2013年 08月 13日
「バイトがネットにイタズラ画像」事件と戦略論2 |
今日の横須賀は晴れて暖房入っておりましたが、昨日ほどの暑さではなかったようです。
さて、昨日のエントリーの続きで、最近の「バイトがネットで写真を載せて炎上」事件と戦略論とのからみを。
昨日は携帯電話という最新テクノロジーが簡単に手に入るようになったことによって、一兵卒であるバイトたちが、雇われている会社そのものの戦略〜世界観レベルまで揺るがすような事態が頻発しており、これはビジネス界でマクレガーのいう「戦略の平坦化」が起こっているということを話しました。
ところがこれにはさらに話の続きがありまして、このような技術革新による一連の動きへの「対処の仕方」というものが、すでに十年前から活発になされておりました。
そしてもちろんこのような議論を行っていたのは、米軍を中心とする戦略論の論者たちです。
米軍とその関係者の間では、すでに90年代の「RMA」という概念についての議論の中の、いわば「未来の戦争への対処の仕方」というアイディアという形で、このような「戦略の平坦化」への対処の仕方を考えておりました。
その中でもとくに目立った主張をしていた人物が、米陸軍の元少将であるロバート・スケールズ(Robert H. Scales)という人でして、彼の独自の議論を『黄色い煙』(Yellow Smoke)という2003年に出版した本の中で語っております。

この本の中の第6章で、スケールズはこれからの米軍の組織全体が、マグレガーのいう「戦略の平坦化」に対処するための処方箋を、実に明確に語っております。
それは、「今後は質の高い兵士がどんどん必要になり、戦略レベルの戦争術の理解を、末端の兵士にまで行き渡らせることが重要になる」というものです。
つまり今後のカギは、末端の兵士の知的・認識レベルをいかに上げるか、という点だというのです。ようするに「教育」です。
たとえばRMAの議論が出てきた初期に非常に興味深い本を書いたトフラー夫妻も述べていたように、スマートな兵器を使う軍隊にはスマートな兵士が必要ということもあり、実際に現在のアメリカの将校たち(私の元コースメートを含む)は、その大半が、一般過程の大学で修士や博士を獲得しているのが大半ですし、実際にそのような学位を獲得していないと上の階級に昇進できなくなっているくらいです。
もちろんこれが将校や兵士の場合でしたら、入隊してから現場に出るまでに訓練する期間がかなりあるわけですから、それなりの教育を(といってもかなり制限はありますが)行うことはできるかもしれません。
ところが問題は、コンビニの店番のような、それまで高い知性や教育(というよりは判断力)がそれほどなくてもこなせるとされてきた、一般の社会でのいわゆる「末端」の仕事の場合。
すでに述べたように、現在の状況は、テクノロジーの劇的な進化によって、いままでは戦術レベルであった一兵卒の動きが、思いがけずに戦略(もしくはそれ以上のはるか上の)レベルまで影響を与えることになっているわけです。
ちなみに今日のニュースでもステーキハウスの冷蔵庫事件というものが起こっておりまして、「戦略の平坦化」を目にすることができます。
この状況を理解しやすくするためには、いくつかのたとえを示すのがわかりやすいでしょう。
以下の二つの例は、昨夜にある方からメールで教えてもらったものです。
一つ目は、「携帯を持っているバイト」というのは、いわば「猿に安全装置をはずしたマシンガンを与えて野に放つようなもの」というもの。
「猿状態」という言葉があるくらい、猿は面白がって何も考えずにバンバン撃つことになるわけですが、実際に現在起こっているのはまさにこのような状態であり、一枚の写真を世界中に配布する事が可能なテクノロジーの普及というのは、まさに「猿にマシンガン」状態。
もう一つの例は、ガンダム。
思春期の内向的な少年にガンダム与えるというのは、いわば地球連邦軍の最新兵器を阿呆どもにばら撒くようなものであり、ブライトさんに殴られたら、腹いせにガンダム持ち出して艦橋に向かってビームライフルを発射するような事件が多発してさあ大変。
ところがバイトに携帯を持たせるというのは、まるでフル装備したガンダムを単なる一兵卒に与えてしまうようなもの。
尾崎豊の歌のように、盗んだバイクで走り出すだけならまだしも、盗んだのがバイクではなくガンダムだったら大問題でして、金属バットなんかの代わりにビールライフルとビームサーベルを使用したら、数百人単位の民間人の犠牲者続出ということにもなりかねません。
適切なアナロジーかどうかはわかりませんが、エドワード・スノーデンのNSAの機密情報漏えい事件などは、まさにこれと似たような状況とインパクトを持っております。
戦略論の世界では、スケールズの言うように「兵士の知的レベルを上げる」ということは、先進国でしたらある程度は可能かもしれませんが、それでもすべての兵士に高い教育レベルを求めるのは、まさに一般社会のバイトに高い教育レベルを求めるのと同様に、かなり無理があるわけです。
では戦略論の世界では、スケールズの言うような「教育」だけでは解消できない問題について、どのようにコントロールして対処しようとしているのでしょうか?
その一つの答え(というか現象)のヒントを示したのが、私が先日訳書を出版させていただいた、エドワード・ルトワックです。
と、ここまで書いてまた時間切れです。つづきはまた明日。
さて、昨日のエントリーの続きで、最近の「バイトがネットで写真を載せて炎上」事件と戦略論とのからみを。
昨日は携帯電話という最新テクノロジーが簡単に手に入るようになったことによって、一兵卒であるバイトたちが、雇われている会社そのものの戦略〜世界観レベルまで揺るがすような事態が頻発しており、これはビジネス界でマクレガーのいう「戦略の平坦化」が起こっているということを話しました。
ところがこれにはさらに話の続きがありまして、このような技術革新による一連の動きへの「対処の仕方」というものが、すでに十年前から活発になされておりました。
そしてもちろんこのような議論を行っていたのは、米軍を中心とする戦略論の論者たちです。
米軍とその関係者の間では、すでに90年代の「RMA」という概念についての議論の中の、いわば「未来の戦争への対処の仕方」というアイディアという形で、このような「戦略の平坦化」への対処の仕方を考えておりました。
その中でもとくに目立った主張をしていた人物が、米陸軍の元少将であるロバート・スケールズ(Robert H. Scales)という人でして、彼の独自の議論を『黄色い煙』(Yellow Smoke)という2003年に出版した本の中で語っております。

