田原総一朗×辻野晃一郎(グーグル日本法人前社長)「なぜソニーは凋落したのか」
『グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれた』著者に訊く 第1回田原:辻野さんはまずソニーにお入りになったわけですが、その前になぜ大学で理工学部をお選びになったんですか。
辻野:本(『グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれた』新潮社)にも書いたんですが、私自身はあまり理系か文系かという強い思いがなかったんです。
それで親父に相談したら、「安定路線を行け。東大法学部を出て日銀か大蔵省に入れ」みたいなアドバイスを受けて、「それは違うだろう」と・・・。
もともと自分の判断で文系に行こうと思っていて、高校で進路が別れる時の希望用紙にも最初は「文系」と書いていたんです。でも親父から言われたことにちょっと反発を感じたんですね。で、慌てて理系志望に変えて、希望用紙を出したんです。
田原:理系にこだわりがあったわけではないんですか。
辻野:まぁ、嫌いではなかった。好きでしたね。数学もそうだし、理科系の学問は好きだったんです。ただ将来のことを考えどっち行こうかと思った時、最初はなんとなく「文系に行こうかな」と思っていたんです。もともと小さい頃は映画監督になりたかったんですよ。でもそれほど、具体的に動いていたわけではなかった。親父に相談したことが逆にトリガー(引き金)になって、「目覚めた」みたいな感じになりましたね。
田原:なるほど。
辻野:ただ厳格な親父でしたので、そういうことを本人に面と向かって言う勇気は当時なかったですね(笑)。
田原:そのお父さんに反発しながら理系の道を選んだ。今にして思えば、理系を選んでよかったですか。
辻野:ええ、後悔は全然ないですよね。
田原:いや、後悔なんてされたんじゃ困る(笑)。
辻野:(笑)。
田原:結局、辻野さんは自分の針路は自分で選んだわけですね。
辻野:ええ。その時、とにかく自己責任で自分の人生を決めるっていうことが大事だろうと、直感的に思ったわけです。それ以来、すべて自己責任で決めてきました。まあそういう意味ではよかったですよね。
人生の岐路っていうのはちょっとしたことで右に行ったり左に行ったり分かれることがありますよね。私はたまたまそんなきっかけで理系にいって、その道を行くことになった。
田原:辻野さんが入社した当時のソニーは、「どこの会社に入るか」と聞かれたら、私だって「入れるものなら入りたい」と思うくらい、それはすばらしい会社ですよね。
ご自身はソニーの何に惹かれて入ったんですか。
辻野:いろんな理由があるんです。まだ私が小さかった時、親父がソニーがつくったオープンリールの初期のテープレコーダーを買ってきたことがありました。それを親父が操作して、自分の声を録音して再生したりしたんです。その時に非常にびっくりしたというか、幼心に感動したんです。はじめて自分の声を録音して聞くわけですからね。
それがソニーとの出会いです。その時から何となく「SONY」というのが頭の中にインプラントされていたということもあると思います。
それからお袋が(ソニー創業者の一人の)盛田昭夫さんのファンだったんですね。
田原:なるほど。
辻野:盛田さんに関連する記事が新聞に出ていると、それを切り抜いて私にくれたりしたんです。
だから自然とソニーというものを意識するような環境だったんですかね。
田原:テープレコーダーって言えば、ソニーが本格的に開発した最初の商品がたしかテープレコーダーですよね。
僕は盛田さんから聞いたんですが、創業当時、アメリカの占領軍のところに行ったら、テープレコーダーがあった。当時の日本にはないものです。それで「これをつくってやろう」と思って懸命に開発した。ところで最初、重さが何キロぐらいだったか、知ってますか?