2010年 01月 02日
ニーバーな正月 |
今日のイギリス南部は朝から快晴でして、気温はかなり低め。正月そうそうからこちらは珍しく快晴がつづいております。
さて、2010年もいよいよ明けましたがみなさんいかがお過ごしでしょうか。
私はとくに酒を飲んだりおせち料理を食べてゆっくりするわけでもなく、いつものように論文を書いたり原稿の直しなどをやっているうちにいつの間にやら正月になっていたという感じですが、さすがに年が変わると気分も一新という感覚があります。
個人的には新年の目標設定ということで、やはりはやいうちに論文を仕上げてしまおうということが一番大きいでしょうか。
それと現在準備している『進化する地政学』の続編の訳を春先に出版させる他に、夏すぎにはもう一冊翻訳本を出したいと考えております(原著はかなりの名作なので乞うご期待)。
また、そろそろ自著のほうもご無沙汰なので、それも今年中に何冊か形になればいいなと考えております。ああ、そうなると全く時間がない(泣
そういえば今年の元旦には、去年の暮れの「オバマ・ドクトリン」のスピーチの影響からか、なぜかラインホールド・ニーバーの本を読みたくなって、日本から持って来ていた名著『道徳的人間と非道徳的社会』の訳本と、こっちで手に入れた『アメリカ史のアイロニー』(あのベイセビッチが序章を書いている再版本)を読み返しておりました。
歴史本も良いのですが、わたしは社会科学系の訓練を受けてしまった人間なので、どうしてもこういう「格言」や「名言」がやたらと含まれているような本を手にしてしまいがちです。
こういう混沌としてきた世情の時にはニーバーのようなリアリストの名言の数々はけっこう身にしみるものがあります。たとえば
「人間は、理性に支配されるよりも、もっと想像力によって支配されているものだ」
という言葉や、
「教養ある人々は・・・適切な教育技術が最後に“社会化された人間”をつくりだすことに成功すれば、それによって社会の諸問題は解決されるであろうといった希望にしがみついているのである」
というものや、
「道徳的善意や社会的知性には決定的な限界があり・・・その限界をこえてそれらが一つの社会をそれ以上にいたらしめることはない」
とか、
「どの国民共同体の普通の市民も、センチメンタルな仕方では平和をのぞんでいるが、それにもかかわらず羨望や嫉妬や傲慢や頑迷や貪欲の衝動におぼれ、諸共同体間の闘争を志向するものである」
のほかにも、
「一集団内部におけるアナーキーを防止するための権力が、集団相互間におけるアナーキーを助長する」
ということから、
「社会は永続的戦争状態にある」
ということになって、
「永続の平和とか人間社会の兄弟性などの夢は、けっして完全に実現されることはないだろうという予言をあえてするほうが無難なのだ」
という言葉が出てくるわけです。ああ、素敵な名言がたくさん(笑
新年早々からバリバリのリアリズムを読んでいるわけですが、不思議と気持ちが暗くなるということはなく、かえってスッキリした感じになったのはどういうことなんでしょうか。
日本ではニーバーが牧師であった関係からか、ミッション系の出版社で翻訳がけっこう出されておりますが、それにしてもキッツイこと書いてますから、訳した人たちはちょっと微妙な感じであったろうことがなんとなく想像できます。
ということで、「カオス化」がますます進む中でリアリズムがさらに重要になりそうですが、本年もどうぞよろしくお願いします。
さて、2010年もいよいよ明けましたがみなさんいかがお過ごしでしょうか。
私はとくに酒を飲んだりおせち料理を食べてゆっくりするわけでもなく、いつものように論文を書いたり原稿の直しなどをやっているうちにいつの間にやら正月になっていたという感じですが、さすがに年が変わると気分も一新という感覚があります。
個人的には新年の目標設定ということで、やはりはやいうちに論文を仕上げてしまおうということが一番大きいでしょうか。
それと現在準備している『進化する地政学』の続編の訳を春先に出版させる他に、夏すぎにはもう一冊翻訳本を出したいと考えております(原著はかなりの名作なので乞うご期待)。
また、そろそろ自著のほうもご無沙汰なので、それも今年中に何冊か形になればいいなと考えております。ああ、そうなると全く時間がない(泣
そういえば今年の元旦には、去年の暮れの「オバマ・ドクトリン」のスピーチの影響からか、なぜかラインホールド・ニーバーの本を読みたくなって、日本から持って来ていた名著『道徳的人間と非道徳的社会』の訳本と、こっちで手に入れた『アメリカ史のアイロニー』(あのベイセビッチが序章を書いている再版本)を読み返しておりました。
歴史本も良いのですが、わたしは社会科学系の訓練を受けてしまった人間なので、どうしてもこういう「格言」や「名言」がやたらと含まれているような本を手にしてしまいがちです。
こういう混沌としてきた世情の時にはニーバーのようなリアリストの名言の数々はけっこう身にしみるものがあります。たとえば
「人間は、理性に支配されるよりも、もっと想像力によって支配されているものだ」
という言葉や、
「教養ある人々は・・・適切な教育技術が最後に“社会化された人間”をつくりだすことに成功すれば、それによって社会の諸問題は解決されるであろうといった希望にしがみついているのである」
というものや、
「道徳的善意や社会的知性には決定的な限界があり・・・その限界をこえてそれらが一つの社会をそれ以上にいたらしめることはない」
とか、
「どの国民共同体の普通の市民も、センチメンタルな仕方では平和をのぞんでいるが、それにもかかわらず羨望や嫉妬や傲慢や頑迷や貪欲の衝動におぼれ、諸共同体間の闘争を志向するものである」
のほかにも、
「一集団内部におけるアナーキーを防止するための権力が、集団相互間におけるアナーキーを助長する」
ということから、
「社会は永続的戦争状態にある」
ということになって、
「永続の平和とか人間社会の兄弟性などの夢は、けっして完全に実現されることはないだろうという予言をあえてするほうが無難なのだ」
という言葉が出てくるわけです。ああ、素敵な名言がたくさん(笑
新年早々からバリバリのリアリズムを読んでいるわけですが、不思議と気持ちが暗くなるということはなく、かえってスッキリした感じになったのはどういうことなんでしょうか。
日本ではニーバーが牧師であった関係からか、ミッション系の出版社で翻訳がけっこう出されておりますが、それにしてもキッツイこと書いてますから、訳した人たちはちょっと微妙な感じであったろうことがなんとなく想像できます。
ということで、「カオス化」がますます進む中でリアリズムがさらに重要になりそうですが、本年もどうぞよろしくお願いします。

by masa_the_man
| 2010-01-02 09:47
| 日記