2014年 04月 04日
「共通の敵」は大事だ |
今日の横浜北部は、雨が上がって一度晴れたのですが、また夕方から小雨がパラパラ。風が強くてサクラの花びらが舞っておりました。
さて、すでにメルマガのほうに書いた「共通の敵」というテーマなのですが、このブログでは最近再び読み返した地政学の祖、マッキンダーの論文の中に、とても参考になる箇所を発見。
ということで、この「共通の敵」というテーマについて、さらに詳しく論じられている重要な部分を、まずは抜きだしてみたいと思います。
引用する本は『マッキンダーの地政学』(原題:『デモクラシーの理想と現実』)でして、その中に掲載されている「地理学から見た歴史の回転軸」という超有名論文の中の一部です。
ただし故・曽村氏の訳文には少々間違いがありますので、私が原文を参照にしながら一部を修正しております。
===
●国家を組織しようという考えは、おおむね共通の苦難の洗礼を受けたところから生まれてきた。つまり、共同して外部の圧力に抵抗するという必要が、それぞれの国家の成立をうながしたわけである。(p.254)
●英国が七王国の体制のもとにどうやら国家としての姿をなしたのは、デンマークやノルマンディーからの乱入者のおかげであった。
●また、フランスが国家として成立したのは、それまでがたがいに戦っていたフランク族、ゴート族およびローマ人等がシャロンの戦場で一致団結してフン族と戦った経験がもとであり、さらに英国との百年戦争が、彼らの国家意識をさかんにした。
●キリスト教社会の観念は、ローマの迫害のもとで生まれ、十字軍の征服行を通じて熟成された。
●アメリカ合衆国の観念が一般の人々に受け入れられたのは、長い独立戦争のプロセスを通じてであって、それまでは、いわば植民地ごとの地域ごとの愛国心があったにすぎなかった。
●ドイツ帝国の思想は、フランスとの戦いにおいて、南ドイツの王国が北ドイツと連携した後に、はじめてふしぶしながらも受け入れられた。
●時にはぞっとするような不愉快な人間が、彼の敵を団結させるのに有益な社会的役割を果たすこともある。
●ともかくヨーロッパの文明の花開いたのは、あくまでも外民族の野蛮な行為に対する「抵抗の歴史」を通じてであった。
●事実、「ヨーロッパの文明」と称するものは、とりもなおさずアジア民族の侵入にたいする、ごくありきたりの意味の「戦いの産物」にほかならなかった。(以上、p.255)
●ヨーロッパの近代史の多くの部分は、事実これらのアジア民族がもたらした変化に対する注釈として書かれてもさしつかえないだろうと思う。(p.259)
===
いかがでしょうか。
ここから考えれば、たとえば日本という国家の成立も、白村江の戦いに敗れたために唐・新羅という外の脅威に対抗するためと解釈できそうな。
今回のプーチン大統領は、まさに西洋諸国にとってのこの「外民族の野蛮な行為」に当たるわけですが、このような「ある集団」にとっての「共通の敵」の存在というのは、とっても大事です。
なぜなら「共通の敵」によって、「われわれ」は一致団結してまとまることができるからです。
そしてこの外の敵の存在によってアイデンティティを作るという作業は、どのレベルの集団においても共通してみられること。
たとえば「ネトウヨ」がヘイトスピーチをしていることが最近ニュースとして取り上げられますが、これは彼らが中・韓などを一つの「共通の敵」とみなすことによって「日本」としてまとまろうとするメカニズムが働いているといえます。
ところがこの「ネトウヨ」を批判する人たちにとっても、彼らを仲間と一緒に批判することによって、批判している者同士の結束が固くなるという現象、つまり「ネトウヨ」を「共通の敵」にすることによって、自分たちも「差別しない優秀な俺たち」という排他的なアイデンティティをつくるわけですから、実は同じ穴のムジナ状態です。
というか、すべての政治闘争というものには、この「共通の敵」によるアイデンティティ作りというメカニズムが多かれ少なかれ働いております。
「なんだか救いようがないなぁ」
というのは実は正しい感覚かもしれません。なぜならこれこそが人間という非合理的な存在が行う「政治」という不可思議な営みの、真髄の一つだと言えますので。
