時05分
しまうまさん、ナンですか魔界大彗星って(笑)。
こういうことって言うのは、現場とか見えている所だけで論じちゃいけないんだと思います。私は現場の見えている人を責めたりしたくないし、何か歯車が狂っている所の後ろにあるもっと根源的な仕組みを見るべきだと思っています。
で、一本化された情報だけ流す、というのが報道の危機だというのも充分判っているつもりで、その危機を脱するために何処に力を入れるのか、それが凄く問われるんじゃないでしょうか。
ああいう災害に遭遇したときの何か駆り立てるようなものは確かにあるんだと思います。
投稿: ドイツ特派員 | 2011年3月 2日 (水) 21時13分
おはようございます。
皆さんの真摯なご意見を伺い、自分の言動を振り返って考えさせられることも多く、非常に勉強になりました。今後に繋げることができたらと思います。
被災地の惨状を考慮したら報道の自由に若干の制限を加えてもよいという意見と、その惨状を世界に伝えるのが報道の役割だろうという意見。
何を最優先させるかという価値観の問題ですから、神さまの回答はないように思えますが、現時点においては、被災された方々に不快な思いをさせたり、救助復興の妨げになる事態はは絶対に避けるべき。力を注ぐべきは報道より救助だろう、というのが私個人の考えですので、ドイツさんのご意見に近いかな。
投稿: トネリコ | 2011年3月 4日 (金) 06時15分
トネリコさん、
こういうことに正解は無いですね。ただ、その正解が無いところにもっと悩みを持っても良いと思うんですが、そこが感じられない気がするんですよ。せめぎあいが無いというか。やはりそこをもっと悩むことが更に良質なものにするんじゃないか、という気がします。
投稿: ドイツ特派員 | 2011年3月 5日 (土) 14時36分