« トンチンについて | トップページ | [書評] カール・シュミット ナチスと例外状況の政治学(蔭山宏) »

2020.07.28

報道で知った3人の死

 もう最近とも言えないのだが、女子プロレスラーの木村花さんというかたの死が報道やネットで話題になっていた。私は彼女のことをまったく知らないので、その死もピンとこなかったが、報道やネットなどを読むに、テレビのリアリティ番組をきっかけに誹謗中傷を受け、それを苦にして、死んだというストーリーが語られていた。このストリーからすると、「自殺」が暗示されるが、いくつか報道を当たってみたが、「自殺と見られる」的な間接表現はあるが、自殺だとした報道はなかった。そこから得られることは、私には彼女が自殺かどうかわからない、ということと、人々は、自殺かどうかわからないのに、世の中ではストリーが進んでいくことだった。
 三浦春馬さんも亡くなった。私は彼については、NHKの『世界は欲しいモノにあふれてる』で見てなんとなく知っている程度で、他の活動についてはほとんど知らない。そして、例によって、「自宅マンションには自殺をほのめかす遺書が見つかった」といった感じの間接表現で報道で語られ、ネットで話題になったが、やはり、自殺だとした報道はなかった。つまり、私には、彼が自殺したかどうかはわからない。
 自殺についての報道にはWHOの『自殺予防 メディア関係者のための手引き』(参照)というものがあり、そこでは、「自殺の報道記事を目立つように配置しないこと。また報道を過度に繰り返さないこと」などが明記されているが、木村花さんも三浦春馬さんも、そもそも、報道では、自殺かどうかはわからなかった。というより、自殺かどうかわからない報道であれば、ただ、死の事実だけを報道すればよく、自殺のほのめかしや、自殺を暗黙の前提とする話題を展開することのほうも手引などで抑制したほうがいいだろう。
 もう一人気になった死は、明確に自殺ではない。ALS患者の林優里さんの死である。嘱託殺人として捜査が進められている。ネットや報道では、嘱託殺人の医師らが優生思想の持ち主であったかや安楽死といった間接的な話題が盛んだった。安楽死議論については、そうしたことを求めるような社会が間違っているといった正論も見かけたが、そうした正論は現実に安楽死を願う人々の対話のチャネルを失っているようにも思えた。
 林さんの死で気になっていたのは、身体がある程度自由な自殺したのではないかということで、いや、身体がある程度自由なら希望が持てるかもしれない、あるいは、遺書がなければそもそも自殺とも言い難いなどとも思っていた。その後の報道では、自身の死後の手続きを記した父親宛ての「遺言書」を作成していたようだ。安楽死の委託もなされ死後についても意志が明示されていたなら、自殺に近いようには思われた。が、もちろん、自殺ではない。
 私たちは、自殺から目をそむけようとしたり、巧妙な修辞で関心を表明したりする。それでいいのか悪いのかはわからない。そういうものなのだなということが心に引っかかっている。

 

 

|

« トンチンについて | トップページ | [書評] カール・シュミット ナチスと例外状況の政治学(蔭山宏) »