この本の中の第6章で、スケールズはこれからの米軍の組織全体が、マグレガーのいう「戦略の平坦化」に対処するための処方箋を、実に明確に語っております。
それは、「今後は質の高い兵士がどんどん必要になり、戦略レベルの戦争術の理解を、末端の兵士にまで行き渡らせることが重要になる」というものです。
つまり今後のカギは、末端の兵士の知的・認識レベルをいかに上げるか、という点だというのです。ようするに「教育」です。
たとえばRMAの議論が出てきた初期に非常に興味深い本を書いたトフラー夫妻も述べていたように、スマートな兵器を使う軍隊にはスマートな兵士が必要ということもあり、実際に現在のアメリカの将校たち(私の元コースメートを含む)は、その大半が、一般過程の大学で修士や博士を獲得しているのが大半ですし、実際にそのような学位を獲得していないと上の階級に昇進できなくなっているくらいです。
もちろんこれが将校や兵士の場合でしたら、入隊してから現場に出るまでに訓練する期間がかなりあるわけですから、それなりの教育を(といってもかなり制限はありますが)行うことはできるかもしれません。
ところが問題は、コンビニの店番のような、それまで高い知性や教育(というよりは判断力)がそれほどなくてもこなせるとされてきた、一般の社会でのいわゆる「末端」の仕事の場合。
すでに述べたように、現在の状況は、テクノロジーの劇的な進化によって、いままでは戦術レベルであった一兵卒の動きが、思いがけずに戦略(もしくはそれ以上のはるか上の)レベルまで影響を与えることになっているわけです。
ちなみに今日のニュースでもステーキハウスの冷蔵庫事件というものが起こっておりまして、「戦略の平坦化」を目にすることができます。
この状況を理解しやすくするためには、いくつかのたとえを示すのがわかりやすいでしょう。
以下の二つの例は、昨夜にある方からメールで教えてもらったものです。
一つ目は、「携帯を持っているバイト」というのは、いわば「猿に安全装置をはずしたマシンガンを与えて野に放つようなもの」というもの。
「猿状態」という言葉があるくらい、猿は面白がって何も考えずにバンバン撃つことになるわけですが、実際に現在起こっているのはまさにこのような状態であり、一枚の写真を世界中に配布する事が可能なテクノロジーの普及というのは、まさに「猿にマシンガン」状態。
もう一つの例は、ガンダム。
思春期の内向的な少年にガンダム与えるというのは、いわば地球連邦軍の最新兵器を阿呆どもにばら撒くようなものであり、ブライトさんに殴られたら、腹いせにガンダム持ち出して艦橋に向かってビームライフルを発射するような事件が多発してさあ大変。
ところがバイトに携帯を持たせるというのは、まるでフル装備したガンダムを単なる一兵卒に与えてしまうようなもの。
尾崎豊の歌のように、盗んだバイクで走り出すだけならまだしも、盗んだのがバイクではなくガンダムだったら大問題でして、金属バットなんかの代わりにビールライフルとビームサーベルを使用したら、数百人単位の民間人の犠牲者続出ということにもなりかねません。
適切なアナロジーかどうかはわかりませんが、エドワード・スノーデンのNSAの機密情報漏えい事件などは、まさにこれと似たような状況とインパクトを持っております。
戦略論の世界では、スケールズの言うように「兵士の知的レベルを上げる」ということは、先進国でしたらある程度は可能かもしれませんが、それでもすべての兵士に高い教育レベルを求めるのは、まさに一般社会のバイトに高い教育レベルを求めるのと同様に、かなり無理があるわけです。
では戦略論の世界では、スケールズの言うような「教育」だけでは解消できない問題について、どのようにコントロールして対処しようとしているのでしょうか?
その一つの答え(というか現象)のヒントを示したのが、私が先日訳書を出版させていただいた、エドワード・ルトワックです。
と、ここまで書いてまた時間切れです。つづきはまた明日。

by masa_the_man
| 2013-08-13 22:30
| 日記