伝統と規制
なんでも岩手の蘇民祭で、色々と規制が入ったり入りそうなんだそうです。曰く
・宣伝ポスターが「裸が不快」ということで掲載が拒否された ・「祭りの中で裸になったら取り締まる」と警察が警告したらしい
ということです。
なんかおかしい、なんかおかしいんじゃないですかあ?
これ、コンプライアンス不況と同じ構図ではないですか?警察も、「とにかく文句言われないように先手を打つぞ」ということしか頭にない。何でも、「観光客が来るので不快になることは駄目」とかいっているらしいですが、なら観光客が来なきゃ良いんですよ。
快・不快の感覚は人それぞれですが、少なくとも昔からの神事でしょ?伝統を守る、というのは多少現実を逸脱したものだと思うんですよ。極端な話、他人の生存権を奪わない、という線を守ることを一線にして良いんじゃないか?こういうと、「その基準は?」「伝統行事の規定は?」なんて言葉が出そうですが、その線を曖昧に決めるのが人間の叡智。昔、大相撲大阪場所で女性知事が土俵に上がれないだの、文部大臣が女性だと駄目だの、それが女性蔑視だのありましたが(以前書いたかも)、じゃあ尼寺に「何で男が駄目?差別だ!」と言ったらわたしゃその男に「あほか!」って言いますよ。
大体、最初の宣伝ポスターが不快、っていうことですが、なら電車のつり革広告がどれほど上品なのか?グラドルの水着だって不倫記事だって不快、ってことになるでしょ?
こんなことに血道をあげる暇があったら、別にやることがあるだろう、と思います。何だか無菌状態の国になってきている息苦しさ....どうなっているんだろう?
ところで、グラドルの水着、私は不快じゃないです。
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コメント
こんばんわ~。このネタ、SINSEIもブログでアップしようかと思いあぐねていたところだったんですよ。
前の「言葉狩り」(倖田來未)のところでもそうですけれど、なんだかギスギスとした変な世の中になっちゃいましたね。
たぶんきっとあのポスターを見て不快に思う人って何人かはいると思うけれど、我慢できないレベルかな?たぶんほとんどの人が我慢できるレベルだと思うけれど。
でも中には「私は一切我慢というものはしたくない」という「私欲の開放こそが個性だ」と勘違いしている、一部の権利ばかり主張する人々って少数ながらも何人かいるんでしょうね。
そんな人々に限って声が大きいものだから、まぁそんな人々を警戒して先手を打ったつもりのJR東日本もヘタレ企業だったということを露呈してしまいましたね。
最近思うのは「例え少数でも声を大にしてごねた者(クレームを言った者)勝ち」みたいな風潮ってありますよね。
倖田來未の件で(もとより発言自体はお粗末な物ですが)最初クレームが何件あって、それが聴取者の何パーセントだったのかは知らないのですが、ネットを巻き込み拡散炎上させて、スポンサー企業を突っつき、マスコミにまで飛び火させて、活動自粛にまで追い込んで、なんだか凄い状況ですよね。
クレームを言わない者の権利はどうなっちゃうんだろう?(たぶんそっちの方が人数的に多いと思うのだけれど、、、)確かに不快だけれど我慢できないレベルでもないし、それよりも「皆で穏やかに仲良く過ごしたいよ」って言う人の権利はどうなっちゃううでしょうかね~。
そうそう、日本三大奇祭って諸説あるみたいなんですけれど、岡山市西大寺支所のホームページでは、西大寺会陽とこの蘇民祭、あと大阪市四天王寺のどやどやを日本三大奇祭と定義しているようですね。
ttp://www.city.okayama.okayama.jp/saidaiji/guide/eyo/eyo.htm
>ところで、グラドルの水着、私は不快じゃないです。
また~そんなこと言うからへんなTB付いちゃってますよ。(笑)
でわでわ、長文失礼です。
投稿: SINSEI | 2008年2月11日 (月) 23時27分
Sinseiさん、
全くもってその通りですね。確かにアホな輩が居るのは事実ですが、そんなのはどこにでもいる連中です。取り締まるべきはそっちの輩でしょうに、何故か方向が別ですなあ。大体あれを見て「セクハラだ」「わいせつだ」と言う連中の気が知れないです。「こんなのはセクハラじゃないです」といって突っぱねりゃあ良いんですよ、JRも。一人も不快にしないことなんてあるわけないんですが、そういうおこちゃま論理がまかり通るんですなあ。
西大寺の会陽でもこんなアホなことを言い出す可能性があるのかと思うと悪寒がします。
で、トラックバックに至る部分はまあ性根が腐っているということで...
投稿: ドイツ特派員 | 2008年2月16日 (土) 01時05分