2012年 04月 30日
テクノロジーのソフト面を軽視する日本 |
今日の甲州はなんとなく曇りでして、相変わらず初夏の気温。
イギリスの友人を山梨観光に連れ出しておりまして、本日はお約束の「昇仙峡」に行って参りました。私自身も初めてだったのですが、あまりにも観光地化されて客引きが多く、やや閉口。
さて、いまメルマガのほうに書いているテクノロジーの話題について少し。
テクノロジーには「思想」や「世界観」、さらには「政治(思想)」までが含まれるということをこのブログではかなり前から主張しているわけですが、それは一体なぜなのかということを説明するために便利なのが、このブログをご覧のレギュラーの皆さんにはすでに「耳タコ」になっている「戦略の階層」というもの。
いつものようにそれを記しますと、
世界観(人生観、歴史観、地理感覚、心、ヴィジョン)
↓
政策(生き方、政治方針、意志、ポリシー)
↓
大戦略(人間関係、兵站・資源配分、身体、グランドストラテジー)
↓
軍事戦略(仕事の種類、戦争の勝ち方、ミリタリーストラテジー)
↓
作戦(仕事の仕方、会戦の勝ち方、オペレーション)
↓
戦術(ツールやテクの使い方、戦闘の勝ち方、タクティクス)
↓
技術(ツールやテクの獲得、敵兵の殺し方、テクニック&テクノロジー)
となりますよね。
私はこの基本的な流れが「トップダウン」で表示してあることが非常に重要であると考えておりまして、それは結局すべてのレベルが一番下の「技術/テクニック」のレベルにまで凝縮される、という決定的に重要なことを示唆しているからであります。
ところが日本人の悪いクセは、状況が逼迫してきたり、勝ったと思っていい気になっている時に「ものごとを下位の(戦術〜技術)レベルだけで考えよう/考えたい」という変な欲望に負けてしまうという傾向を強くもっている点。
私が最近の日本の中で一番危ないなぁと感じるのが、「ものづくり」という言葉でして、これは90年代から盛んにもてはやされるようになったこと。
私はこれがもてはやされるようになったのが日本がバブル崩壊後に慌て始めた時期と一緒、という事実に注目しており、これは偶然ではないと思っております。
これをいいかえれば、「技術・テクノロジーを追求していけば日本はこれからも繁栄していける」ということなんでしょうが、問題は、日本人自身が「もの」というハード面にしか意識を向けていないことや、(思想や政治が満載の)「テクノロジー」のソフト面の重要性を決定的に軽視する文化をもっていることなのです。
「ものづくり」というのはたしかに聞こえはいいですし、もちろんそれ自体は尊重すべきだと思うのですが、ただ良い「もの」を作っていたとしても、たとえばそれを販売するための流通販路や、マーケティングなどの面ができていないと、極端にいえば「単なる職人」で終わってしまい、作ったものを買いたたかれてしまって大損、ということになります。
ようするに、日本は優秀な「職人」だけでなく、工務店やゼネコン、またはデパートのように、良い物をつくるだけでなく、それを売って消費者やお客さんに届けるシステムを持たなければ、ものを買いたたかれて、つまり流通システムというテクノロジーのソフト面である手の上でコントロールされてしまって終わり、というなんですね。
最近あの野口悠紀雄さんが、『製造業が日本を滅ぼす』という本を出版しまして、このタイトルはかなり過激ですが、私がここで言おうとしていることの半分は当てはまっていると考えていただいてけっこうかと。
つまり製造業を全部捨てるという必死の覚悟を持ってテクノロジーのソフト面の重要性に目覚めないかぎり、この国の経済はこれからかなり厳しいのではということです。
イギリスの友人を山梨観光に連れ出しておりまして、本日はお約束の「昇仙峡」に行って参りました。私自身も初めてだったのですが、あまりにも観光地化されて客引きが多く、やや閉口。
さて、いまメルマガのほうに書いているテクノロジーの話題について少し。
テクノロジーには「思想」や「世界観」、さらには「政治(思想)」までが含まれるということをこのブログではかなり前から主張しているわけですが、それは一体なぜなのかということを説明するために便利なのが、このブログをご覧のレギュラーの皆さんにはすでに「耳タコ」になっている「戦略の階層」というもの。
いつものようにそれを記しますと、
世界観(人生観、歴史観、地理感覚、心、ヴィジョン)
↓
政策(生き方、政治方針、意志、ポリシー)
↓
大戦略(人間関係、兵站・資源配分、身体、グランドストラテジー)
↓
軍事戦略(仕事の種類、戦争の勝ち方、ミリタリーストラテジー)
↓
作戦(仕事の仕方、会戦の勝ち方、オペレーション)
↓
戦術(ツールやテクの使い方、戦闘の勝ち方、タクティクス)
↓
技術(ツールやテクの獲得、敵兵の殺し方、テクニック&テクノロジー)
となりますよね。
私はこの基本的な流れが「トップダウン」で表示してあることが非常に重要であると考えておりまして、それは結局すべてのレベルが一番下の「技術/テクニック」のレベルにまで凝縮される、という決定的に重要なことを示唆しているからであります。
ところが日本人の悪いクセは、状況が逼迫してきたり、勝ったと思っていい気になっている時に「ものごとを下位の(戦術〜技術)レベルだけで考えよう/考えたい」という変な欲望に負けてしまうという傾向を強くもっている点。
私が最近の日本の中で一番危ないなぁと感じるのが、「ものづくり」という言葉でして、これは90年代から盛んにもてはやされるようになったこと。
私はこれがもてはやされるようになったのが日本がバブル崩壊後に慌て始めた時期と一緒、という事実に注目しており、これは偶然ではないと思っております。
これをいいかえれば、「技術・テクノロジーを追求していけば日本はこれからも繁栄していける」ということなんでしょうが、問題は、日本人自身が「もの」というハード面にしか意識を向けていないことや、(思想や政治が満載の)「テクノロジー」のソフト面の重要性を決定的に軽視する文化をもっていることなのです。
「ものづくり」というのはたしかに聞こえはいいですし、もちろんそれ自体は尊重すべきだと思うのですが、ただ良い「もの」を作っていたとしても、たとえばそれを販売するための流通販路や、マーケティングなどの面ができていないと、極端にいえば「単なる職人」で終わってしまい、作ったものを買いたたかれてしまって大損、ということになります。
ようするに、日本は優秀な「職人」だけでなく、工務店やゼネコン、またはデパートのように、良い物をつくるだけでなく、それを売って消費者やお客さんに届けるシステムを持たなければ、ものを買いたたかれて、つまり流通システムというテクノロジーのソフト面である手の上でコントロールされてしまって終わり、というなんですね。
最近あの野口悠紀雄さんが、『製造業が日本を滅ぼす』という本を出版しまして、このタイトルはかなり過激ですが、私がここで言おうとしていることの半分は当てはまっていると考えていただいてけっこうかと。
つまり製造業を全部捨てるという必死の覚悟を持ってテクノロジーのソフト面の重要性に目覚めないかぎり、この国の経済はこれからかなり厳しいのではということです。
by masa_the_man
| 2012-04-30 23:10
| 日記