卑屈にならない~日本ダメ論だけではダメじゃないか?
最近の色々な話って、どうも日本悲観論が極端な気がするんですよ。で、その反動で「日本はダメだから海外に出ろ」とか「起業しろ」という話があたかも絶対のような話で伝えられると思っているんですね。確かにそういうところはあるでしょうが、当然それで全てが語られるわけじゃない。
前も書きましたが、例えば「欧米に比べて家族を大事にしていない」という議論があります。仕事漬けだという話ですが、じゃあ何であんなに欧米の離婚率は高いのか?寧ろ「大事にしている」という事をいつも言っていなければ持たないんじゃないか?また、日本の働きすぎに対しても、「あんなのは日本だけだ」という話がある一方、じゃあSamsungやIntelはどうなの?という話もある。よくフランスの素晴らしい社会政策(主として少子化対策)が語られますが、方や日本人やアメリカ人が何故かフランスで精神をやられる人が多いという話(ポニープラットの「フランス人 この奇妙な人たち」より)もある。
先日取り上げた重松清の記事がヒントになっているんですが、もっと良いところを伸ばしたいと思うんですよ。悪いところは直すとして、その悪いところだけで「全てダメ、日本脱出」というのも少し違うんじゃないかな?と。
例えば、日本人の長時間労働を改善するとして、「だから適当に仕事してりゃ良いんだよ」という方向に行くのは絶対違う。とても嫌なのは、意見を出している人はともかく、その周りで「そうだ、そうだ」と言っている人たちで、何か物凄く危ういものを感じてしまう。長時間労働になる気持ちの生真面目さ(勤勉さとは言えないが)を上手く転用する方法を考えたいんですよ。
人間の環境ってそんなにパラダイスがあるわけじゃないし、AがダメだからBに行けば全部解決、というようなオセロの白黒ひっくり返りみたいな都合のいいものはない。あったとしてもそれは直ぐみんなそこにたかってパラダイスじゃなくなると思うんですよ。アメリカは確かに長時間労働じゃないでしょうが、解雇は早い、失業率は高い、保険はないという結構な酷さだったり。
上手くできないかなあ?と思う今日この頃です。
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