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2025.01.06

オーストリア自由党の台頭

 オーストリアの政局が、2025年1月に入り大きな転換期を迎えた。2024年9月の総選挙で極右政党・自由党(FPÖ)が約29%の得票率を獲得し第1党となったが、総選挙後の連立交渉は難航を極め、ついに1月4日、中道右派の国民党(ÖVP)と中道左派の社会民主党(SPÖ)による連立交渉が決裂し、ネハンマー首相は辞任を表明した。オーストリアは新たな政権を模索する混乱の只中にある。
 国民党は首相辞任後、中道右派政党・国民党クリスチャン・シュトッカーを暫定党首に任命し、再建を図ろうとした。ファンデアベレン大統領も1月6日、この混乱を受け、自由党のヘルベルト・キクル党首と会談し、新政権樹立に向けた協議を行うことを発表した。この決定はオーストリア政治における今後の一大転機となると見られる。これまで自由党との協力を拒んできた国民党内でも、現状打開のため対話を容認する動きが見られる。が、自由党のキクル党首を「安全保障上のリスク」と見なす慎重派も依然として存在する。
 自由党のキクル党首は1月6日の声明で「混乱を生んだのは他党であり、自由党こそが安定をもたらす存在である」と強調し、国民党のシュトッカー暫定党首も「連立交渉の招待を受ければ歓迎する」と述べており、連立交渉が再開される可能性も高まっている。が、これまで対立を深めてきた両党の協力が成立するかは不透明な状況が続いている。

自由党の背景と政策方針
 1956年に設立された自由党は、オーストリアにおいて主要な右派勢力として存在感を示してきた。特に1990年代後半から2000年代初頭にかけて、ハイダー元党首の下で大きな影響力を持ったことは記憶に新しい。同党の政策は移民や難民に対する排他的な姿勢が特徴的であり、「招かれざる外国人の帰国」を掲げた「オーストリア要塞化」プログラムを通じて国境管理の強化や難民申請権の停止を主張している。EU政策においても自由党は「ブリュッセルのエリート主義」と対決する姿勢を鮮明にしており、EUの権限を一部オーストリアに取り戻すべきと主張している。また、外交政策ではウクライナ支援に否定的であり、ロシア制裁の解除やドイツ主導のミサイル防衛計画「スカイシールド」からの脱退を訴えている。このような立場は一部の国民からの支持を集める一方で、国際社会からの批判を受けている。

ウクライナ戦争の影響
 オーストリアの政治情勢には、事実上のウクライナ戦争敗戦も影響を及ぼしている。自由党は以前から親ロシア的な姿勢を示しており、2016年にはプーチン大統領の与党「統一ロシア党」と友好協定を結んだ過去がある。この協定は現在失効しているものの、自由党は依然としてロシアとの関係改善を主張し、対ロシア制裁の解除を求めている。ウクライナ戦争が激化する渦中でも、欧州各国がウクライナへの軍事・人道支援を強化するなか自由党は一貫して西側諸国の支援方針に批判的な立場を取ってきた。同党は「オーストリアの中立」を掲げ、ウクライナへの支援が国益に反するとの見解を示している。この立場は国際社会からは「戦争犯罪に対する責任を軽視している」として厳しい批判を浴びているが、「中立国としての立場を守るべきだ」という一部の有権者からの支持を得ている。
 しかし、こうしたイデオロギー問題よりエネルギー問題の影響のほうが大きいだろう。ウクライナ戦争によるエネルギー価格の高騰がオーストリア国内の議論に影響を与えている。自由党は「対ロシア制裁がエネルギー危機を悪化させている」と主張し、制裁解除をエネルギー安定化策の一つとして提案している。この提案は国民生活に直結する問題として一部の国民に支持されているが、欧州連合(EU)の統一した制裁方針に反するため、オーストリアの外交関係に緊張をもたらす要因にもなっている。

国外への影響
 自由党が政権を握ると、その影響はオーストリア国内にとどまらずEU全体に及ぶ。事実上自由党のキクル投手が率いる政権が誕生すれば、EUとの関係が大きく変化するのは避けられない。EU懐疑主義が強まり、EU内部の結束も揺らぎ、政策決定プロセスに混乱をもたらすだろう。移民政策の強化により欧州全体の移民政策にも影響が及ぶことも予想される。自由党は気候変動対策に対しても懐疑的な立場を取っているので、国際的な協調からの離脱が懸念されている。
 自由党が主導する政権の誕生は、オーストリアが第二次世界大戦後初めて極右政党から首相を輩出することを意味し、象徴的な出来事となる。もしキクルが首相に就任すれば、その政権運営の手腕は国内外から厳しく見られることになる。オーストリア国内では、自由党を支持する層と懸念する層の間で大きな意見の隔たりが存在し、今後のオーストリアの政治動向が国際社会社会の分断を深める可能性がある。

 

 

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