子供にTバックを穿かせるアホ親
週刊誌っていうのは大体つり革広告を見りゃ内容が分かるので、立ち読みにしても(ヲイ)週刊朝日のドン小西の所くらいしか読まないのですが、週刊現代で、Tバック中学生とその親の記事がありました。
いや、酷すぎですなあ。
子供は子供で、「友達も学校に行けず授業が遅れて漢字が弱くなり、台本が読めなくて苦労していた。自分も仕事で学校に行けないことがあるが、そうならないように国語は勉強しなきゃいけないと思っている」ってあんた。何か順番が違わないかい?
親のほうは、「小学生でTバックはないが中学生は良いのでは?親としてしっかり子供は守っているしそれが役目」って、学校休ませて何言ってるんですか(怒)。あとね、良く言うでしょ、「子供が決めたことだから」って。でもね、本当にそうですかね?親が洗脳していることがありませんか?そう誘導してるんじゃないですか?
これは理由にもならんかも知れませんが、やっぱり学校を休ませるのが親の都合(仕事を管理してるのが親なんだから)っていうのは理解できないし、やはり悪いこと、と思ってしまいます。この辺はあんまり同調できない「国家の品格」に書かれていることに近いんですが、「ならぬものはならぬ」という所は、特に子供に対しては必要じゃないか?
子供を殺す親も含め、親の資格をもっと広く問わなければならない時代のようです。って、自分が本当にその資格があるのか、問い続ける必要がありますね。
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コメント
おそらくこの親子だと思いますが、以前に堂本光一くんが司会進行役を務めるテレビの討論番組「ジェネジャン!」に出ているのを観たことがあります。人生ひとそれぞれとはいえ、それを差し引いても疑問が残る親の言い分でした。子供の才能はどこで開花するかわからないもの、その芽を安易に摘んでしまうことにはどうしても理解し難いものがありましたね。
今までモラルであると信じていたことまで、価値観という名の下、正当化させようとする人々が増えてきたように思います。給食費の不払いを「革命」と呼ぶ親の主張をネット掲示板で見たときには「呆れ」を通り越して「恐怖」すら感じました。一体、子は大人の何を信じて生きていけばいいのでしょうか。
最近、僕の頭の中をグルグルと回っていた「?」がつい出てしまいました(苦笑)。
投稿: gw | 2007年3月25日 (日) 22時48分
gwさん、
大体どの世代でも、「最近の連中は..」というのが枕詞になっているのは事実ですが、それは世代間闘争という名のある意見交換があったと思います。ところが最近は意見の交換ではなく、意見の言いっ放しであり、相手を理解してやり込めるのではなく、大声を言い募って罵倒する、という所に汲々としているのが現状。以前、テレビで堀江貴文氏と仕事をしていたという小飼某氏が色々と喋っていたのを聞きましたが、本当に一方的なんですね。自分の意見に疑問が持てない、相手の疑問に対して、一歩引いて聞くも何もはなから聞いちゃいない。
あと、「恥」がなくなってきましたね。自分の親もたいがい貧乏でしたが、子供に不憫な思いはさせない、というところでは本当に頑張ってくれたと思います。ましてや自分の子供を商品にして喜んでいる親がいるとは全く。
それでも、そんな連中は少数派だ、と思いたいおめでたい自分がいたりもします。また、自分はちゃんとした親なのか、自答する毎日です。
投稿: ドイツ特派員 | 2007年3月27日 (火) 00時01分