さて、すでにメルマガのほうに書いた「共通の敵」というテーマなのですが、このブログでは最近再び読み返した地政学の祖、マッキンダーの論文の中に、とても参考になる箇所を発見。
ということで、この「共通の敵」というテーマについて、さらに詳しく論じられている重要な部分を、まずは抜きだしてみたいと思います。
引用する本は『マッキンダーの地政学』(原題:『デモクラシーの理想と現実』)でして、その中に掲載されている「地理学から見た歴史の回転軸」という超有名論文の中の一部です。
ただし故・曽村氏の訳文には少々間違いがありますので、私が原文を参照にしながら一部を修正しております。
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●国家を組織しようという考えは、おおむね共通の苦難の洗礼を受けたところから生まれてきた。つまり、共同して外部の圧力に抵抗するという必要が、それぞれの国家の成立をうながしたわけである。(p.254)
●英国が七王国の体制のもとにどうやら国家としての姿をなしたのは、デンマークやノルマンディーからの乱入者のおかげであった。
●また、フランスが国家として成立したのは、それまでがたがいに戦っていたフランク族、ゴート族およびローマ人等がシャロンの戦場で一致団結してフン族と戦った経験がもとであり、さらに英国との百年戦争が、彼らの国家意識をさかんにした。
●キリスト教社会の観念は、ローマの迫害のもとで生まれ、十字軍の征服行を通じて熟成された。
●アメリカ合衆国の観念が一般の人々に受け入れられたのは、長い独立戦争のプロセスを通じてであって、それまでは、いわば植民地ごとの地域ごとの愛国心があったにすぎなかった。
●ドイツ帝国の思想は、フランスとの戦いにおいて、南ドイツの王国が北ドイツと連携した後に、はじめてふしぶしながらも受け入れられた。
●時にはぞっとするような不愉快な人間が、彼の敵を団結させるのに有益な社会的役割を果たすこともある。
●ともかくヨーロッパの文明の花開いたのは、あくまでも外民族の野蛮な行為に対する「抵抗の歴史」を通じてであった。
●事実、「ヨーロッパの文明」と称するものは、とりもなおさずアジア民族の侵入にたいする、ごくありきたりの意味の「戦いの産物」にほかならなかった。(以上、p.255)
●ヨーロッパの近代史の多くの部分は、事実これらのアジア民族がもたらした変化に対する注釈として書かれてもさしつかえないだろうと思う。(p.259)
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いかがでしょうか。
ここから考えれば、たとえば日本という国家の成立も、白村江の戦いに敗れたために唐・新羅という外の脅威に対抗するためと解釈できそうな。
今回のプーチン大統領は、まさに西洋諸国にとってのこの「外民族の野蛮な行為」に当たるわけですが、このような「ある集団」にとっての「共通の敵」の存在というのは、とっても大事です。
なぜなら「共通の敵」によって、「われわれ」は一致団結してまとまることができるからです。
そしてこの外の敵の存在によってアイデンティティを作るという作業は、どのレベルの集団においても共通してみられること。
たとえば「ネトウヨ」がヘイトスピーチをしていることが最近ニュースとして取り上げられますが、これは彼らが中・韓などを一つの「共通の敵」とみなすことによって「日本」としてまとまろうとするメカニズムが働いているといえます。
ところがこの「ネトウヨ」を批判する人たちにとっても、彼らを仲間と一緒に批判することによって、批判している者同士の結束が固くなるという現象、つまり「ネトウヨ」を「共通の敵」にすることによって、自分たちも「差別しない優秀な俺たち」という排他的なアイデンティティをつくるわけですから、実は同じ穴のムジナ状態です。
というか、すべての政治闘争というものには、この「共通の敵」によるアイデンティティ作りというメカニズムが多かれ少なかれ働いております。
「なんだか救いようがないなぁ」
というのは実は正しい感覚かもしれません。なぜならこれこそが人間という非合理的な存在が行う「政治」という不可思議な営みの、真髄の一つだと言えますので。
by masa_the_man
| 2014-04-04 23:47
| 日記